ジャン=クロード・ヴァン・ダム(Jean-Claude Van Damme, 1960年10月18日 - )は格闘家、映画俳優。本名はジャン=クロード・カミーユ・フランソワ・ヴァン・ヴァレンバーグ(Jean-Claude Camille François Van Varenberg)。ベルギー・ブリュッセル出身。ベルギーのブリュッセルで生まれる。ヴェロニカという名前の姉がおり、父親は会計士だった。クラシック音楽、絵画、カーリングに関心を持つ子供だったが、父親の勧めで体と心を鍛えるためにバレエ、マーシャルアーツ、ボディビルを習う。また11歳のときから松濤館流空手をはじめ 、18歳にて黒帯を得る。1970年代を中心に、空手、キックボクシングの大会に参加。1979年に初めてアメリカ合衆国に赴き、フロリダで行われた世界空手選手権に参加する。その後1980年、ヨーロッパにて開催された大会により全欧プロ空手選手権ミドル級王座を獲得。1980年にフランス映画への出演をきっかけとして演技に興味を持ち、プロのバレエ団からの誘いを断って映画スターを志し、香港へ渡るものの、同地ではチャンスに恵まれなかった。1982年に2千ドルを手にして英語も話せないまま、役者を目指してロサンゼルスに旅立つ。1984年、ブルース・リーのドラゴンへの道で本格的アクションスターとなったチャック・ノリス主演のアクション映画『地獄のヒーロー』にスタントマンとして参加し(エンドロールのクレジットで確認できる)、ヴァン・ダムはこれをきっかけにノリスに売り込みをかけ、彼のトレーニングパートナー兼、彼の妻が経営するレストランの用心棒、ウェイターとなり、生計を立てることになる。レストランで働いていたとき、ノリス主演作のプロデューサーとしてヒット作品を連発していたキャノンフィルムズ責任者メナヘム・ゴーランが来店する。体格のいいヴァン・ダムに何か技を見せてくれと頼んだゴーランの鼻先スレスレに、美しいフォームの飛び後ろ回し蹴りを即興で披露し、これがゴーランの目に止まってスカウトされ、主演デビューを飾る。『ブラッドスポーツ』で初主演して以降、アクション俳優として数多くの作品に出演している。1980年代から1990年代は、特に1994年ヒット作タイムコップを筆頭に数多くの主演作を持ったが、2000年代以降は低迷が続き、本人自らを演じる映画『その男ヴァン・ダム』なども製作している。この作品では、自らを自虐的なギャグで魅せるなどの挑戦もしている。2008年12月3日に映画『その男 ヴァン・ダム』の日本公開イベントで来日予定だったが、諸事情により中止された。2008年11月初旬、ペットの子犬の看病のためにプロモーション活動を休止したとする報道がみられたが、関連は不明。2012年に公開されたシルヴェスター・スタローン主演『エクスペンダブルズ2』では久々の大作映画出演となり、重要な役柄であるエクスペンダブルズの宿敵、犯罪武装集団のリーダー、ジャン・ヴィランを演じてスタローンと対決した。第1作目にも出演オファーされていたが、交渉がまとまらず、2作目での登場となった。なお、同作品には先述のノリスもブッカー役で出演している。5回結婚をしている。3番目の妻グラディス・ポルトギーズとは1987年から1992年に一度結婚、1999年に再婚したが、2015年に離婚。俳優のクリストファー・ヴァン・ヴァレンバーグ(Kristopher Van Varenberg)は息子。また、女優のビアンカ・ブリーは娘。1998年に双極性障害と診断されている。
出典:wikipedia
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