ネルソン・ラモン・クルーズ・マルティネス(Nelson Ramón Cruz Martinez Sr., 1980年7月1日 - )は、ドミニカ共和国・モンテ・クリスティ州モンテ・クリスティ出身のプロ野球選手(外野手、指名打者)。右投右打。現在はMLBのシアトル・マリナーズに所属している。アマウリ・リーバスは従弟である。ティーンエイジャーのころはバスケットボールをプレーしており、野球を始めたのは16歳。当時は強打の右打者モイゼス・アルーに憧れていた。2月17日にニューヨーク・メッツと契約し、ドミニカン・サマーリーグで3年間を過ごす。8月30日にホルヘ・ベランディアとのトレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した。はルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックスで23試合に出場し、打率.250・3本塁打・16打点・6盗塁だった。はA-級バンクーバー・カナディアンズで63試合に出場し、打率.276・4本塁打・25打点・12盗塁だった。はA級ケーンカウンティ・クーガーズで119試合に出場し、打率.238・20本塁打・85打点・10盗塁だった。はA+級モデスト・ナッツとAA級ミッドランド・ロックハウンズ、AAA級サクラメント・リバーキャッツでプレー。AA級ミッドランドでは67試合に出場し、打率.313・14本塁打・46打点・8盗塁だった。オフの10月15日にアスレチックスとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした。2004年12月15日にキース・ジンターとのトレードでジャスティン・レアーとともにミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した。2月10日にブルワーズと1年契約に合意。この年はAA級ハンツビル・スターズとAAA級ナッシュビル・サウンズの2クラスで計128試合に出場して打率.289・27本塁打・81打点・OPS.923・19盗塁を記録、9月にメジャー昇格を果たす。メジャー初出場は17日のヒューストン・アストロズ戦で、8回裏の守備から登場し、9回表の初打席ではエセキエル・アスタシオに中飛に打ち取られた。7試合目の出場となった28日のシンシナティ・レッズ戦で、アーロン・ハラングからメジャー初安打となる二塁打を放つ。3月25日にブルワーズと1年契約に合意。同日にAAA級ナッシュビルへ配属され、開幕を迎えた。この年はAAA級ナッシュビルで104試合に出場し、打率.302・20本塁打・73打点・17盗塁、だった。2006年7月28日にブルワーズの主砲カルロス・リーとともに、フランシスコ・コルデロら4選手との交換でテキサス・レンジャーズへ移籍することになった。ブルワーズは抑え投手のデリック・ターンボウが不振に陥っていたため、レンジャーズから新たな抑えとしてコルデロを獲得することに成功。一方のレンジャーズはこの時点で既に28本塁打しているリーを獲得し打線を強化した。ただこのトレードにおいては、クルーズが交換要員に含まれるかどうかがトレード成立の鍵となっており、レンジャーズGMのジョン・ダニエルズは「交換相手にネルソンが入っていなかったら交渉は合意に達してなかっただろうね」と、クルーズを高く評価していた。移籍したクルーズはメジャーへ昇格し、8月16日のロサンゼルス・エンゼルス戦では自身初の満塁本塁打を放った。さらに9月4日のアスレチックス戦ではランニング本塁打も記録している。2月26日にレンジャーズと1年契約に合意。正右翼手としての期待がかかっていた。開幕ロースター入りしたものの6月3日まで43試合で打率.188・3本塁打・OPS.551と低迷し、AAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ降格される。オクラホマでは44試合で打率.352・15本塁打・45打点・OPS 1.125と活躍し、7月下旬にメジャーへ再昇格すると53試合で打率.276・6本塁打・OPS.778と復調の兆しを見せた。2月15日にレンジャーズと1年契約に合意したが、3月25日にDFAとなった。4月3日にAAA級オクラホマシティへ降格し、開幕を迎えた。なかなかメジャーに定着することができないため「AAA級では活躍できるのに、メジャーへ上がると力を発揮することができなくなる」という意味で「典型的な」と揶揄されることもあった。AAA級オクラホマシティで103試合に出場して打率.342・37本塁打・99打点・OPS 1.124・24盗塁の好成績を収め、パシフィック・コーストリーグのMVPを受賞。