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マクラーレン・MP4/8

マクラーレン MP4/8 (McLaren MP4/8) はマクラーレンが1993年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。設計はチーフデザイナーのニール・オートレイとエアロダイナミシストのアンリ・デュラン。1993年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。シャーシはMP4/7Aから特にフロント周りの空力デザインが見直された。先端に向かって下垂(スラント)するハイノーズを採用し、ノーズ下面にキールを設けてロワアームをマウントした。開幕戦から、サイドポンツーンとフロントタイヤの間に大型の整流板(ディフレクター)が設置された。これは後年に「バージボード(もしくはターニングベイン)」と呼び名を変え、フットワークのメゾネットウィング(2段式リヤウィング)と同様に93年シーズン中に多くのチームが模倣することになった。また、アクティブサスペンション、パワーアシストブレーキ、シフトアップがフルオートマ化したセミオートマチックトランスミッション(プログラムシフトも可能)といったハイテクシステムが新たに搭載された。アクティブサスペンションはマクラーレンとビルシュタインが共同開発したもので、シーズン途中からフットワーク・FA14にも供給された。1992年いっぱいでホンダエンジンを失ったマクラーレンは代替エンジンの獲得に苦労し、1993年はフォードHBエンジンを搭載することとなった。しかし、すでにベネトンがフォードとワークス供給契約(シリーズVI,VII,VIIIを使用)を結んでいたため、カスタマー契約で型落ちのシリーズVエンジンを搭載した。その後、ベネトン、マクラーレン、フォード3者の合意により、第9戦イギリスGPからはマクラーレンへもワークス供給の体制(シリーズVII,VIII)が取られた。ホンダパワーを失ったものの、MP4/8はハイテク化と軽量なパッケージングが奏功し、予想を上回るポテンシャルを発揮した。しかし、コースによってマシンが不向きな場面や、エンジンパワー不足の傾向もしばしば現れた。アイルトン・セナはチームとの契約交渉がこじれ、CART転向や1年休養が噂されたが、シーズンが始まると雨絡みのブラジルGP、ヨーロッパGPで連勝し、一時ポイントランキング首位となった。中盤戦以降はウィリアムズ・FW15Cに乗るアラン・プロストに差をつけられたが、モナコGP5連覇や終盤戦2連勝などの活躍で存在感をみせつけた。チームメイトの元CART王者マイケル・アンドレッティは接触が相次ぐなどF1に馴染めず、終盤3戦はミカ・ハッキネンにシートを譲った。コンストラクターズ選手権ではウィリアムズに2倍の得点差をつけられたが、フォードHBエンジンのトップチームを巡ってライバル関係だったベネトンを凌いで2位となった。ドライバーズ選手権ではセナがウィリアムズのデイモン・ヒルを上回る2位となった。マクラーレンは翌1994年に使用するエンジンを探してランボルギーニと接触。MP4/8のシャーシにランボルギーニ3512エンジンを搭載したテスト専用車、MP4/8Bが製作された。V8エンジン用のシャーシにV12エンジンを搭載したので、若干ホイールベースが長くなったり、ギヤボックスや電子制御に改良が加えられるなど、オリジナルのMP4/8と違う点もいくつかある。1993年9月28日にエストリルサーキットで行われたテストにセナのドライブで初登場した。フロントウイング翼端板にグッドイヤーのマークが施されている以外は何もマークはなく、真っ白なマシンだった。その後、シルバーストーンでのテスト中にハッキネンがとてつもないエンジンブローに見舞われた。ハッキネン曰く、「(エンジンは)素晴らしかった。馬力がどんどん出るんだ。素晴らしかったよ。本当に飛んでいるようだった。でもハンガーストレートからストウに向かうとき、爆発したんだ…いや本当に爆発したんだよ!すごかった。たぶん僕が経験した中で最大のエンジンブローだったと思う。まさにショッキングだったね。エンジンの破片やピストンが僕を追い越して右や左やあらゆるところに飛んでいった。ヘルメットの上を飛んでいくのが見えたよ。大爆発だった。フロアには穴が開いた。F1キャリアの中で最も特別な瞬間のひとつだね。そしてあの信じられないような音といったら」。結局、1994年型マシンのMP4/9にはプジョーV10エンジンの搭載が決定。ランボルギーニとの提携は幻となった。

出典:wikipedia

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