


株式会社 グローバルダイニング("GLOBAL-DINING,INC.")は、東京都港区南青山に本社を置く日本の外食産業の一社である。創業者で現社長の長谷川耕造が、早稲田大学商学部を中退し、シベリア鉄道に乗って、スウェーデンへ渡り、同国の首都・ストックホルムを基点にヨーロッパ全土を放浪して回る。やがて1972年に帰国し、翌年有限会社 長谷川実業を創業。高田馬場に喫茶店「北欧館」を開く。ここで立て続けに高い年商を記録すると、長谷川の意志もあって、1976年に六本木にパブレストラン「ゼスト」(現在は新業態のLB6が存在する。LB6については、この後の業態一覧で説明する。当時は現在のゼスト キャンティーナとは、まだ違う業態だった)、さらには1980年に原宿にパスタレストラン「カフェ ラ・ボエム」などのレストラン業態へと移行してゆく。その後、同社の本社オフィスに近い、代官山や西麻布、表参道、原宿近郊に、ゼストキャンティーナ、カフェ ラ・ボエムを裏通りなどにゲリラ的に出店してゆくと、深夜5時まで営業していることもあり、主に夜遊び族の支持を得て、知名度を上昇させると共に、1985年には株式会社に改組する。1987年にはゼストキャンティーナを、当時流行の兆しを見せていたテクスメクスレストランに業態転向させ、大成功をおさめると、その後もイタメシブームでカフェ ラ・ボエムも成功をおさめ、一気にメジャーな知名度を得る。その後も1993年にアジアンレストラン「モンスーンカフェ」、2000年に和食レストラン「権八」などの新業態にも進出し、新たに成功させるなどしている。また現社名のグローバルダイニングには1997年に変更している。これまで東京都内を主戦場としてきたが、2004年にこれまでの業態を一店に凝縮した大型フードコート「フードコラシアム」を沖縄にオープンさせると、その後は福岡、大阪などの地方都市へも店舗展開を開始している。また海外への出店も盛んであり、ロサンゼルスにカフェ ラ・ボエム、サンタモニカにモンスーンカフェ、トーランスに権八の3店舗を所有している。同社を代表するものの一つとして、社長・長谷川耕造が持つ経営哲学がある。徹底した実力主義と、結果を第一としており、つねに社員・アルバイト全ての従業員に対し、競争意識を徹底させている。フェアに店を運営し、収益を上げ、月商が高いものがこの先、生き残ってゆくという資本主義における原理原則を教育させると共に、これが同社の基本となっている。ちなみに各レストランの店長は、自らの座をキープし続けて行くには、月商を右肩上がりにし続けなければならないルールとなっており、月商が3期(一期6ヶ月)連続マイナスとなると、即座に店長の座から解任される。また前年度の月商をトータルした額からマイナスになっても、同様に店長の座から解任という厳しいルールが課されている。また同社では、年功序列を採用していないため、昇給や昇格も自己申告でおこなわなくてはならない。場合によっては長い期間勤務していても、申告しないと「やる気がない」という風にみなされることもある。その他、同社の特徴の一つとして人事部が存在しないことがある。これはフェアに会社を経営し続けるに当たって、何かと権力の集中しやすい人事部の存在は、経営に差し支えを生ずる、という長谷川の考えによるものである。ちなみに新たに店舗がオープンする際は、各店舗から人員を募ることが出来るシステムとなっており、また同社のレストランはそれぞれが近くに位置するという利点もあることから、各店舗・各業態からの異動はスムーズにおこなえるようになっている。同社の出店方式の特徴に、半径1km以内の地域に別業態のレストランを互いに出店(または同じビル内に各フロアごとに別業態の店舗を2つ以上出店する)し、互いに売り上げを競争させるというやり方があることでも知られる。これは長谷川が、当時まだ着目されていなかった世田谷区三宿に1989年9月にゼストキャンティーナを出店させ、その2ヵ月後にカフェ ラ・ボエムをオープンさせたことで、地域が活性化し、渋谷などからタクシーですぐに行ける場所であることなどから、その後三宿は隠れ家的スポットとして脚光を浴びるようになり、知名度を上昇させる切っ掛けにもなったことでも知られる。1990年代中期から2000年にかけて、代官山にモンスーンカフェ、白金にラ・ボエム、恵比寿にゼストキャンティーナ、西麻布に権八などの大型店舗を展開し、話題を呼んだりしている。ただし2002年以降、外食産業全体の売上高は低下の一途を辿っているため、これ以降大型店舗の展開はしていない。飲食企業としては異例の社内に店舗設計部署を持ち、出店に関して自社の社員が設計・工事監理を内製化していた。段差や吹き抜けなどの独自性を持ったレイアウトは、店舗設計部署に所属するデザイナーから生まれている。設計部署のスタッフは「インハウスデザイナー」と呼ばれ、幾つかの外食企業が後追いで店舗設計部署を内製化する現象を生んだ。2000年前半には部署の人数は10名を超え、大所帯となるが会社の業績低迷と共に部署は縮小し、2009年以降はメンテナンスに特化した部署と化している。店舗設計部署に所属したスタッフの多くはグローバルダイニングを退社後、独立の道を歩み話題の飲食店の設計を手掛けている。
出典:wikipedia
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