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慶長豊後地震

慶長豊後地震(けいちょうぶんごじしん)は、1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)に豊後国(現在の大分県)で発生した地震である。別府湾地震、大分地震などとも呼ばれる。死者800余人。この地震によって別府湾にあった瓜生島及び久光島の2島が沈んだと伝えられる。ただし、これらの島は実在自体が未確認であり、瓜生島は島ではなく沖ノ浜と呼ばれる沿岸の港町であったとする説等もある。震源地は現在の大分県の別府湾口で、マグニチュードは6.9-7.8と推定される。別府湾-日出生断層帯東部の別府-島原地溝帯に沿って発生した大陸プレート内地震である。文禄5年7月から地震が頻発、翌閏7月まで続き、閏7月12日申刻(午後4時)に本震が発生、津波も発生した。津波による流出家屋数千戸、死者708名、高崎山と由布岳の山崩れなどの被害をもたらした。相前後して、閏7月9日に本地震と連動関係にあるとされる慶長伊予地震、閏7月13日に慶長伏見地震(共に規模はM7.0と推定)が発生。天変地異の多発により、10月27日、文禄から慶長へ改元された。別府湾-日出生断層帯東の活動によると考えられ、羽鳥(1985)によると、大分市内での津波は寺院の流失状態の分布から推定される波高は4-5.5m、別府湾口の奈多 7-8m と佐賀関 6-7m 程度と考えられている。波高と震度分布から推定される波源域は別府湾を包み東西方向に50km程度の長さ。また、都司ら(2012)によると、津波の高さ(いずれも痕跡高(浸水高))は大分県大分市佐賀関早吸日女神社の鳥居高にて5.0m、同神社境内において10.6m、同市府内町同慈寺跡地付近(現在の大分中央郵便局付近)で5.5m、同市大手町長浜神社跡地で5.1m、杵築市奈多奈多神社の境内において8.4mと推測されている。瓜生島の消滅原因は、別府湾北岸の神場洲の地盤沈降が記録されていることから別府湾の陥没が原因とする説や、液状化が原因とする説がある。2014年11月には大分市長浜町の大友氏遺跡で噴砂が発見されており、この地震又は1707年(宝永4年)に起きた宝永地震に伴う液状化の痕跡ではないかと推定されている。

出典:wikipedia

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