御殿山(ごてんやま)は、東京都品川区北品川にあり高輪台地の最南端に位置する高台である。城南五山に数えられる。新編武蔵国風土記稿によれば、太田道灌が江戸城に入る前の長禄年間(1457年 - 1460年)に城を構えて居住していたが(御殿山城)、夢のお告げがあったため江戸城に入り、御殿山城には宇多川和泉守長清を配したという(『道灌日記』からの引用)。当時は眼下に、浅草湊と並んで栄えた品川湊を見下ろす高台であった。徳川家康が江戸城に入ってからは、御殿山城は「品川御殿」と呼ばれ、歴代将軍鷹狩の休息所として、また幕府重臣を招いての茶会の場として利用されていたほか、桜の名所として有名であった。しかし元禄15年(1702年)2月11日四ッ谷太宗寺付近の出火で青山から麻布御殿へ至り、品川宿でようやく鎮火、御殿は焼失し8月14日に廃された。寛文年間(1661年 - 1673年)から桜が移植され、文政7年(1824年)の『宿差出明細帳写』(品川町史)によると、御殿山の面積は11,500坪(38,016平方メートル)、600本に及ぶ桜の名所として整備された。幕末期には、国防のための台場建設用土砂採取場となり、山の北側(現在の北品川3丁目3番、4番付近 - 北品川4丁目7番東側付近)がえぐられ、窪地となった。開国後の文久元年(1861年)、幕府は英国をはじめ諸外国の公使館を御殿山に建設することを計画した。しかし、翌年12月12日、完成間近の英国公使館を高杉晋作・志道聞多(井上馨)・伊藤俊輔(伊藤博文)ら尊皇攘夷派13名が襲撃し全焼した。明治期には、鉄道敷設のために東西に分断された。付近には益田孝など富裕者の屋敷が多くあった。昭和22年(1947年)1月には、前年に創業したソニーが本社を御殿山地区に移転。御殿山はソニーの「創業の地」とされ、ソニー本社一帯は「ソニー村」とも呼ばれた。しかし、ソニーの本社は平成19年(2007年)に港区に移転し、その後、御殿山地区の施設の売却が進められた結果、平成26年(2014年)にはソニー歴史資料館等が残るのみとなっている。御殿山は東京都品川区北品川3丁目から4丁目付近とされる。品川御殿は北品川3丁目5番付近と推定される。英国公使館は北品川3丁目5番から6番、北品川4丁目8番東側。北方の高輪には三菱開東閣で有名な八ツ山(土砂採取され、現在は山はない)がある。そこに向かう八ツ山の坂(八ツ山通り、通称ソニー通り、東京都道317号環状六号線の一部)は、目黒川・五反田付近から端を発し、左に池田山や島津山、中央向かいの八ツ山に並んで右側に御殿山、と「城南五山」のうち4つの山の間を通る坂である。
出典:wikipedia
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