モーリス・ギュスターヴ・ガムラン(Maurice Gustave Gamelin、1872年10月20日 - 1958年4月18日)は、フランスの軍人。陸軍大将。パリ出身。父は陸軍大将で国軍総統制官。士官学校を首席で卒業した後、少尉に任命され北アフリカで任務に就き、参謀将校、戦術士官としても並外れた才能を示し順調に昇進した。1913年には参謀の作戦局に入り第一次世界大戦では、フランス軍総司令官ジョゼフ・ジョフル将軍の専属幕僚を務め、非常に有能で部下から慕われた。凄惨な持久戦を戦い抜き、1918年のドイツの大攻勢ではドイツ軍の進撃を阻止した。戦後の1919年から6年間ブラジル派遣隊の指揮官、1925年から1928年は在シリアのフランス軍司令官で植民地での反乱を鎮圧、1930年に陸軍参謀総長マキシム・ウェイガンの副官になった。よく1931年にはウェイガンが陸軍総司令官に就任し後任として陸軍参謀総長となる。当初はうまくいっていたが政治家と協調する姿勢から次第に対立するようになる。1938年にヴェガンが定年で退役したため後任として陸軍総司令官に就任すると同時に平時では国防副大臣、戦時においては全軍総司令官となる軍事評議会副議長になった。第二次世界大戦では西部戦線で連合軍総司令官として指揮を執ったが、開戦後、ドイツを果敢に攻めるのをためらいマジノ線の要塞に待機して防戦しようとしたため、アルデンヌの森を突破してドイツ軍が侵入した西方大攻勢も対応できなかった。さらにフランス軍が劣勢になると自分のことは棚に上げ、責任を現地の指揮官になすりつけ更迭するという無能ぶりが目立ち、時代遅れで電撃戦に対応できないことから1940年5月、フランス首相ポール・レイノーによって解任される。後任はマキシム・ウェイガン。解任後は、パリの自宅で過ごしフランスの敗戦後の1940年、友人宅でフランス国家警察にその責を問われて逮捕された。敗戦の罪で告訴されたがリヨンの裁判では黙秘を貫き、裁判は中止された。のち、ブーヘンヴァルト収容所で名誉囚人として拘束された。1943年にオーストリア・収容所に移送され、名誉囚人として思想の異なる著名人たちと過ごし回想録を書いていた。後にやってきたマキシム・ウェイガンとは罵り合った。1945年のイッター城の戦いでは指揮をとり解放後、フランスに戻り全三巻の回想録を刊行した。1954年には続巻も刊行し1958年に死去した。享年85。
出典:wikipedia
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