ロジユニヴァース () は日本の競走馬、種牡馬。2009年の東京優駿を制した。馬名の意味は冠名の「ロジ」と父・ネオユニヴァースの馬名の一部である「ユニヴァース」を組み合わせたもの。5月13日に萩原清厩舎へ入厩。阪神競馬場でのデビュー戦を見据え6月上旬ごろに同じ萩原厩舎の3頭とともに栗東トレーニングセンターに移動して調教された。デビュー戦では武豊が騎乗し、中団追走から最後の直線で抜け出し2着に半馬身差をつけ初勝利を挙げた。レース後、いったんノーザンファームで休養に入った。復帰戦はコスモス賞が予定されていたが9月中旬にそのまま札幌競馬場へ入厩し、札幌2歳ステークスに出走した。デビュー戦で騎乗した武は凱旋門賞へ騎乗するためにフランスへ遠征していることもあり代わって横山典弘が騎手を務めた。レースでは道中7番手から追走して最後の直線で差し切り、重賞初勝利を挙げた。レース後はふたたびノーザンファームに放牧に出された。その後12月27日のラジオNIKKEI杯2歳ステークスに出走、単勝2番人気だったが最後の直線で逃げるリーチザクラウンをかわすと4馬身の差をつけ1着で3連勝を飾った。明け3歳の緒戦には、3月8日の弥生賞が選ばれた。直前にほかの有力馬が回避したこともあって10頭立てと少頭数で行われたレースでは稍重馬場のなか、スタート良く飛び出すと鞍上の横山が一気に先頭を奪って逃げるという展開に持ち込み、1000メートル通過を62秒台というスローペースで終始リードを保ったまま、最後の直線ではさらに他馬を突き放して1着となった。迎えた4月19日の皐月賞では単勝オッズ1.7倍の圧倒的1番人気に支持されたが、皐月賞ではもっとも不利といわれる最内枠1番からの発走で、道中は先行するも直線を迎える前に後続馬群に飲み込まれ14着と大敗した。この年の皐月賞は前半1000メートルが59秒1というハイペースであり、先行した馬は一頭も5着以内に入れなかった。巻き返しを狙い、続いて5月31日の第76回日本ダービーに出走。大雨が降り泥濘のなかの不良馬場であったが、レースはジョーカプチーノが逃げを打ち、リーチザクラウンが追走するなか、3番手の位置につける展開から最後の直線で内を抜け出て先頭に立つとそのまま押し切り、リーチザクラウンに4馬身差を付けて優勝を果たした(レース詳細は第76回東京優駿を参照)。また鞍上の横山もダービー初制覇で、関東所属馬にとってもひさびさの東京優駿制覇となった。夏を休養に充て、9月12日に美浦トレーニングセンターへ帰厩したが、前脚が外向している影響により脚元への負担からくる右後肢の疲れが発生したため、復帰の目処が立つまでに手間取った。秋はステップレースを使わずにジャパンカップへ直行することになったが、11月25日に坂路で最終追い切りを行ったあとに、左後肢に筋肉痛を発症し同レースを回避、山元トレーニングセンターへ放牧された。続く第54回有馬記念も回避することになった。2010年1月6日、2009年度のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出される。3月27日の日経賞でダービー以来約10か月ぶりに復帰し、1番人気となった。道中は2番手を追走したが最後の直線で伸びを欠き後続にかわされ、ダイワワイルドボアと同着の6着に敗れた。レース後は春の天皇賞に向け調整されていたが、体調が整わないため同レースを回避し、放牧に出されることになった。放牧をはさみ、6月27日の宝塚記念では、日経賞まで騎乗していた横山典弘がブエナビスタへの騎乗が決まっていたため、安藤勝己との初コンビで出走した。道中は3番手でレースを進めるも最後の直線で失速してしまい13着と大敗した。宝塚記念後は山元トレセンで調整を積み、続く8月22日の札幌記念で鞍上は横山典弘が務めた。道中2番手からレースを運び、最後の直線でいったんは先頭に並びかけるものの、最後はアーネストリーに交わされ2着に敗れた。2011年はトモの不安のため未出走に終わった。2012年8月19日の札幌記念で2年ぶりに復帰したが、最後方の位置取りとなり、大差の最下位14着に敗れた。騎手を務めた横山は競走後「ある程度は覚悟していたが、別の馬みたいだった」と述べた。その後1年以上戦線離脱していたが、2013年10月30日付で競走馬登録を抹消し引退。2014年春より優駿スタリオンステーションにて種牡馬入りすることになった。本馬はイギリス半血馬血統の牝系を持つ馬として史上初めて八大競走を制した馬である。
出典:wikipedia
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