りんご並木(りんごなみき)とは、長野県飯田市内の中央にある大通りに400mにわたって植えられたりんごからなる並木通りである。かつての大火復興のシンボルとして広まり、現在は街のシンボルとして親しまれている。旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された日本の道100選や、かおり風景100選に選定されている。公園の両側を通る道路は歩行者優先で、地域住民や観光客の散策に利用されている。並木通りは全体で1km程度あり、そのうちりんご並木に当たるのは450mほどの部分。飯田市公民館横のハミングパル(人形時計塔)を境にして北側から大宮神社前は桜並木となっており、こちらは桜の名所となっている。りんご並木は1947年(昭和22年)に発生した「飯田大火」の復興過程で当時の飯田市立飯田東中学校の生徒達の提案により生まれ、今日まで代々東中の生徒の手で育てられている。生徒の行う作業は、施肥・剪定・花粉付け・草取り・収穫と全般に及ぶ。最初に植えられた1953年(昭和28年)11月当時のりんごの木も残されており、接ぎ木するなどとして守られている。1999年(平成11年)には並木全体が大きな公園として整備された。これ以降、犬の散歩をする人や水遊びをする子どもなどが増え、生活道路として定着していった。地元住民らの管理によってりんご並木は守り継がれ、2001年(平成13年)に「美しい信州の景観づくり功労賞」を受賞するなど、高い評価を受けている。また並木通りは、大火の教訓から町の防火帯としても機能するように考慮されている。市街地の8割を焼き尽した飯田の大火後に飯田市中心街は二本の30m幅員の防火帯道路が街の中心で交差し、町が4分割になるように整備された。万が一の大火災時に四分の一の町の焼失でくい止め、それ以上の延焼を防ぐ為である。元来りんご並木は並木通りとして作られたのではなく、この防火帯道路の中央にある緑地帯にりんごの木が植えられた。飯田市は1947年(昭和22年)に、市街地の約4分の3を焼き尽くす大火に見舞われ、復興時に市街地の防火帯としての機能を兼ね備えた、飯田市諏訪町(大宮神社前) - 扇町(市営動物園前)の区間に、延長1200m、幅員30mの街路がつくられた。その街路の中央通りから扇町までの延長40mの中央分離帯に、飯田東中学校の全校生徒が「りんごの実が輝く美しいまちに」という願いを込めて、りんごの苗木40本を植えたのが始まりである。その後、同中学校緑化部(現・並木委員会)の生徒たちを中心に、りんごの苗木は大切に育てられ、初夏には白い花をつけ、夏から秋にかけてリンゴの果実が実るようになり、生徒たちの手で収穫されて、市内の各施設へ「愛の贈り物」として届けられるようになった。しかし、最初に植えられてから半世紀以上がたち、1960年代からモータリゼーションが到来すると、周囲環境の変化により自動車とりんごの共存が難しくなってきたため、飯田市では、りんごが育つ都市環境の作り、人が集まる楽しいまち、次世代の子どもたちに誇れる整備を目標に、飯田東中学校の生徒と15の市民団体で構成された「りんご並木まちづくりフォーラム」で、りんご並木の再整備プランが策定された。この再整備によって、りんご並木を継承しつつ歩道と車道の区分けをなくし、公園のような道路へと生まれ変わり、りんご並木の北側に延長約800mの桜並木も作られた。2001年(平成13年)には、りんご並木沿いに再開発ビル「トップヒルズ本町」が完成した。トップヒルズ本町は、まちなか居住を推進するビルであり、上層階に居住機能を、下層階に商業や市役所機能を配置した。続いて2002年(平成14年)に高齢者向けアパート「アシストホームりんご」が設立され、2004年(平成16年)には「トップヒルズ第二」の建設が始まった。これら一連の事業には第三セクターかつTMOの株式会社飯田まちづくりカンパニー(まちカン)が関与している。
出典:wikipedia
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