顔恵民(がん けいみん、1929年 - 1985年)は台湾の実業家。東京都千代田区立番町小学校、学習院中等科、早稲田大学鉱山科卒業。娘に一青妙、一青窈、学習院時代の同期に犬養康彦がいる。1929年、日本統治下の台湾で、九份の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族()の長男として生まれた。当時、多くの台湾上流階級の子弟がそうであったように、10歳のときに母親とともに日本に渡り、小学校から大学まで日本で教育を受けた。中国語より日本語の方が達者であったという。第二次大戦後の1947年に兄弟と共に台湾に帰るが、二・二八事件などの本省人弾圧を逃れるため、1949年に密航して日本に戻った。1985年、肺がんで死去。戦前から戦後にかけて日本に滞在していた時に石川県出身の日本人女性と出会い結婚した。その妻との間に一青妙、一青窈を儲けた。一青窈の楽曲の中には『大家』『ぱぱへ』など彼への想いを歌ったものが数曲ある。登山を趣味とした。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。