ミゲル・アンヘル・モジャ(Miguel Àngel Moyà Rumbo, 1984年4月2日 - )は、スペイン・マヨルカ島出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ・アトレティコ・マドリード所属。ポジションはゴールキーパー。地元のRCDマジョルカの下部組織で育ち、2004年8月29日のレアル・マドリード戦でトップチームデビューした。2004-05シーズンは1年目ながらリーグ戦32試合に出場し、アトレティコ・マドリードに移籍したレオ・フランコの穴を埋めた。2005年になるとレアル・ベティスで長年レギュラーを務めたが加入し控えに降格したが、2006年にプラッツが退団するとレギュラーに返り咲いた。2007-08シーズン終了後にはサンティアゴ・カニサレスが引退しティモ・ヒルデブラントが期待外れに終わったバレンシアCFがオファーを出し、自身も移籍に乗り気だったが、クラブ間の移籍金の相違から移籍は実現しなかった。このときにバレンシアがオファーした移籍金は800万ユーロ(約13億5000万円)近くだと言われている。2008-09シーズンは故障に苦しみヘルマン・ルクスとデポルティーボ・ラ・コルーニャからシーズン途中に加入したドゥドゥ・アワットにポジションを譲ったものの、マジョルカでは5シーズンで99試合に出場した。2009年7月2日、移籍金500万ユーロ(約6億8000万円)で前年に移籍が破談したバレンシアと念願かなって4年契約を結んだ。バレンシアが支払った移籍金としては史上最高額であった。8月5日にオールド・トラッフォードで行われたマンチェスター・ユナイテッドFCとの親善試合では、バレンシアが交代枠を使い切った後にDFチアゴ・カルレットが負傷し、急遽試合終盤にミッドフィールダーとしてプレーする珍事が起きた。2009-10シーズンはプレシーズンからセサル・サンチェスとポジションを争っていたが、8月30日のセビージャFCとの開幕戦でいきなり先発デビューした。しかし、その後は不安定なプレーが続きセサルにレギュラーを奪われてしまい、8試合の出場に留まった。2010-11シーズンはビセンテ・グアイタの台頭とジエゴ・アウヴェスの加入で第4GK扱いとなったため、2011年6月14日にダニエル・パレホと入れ替わる形でオスカル・ウスタリが負傷離脱中のヘタフェCFに移籍した。ヘタフェではジョルディ・コディーナからレギュラーを奪うと、その座を最後まで譲らず36試合に出場。復活をアピールした。シーズン終了後に完全移籍。2014-2015シーズンからアトレティコ・マドリードに移籍。2001年にはUEFA U-17欧州選手権で優勝し、その翌年の2002年にはUEFA U-19欧州選手権で優勝した。それにより出場権を得たFIFA U-20ワールドカップでも準優勝の成績を収めている。2004年から2006年にかけてU-21スペイン代表として12試合に出場した。
出典:wikipedia
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