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WANDS

WANDS(ワンズ)は、日本のロックバンド。90年代にビーイングの核となっていたバンド。1991年にシングル「寂しさは秋の色」でデビュー。2度のメンバーチェンジを経て、2000年に解散(「解体」と表現)した。1991年夏頃、ビーイングの音楽プロデューサー長戸大幸を介し、ビーイングが主催している音楽振興会在籍の上杉と、BADオーディションで最終選考に残っていた柴崎により、二人組ユニットとして結成された。そこに大島を加え、同年12月にシングル「寂しさは秋の色」でデビュー。1992年7月、3枚目のシングル「もっと強く抱きしめたなら」を発表。この作品を最後に、大島が自身のユニットSO-FIを結成するために脱退。後任として、柴崎のYAMAHA音楽院時代の知人であった木村が加入した。10月、中山美穂とのコラボレーション作品として、中山美穂 & WANDS名義で発表したシングル「世界中の誰よりきっと」がミリオンセラーの大ヒットを記録。「もっと強く抱きしめたなら」も、オリコンチャート登場29週目にして1位となりミリオンセラーを記録する。1993年2月、4枚目のシングル「時の扉」を発表。4月にはシングルと同タイトルの2枚目のアルバム『時の扉』を発表。いずれもオリコンチャート1位、ミリオンセラー記録の大ヒットとなり、日本の音楽界においてトップアーティストとしての地位を確立する。1993年度は、シングル4,112,008枚・アルバム3,187,564枚の売り上げを記録し、第8回日本ゴールドディスク大賞を受賞した。以降1995年まで、シングル「愛を語るより口づけを交わそう」「世界が終るまでは…」、アルバム『Little Bit…』『PIECE OF MY SOUL』が、それぞれミリオンセラーを記録。シングル「恋せよ乙女」「Secret Night 〜It's My Treat〜」もオリコンチャート1位獲得のヒットとなった。1995年12月、10枚目のシングル「Same Side」を発表。セカンドシングル以来のメンバーのみの手によるシングル曲で、上杉が志向する欧米的な流れであるニルヴァーナオルタナティブのサウンドを如実に示すものであったが、当時の日本での売れ筋J-POP路線とは一線を画していたため前作から売上を落とす結果となった。現在ファンの間では再評価され、上杉自身も「この曲が今の自分の音楽の原点となった。」と発言している。1996年2月、11枚目のシングル「WORST CRIME 〜About a rock star who was a swindler〜/Blind To My Heart」を発表後、長戸大幸が求めるWANDSのスタイルと音楽性の違いを理由に 1997年初頭に上杉昇と柴崎浩が脱退(後に2人はal.ni.coを結成)し、活動を休止。ビーイングが「WANDS」の名前を商標登録していた為、残った木村真也はボーカルに和久二郎、ギターに杉元一生を迎え、第3期WANDSとして活動を再開する。1997年9月、当時デビュー直後であった小松未歩の楽曲提供により、12枚目のシングル「錆び付いたマシンガンで今を撃ち抜こう」を発表。その後も坂井泉水やGARNET CROWとしてのデビュー前のAZUKI七からの楽曲提供を受け、シングル4枚、オリジナルアルバム1枚を発表したが、2000年3月、公式サイト上で「解体」(解散)を表明。2006年のT.M.Revolutionのアルバム「」に柴崎と大島がレコーディング参加。以前からT.M.Revolutionのライブにサポートメンバーとして参加していた柴崎の仲介で大島を起用できたと西川貴教がインタビューで語っている。2011年4月2日に行われた西川主催のチャリティーライブ「STAND UP! JAPAN 中央共同募金会」では前述のアルバムで大島が編曲とキーボード、柴崎がギターを手掛けた「HEART OF SWORD 〜夜明け前〜」を大島、柴崎を含むメンバーでライブ演奏している。2人のライブでの共演はWANDS時代を含め初めてであった。イベント終了後、2人が「WANDSとしてサインした」という大島がWANDS時代に使用していたシンセサイザー、YAMAHA DX7II-FDがチャリティーオークションに出品された。2011年3月28日、杉元(現・安保)が出演したライブに、和久が、本名:"松元治郎"名義でゲストボーカルとして参加。尾崎豊の「僕が僕であるために」を歌唱している。2人のライブでの共演はWANDS時代を含め初めてであった。その後、2012年に松元は安保の支援を受けて音楽活動を再開。同年10月にリリースされた松元の初ソロアルバム『Reverb』は、安保がプロデューサーを務めており、収録曲『Journey』は、作詞:松元治郎・作曲:木村真也・編曲:安保一生と、第三期メンバーの並びとなった。2012年12月2日に開催された初ワンマンライブ「松元治郎 1st LIVE」で、松元と安保が再び共演した。プロデューサーである長戸の意向で、タロットカードの魔法の杖(WAND)の複数形であるWANDSをバンド名にした為、メンバーは命名に関わってはいない。オフィシャルサイトの大島康祐によると、WANDSの名は、タロットカードの用語であるワンド(wand/wands:「理想」「情熱に向かって進む」という意味を持つ)から取って名づけられたものである。大島が述べた事と同じ内容を第3期時に木村もファンクラブ会報で述べている。上記とは別の説で一般的に知られるものとして、上杉(Uesugi→Wesugi)と柴崎(Shibasaki)の頭文字をとって“Wesugi AND Shibasaki”を意味するというものもある。上杉はインターネットラジオにおいて、一期での上杉の苗字のスペルが『Uesugi』になっていたが、「ゴロ合わせが好きなプロデューサーだったので、UじゃなくてWの方が見てくれもかっこいい、ということから始まった」と発言している。また、この時「実はWesugi AND Shibasakiじゃなくて“Wesugi AND Show”なんですよ」という発言もしている。また、WANDS第二期の人気絶頂時に、TBS『突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100』に上杉が生出演しているが、司会の山田邦子からWANDSの命名の由来を話題に挙げられ、その際は、上杉(Wesugi)と柴崎(Shibasaki)説を説明している。なお、第3期メンバーである和久(Waku)と杉元(Sugimoto)も、芸名の頭文字がWとSとなるように意図的に命名されている。WANDSがライブ活動をしたのは第2期の1993 - 1995年のみ。※◆トラックは「WANDS」名義のCDには未収録。

出典:wikipedia

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