セサル・ロドリゲス・アルバレス(César Rodríguez Álvarez、1920年6月29日 - 1995年3月1日)は、スペイン・レオン出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。通称セサル。リーガ・エスパニョーラでの226得点は、テルモ・サラ、ウーゴ・サンチェス、アルフレッド・ディ・ステファノに次ぐ歴代4位の記録である。レオンのクラブでユース時代を過ごした後、1939年にCFバルセロナに加入した。レンタル先のグラナダCFで1部昇格を果たし、1941-42シーズンにプリメーラ・ディビシオンデビューした。彼だけで6得点を奪って勝利したCDカステリョン戦などもあり、得点王争いでは2位につけた。1942-43シーズンにバルセロナに戻り、1944-45シーズンにはリーグ優勝した。バルセロナ時代の同僚にはアントニ・ラマレッツやエスタニスラオ・バソラやラディスラオ・クバラなどがいた。1948-49シーズンは28得点し、ピチーチ賞のタイトルを手に入れた。1951年のコパ・デル・ヘネラリシモ決勝のレアル・ソシエダ戦では彼の2得点が優勝を決めた。1951-52シーズンのバルセロナは、1シーズンだけで5つのトロフィーを獲得した。コパ・デル・ヘネラリシモの決勝のバレンシアCF戦、ラテン・カップ決勝のOGCニース戦と、彼は大舞台でよく得点した。結局バルセロナでは5度のリーグタイトルと2度のコパ・デル・レイ優勝を果たした。バルセロナを離れてからは、クルトゥラル・レオネサやペルヒニャンFCを経てエルチェCFに在籍した。テルセーラ・ディビシオン(当時3部)に所属していたクラブを、3シーズンでプリメーラ・ディビシオン(1部)に引き揚げた。選手生活最後のシーズンは監督を兼任した。1945年から1952年まで、スペイン代表として12試合に出場し、6得点した。1945年3月11日のポルトガル代表戦で初出場し、初得点も決めた。1950年にはブラジルW杯に出場した。1943年から1954年まで、カタルーニャ代表として10試合に出場し、5得点した。1947年10月19日に行われたカタルーニャ選抜とスペイン代表の試合ではカタルーニャ選抜で出場し、彼の2得点もあって3-1で勝利している。エルチェCFで選手兼任監督で1年過ごした後、レアル・サラゴサの監督に就任した。1960-61シーズンは3位に導き、1961-62、1962-63シーズンはそれぞれ4位と5位で終えた。1963年のコパ・デル・ヘネラリシモではCFバルセロナに次いで準優勝した。翌シーズンに就任したバルセロナでは、85試合を率いただけで成功しなかった。※いずれも選手時代
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。