オウケンブルースリ("英:"、"香:")とは日本の競走馬である。2008年の菊花賞優勝馬。2005年のセレクトセール当歳にて3000万円で落札された。馬名は、馬主の冠名と、馬主が空手を始めたきっかけとなった香港の俳優ブルース・リーにちなんで付けられた(「ブルースリー」でないのは、日本では競走馬名が9文字以内と定められているためである)。2005年2月24日、北海道早来町(現在は安平町)のノーザンファームにて出生。栗東トレーニングセンターの音無秀孝厩舎へ入厩する。しかし体作りが遅れ、2歳時にはデビューすることが出来なかった。2008年4月26日、皐月賞の翌週の福島競馬場における未勝利戦で遅めのデビューをし、2着に入った。初勝利はディープスカイが優勝した東京優駿(日本ダービー)の翌週の中京競馬場で行われた未勝利戦だった。その後、6月21日の阪神競馬場での生田特別(500万)、8月23日の新潟競馬場での阿賀野川特別(1000万)と3連勝を飾った。続いて9月28日には神戸新聞杯(JpnII)に出走。初のオープンクラスでのレースでしかも重賞レースであったが、ディープスカイの3着に入り菊花賞の優先出走権を得た。10月26日の第69回菊花賞では混戦模様の中、単勝3.7倍の1番人気に支持され、レースでは阿賀野川特別からコンビを組む内田博幸を鞍上に、道中は中団からやや後方あたりからレースを進め、最後の直線で先頭に立つと後続を引き離し、内から詰め寄ったフローテーションに1馬身1/4の差をつけてゴールし、重賞及びJpnI初制覇を飾った。なお、デビューから184日目での菊花賞制覇は、1990年のメジロマックイーンの記録(275日目)を塗り替えて、2歳(旧3歳)戦がスタートした1946年以降の史上最短菊花賞勝利記録となった。また、福島競馬場でデビューした馬が菊花賞を勝ったのも史上初。レース後、陣営は父ジャングルポケットと同様に「菊花賞-ジャパンカップ-有馬記念」のローテーションを予定していると発表。11月30日の第28回ジャパンカップではスローペースでレースが進む中、最後の直線で伸びて来るもののスクリーンヒーローの5着に敗れた。有馬記念はファン投票6位となるも、ジャパンカップの疲れが抜け切れないため回避した。2009年は3月22日の阪神大賞典から始動。1番人気に支持されたが、重馬場の中で伸びを欠きいいところなくアサクサキングスの7着に敗れた。この後天皇賞(春)に向かう予定だったが、阪神大賞典後に腰部不安が再発。ここで調教師の音無秀孝は無理をさせず、腰部の治癒に専念するため以後の春GIを全休する決断を下す。半年以上にわたる休養後、10月11日の京都大賞典に出走。半年振りのブランクが嫌われ3番人気であったが、いざレースになると道中は安定した走りから最終直線では鋭い伸び脚から先頭に立ち、スマートギアに3/4馬身差をつけて1着入線。前年の菊花賞以来の勝利を収めた。この勝利で賞金を加算し天皇賞(秋)に出走するが、レースでは最後の直線半ばまで馬群に埋もれる展開となり、カンパニーに3馬身以上離された4着に敗れた。11月29日のジャパンカップは当初獲得賞金額が不足していたため除外される見込みであったが、同レースは国際招待競走であることからレース直前に発表されたレイティング(ワールド・サラブレッド・ランキング)で登録馬中3位に入り出走権を獲得。本番ではウオッカにハナ差届かず2着に惜敗。敗因は4コーナーで下げた事を内田騎手、音無調教師共に挙げている。2010年の春シーズンは全休し、10月10日の京都大賞典が緒戦となった。後方2番手を追走から、3〜4コーナーで徐々に進出し、最後の直線で大外から追い込み先に抜け出したメイショウベルーガに半馬身差まで詰め寄るも2着に敗れた。天皇賞(秋)は右前脚に腫れがあり回避した。ジャパンカップでは、これまで主戦を務めていた内田博幸がエイシンフラッシュに騎乗するため、クリストフ・ルメールに乗り替わることとなった。レースは、後方2番手を追走も最後の直線で伸び切れず7着だった。有馬記念では横山典弘との初コンビで出走。2番手につけたが直線で失速してしまい、11着に敗れた。2011年緒戦となった京都記念では最後方追走も直線で伸び切れず7着、続く阪神大賞典では見せ場がなく8着、本番の天皇賞(春)でも10着に敗れた。夏の休養明け緒戦となった京都大賞典では中団から追い込んで3着。アルゼンチン共和国杯では後方4番手で追走し直線で大外からジリジリと追い込んでくるが2着に敗れた。ジャパンカップは後方で待機したが直線ではまったく伸びず10着と惨敗した。2012年緒戦となったダイヤモンドステークスでは見せ場がなく14着、続く阪神大賞典では後方追走も直線で伸び切れず8着に敗れた。約半年の休養を挟んで10月の京都大賞典に出走し2着。その後は3走していずれも着外に終わり、有馬記念14着を最後に現役引退が発表された。2013年1月19日に京都競馬場で引退式が行われ、20日付け競走馬登録を抹消した。引退後はイーストスタッドで種牡馬になる。
出典:wikipedia
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