8月25日にレンジャーズとメジャー契約を結び、31試合で7本塁打と、年間36本ペースで本塁打を量産しシーズンを終えた。この活躍によって、以降右翼手がなかなか固定できなかったレンジャーズにおいて、クルーズは翌のレギュラー候補筆頭となった。2月20日にレンジャーズと1年契約に合意。開幕前の3月に第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出された。一次ラウンドのパナマ戦ではマニー・コーパスからソロ本塁打を放っている。ドミニカ共和国はこのパナマ戦には9-0で圧勝したが、オランダに連敗して一次ラウンド敗退となった。シーズンでは、4月6日のクリーブランド・インディアンスとのMLBシーズン開幕戦には4番・右翼として先発出場。その後も正右翼手として出場を続け、6月終了時点で76試合中72試合に出場、打率.262・19本塁打・47打点・OPS.862・12盗塁を記録し、前年のリーグ打点王ジョシュ・ハミルトンが故障で長期欠場した穴を補う活躍を見せた。オールスターには故障したトリー・ハンターの代役として初選出され、試合にこそ出場しなかったが、前日に開催された本塁打競争では準優勝した。シーズン通算ではチーム最多・リーグ8位の33本塁打を放ち、盗塁数も20に達している。3月4日にレンジャーズと1年契約に合意。開幕後は左右のハムストリングを痛め3度にわたり故障者リスト入りし、出場数は108試合にとどまる。それでも2年連続の20本塁打・70打点は達成し、打率やOPSは前年の.260/.856から.318/.950へと上昇させた。また延長戦で5本塁打(うち3本はサヨナラ本塁打)を放っており、シーズン最多記録に並ぶ勝負強さを見せている。レンジャーズはこの年のアメリカンリーグ西地区で優勝し、11年ぶりにポストシーズン進出。タンパベイ・レイズとの地区シリーズを3勝2敗で、ヤンキースとのリーグ優勝決定戦を4勝2敗で、それぞれ制して球団史上初のリーグ優勝とワールドシリーズ進出を決めた。この2シリーズ11試合でクルーズは5本塁打・5二塁打・8打点を挙げ、また地区シリーズの最終第5戦では同点の場面から三盗を敢行して敵失を誘い決勝のホームを踏むなど、打撃だけでなく走塁でもチームの勝利を呼び込んだ。ただサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズは、チームは1勝4敗で敗れ世界一はならず。結果的に最終戦となった第5戦では、クルーズは3点ビハインドの7回裏にティム・リンスカムからソロ本塁打を放つも、9回裏二死の場面ではブライアン・ウィルソンの前に空振り三振を喫し、シリーズ最後の打者となった。1月18日にレンジャーズと365万ドル+出来高15万ドルの1年契約に合意。4月1日のボストン・レッドソックスとのシーズン開幕戦で本塁打を放つと、これを皮切りに4日のシアトル・マリナーズ戦まで4試合連続本塁打。ウィリー・メイズ()とマーク・マグワイア()に次いで史上3人目となる、開幕戦からの4試合連続本塁打を達成した。クルーズ本人は「理由はわからない。正しいアプローチができていて、勝負どころで打つべき球を打っているということなんだろうね」と話している。しかしその後は前年同様に足の故障に悩まされ、5月には右大腿四頭筋痛で、8月には左ハムストリング痛で、それぞれ故障者リスト入り。チームは地区2連覇を達成したものの、クルーズ自身は9月の月間打率が.190と不振の状態でポストシーズンへ突入した。前年と同じ顔合わせとなったレイズとの地区シリーズを3勝1敗で突破し、迎えたデトロイト・タイガースとのリーグ優勝決定戦でクルーズは一転して好調となり、ポストシーズン史上最多の1シリーズ6本塁打・13打点をたたき出す。特に第2戦では7回裏に同点のソロ本塁打を放つと、延長11回にはポストシーズン史上初となるサヨナラ満塁本塁打。レンジャーズは4勝2敗でタイガースを下して2年連続リーグ優勝を成し遂げ、クルーズはシリーズMVPを受賞した。開幕前の3月に第3回WBCのドミニカ共和国代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会でドミニカ共和国は優勝を果たした。ベストナインにも選出された。シーズンでは、4年ぶりにオールスターに選ばれた。しかし、バイオジェネシス・スキャンダルによって禁止薬物購入が発覚し、同年8月5日に50試合の出場停止処分を受けた。10月31日にFAとなった。2月24日にボルチモア・オリオールズと800万ドルの1年契約を結んだ。この年は指名打者や左翼手として起用され、前半戦はリーグ2位の28本塁打を記録した。7月にはオールスターにファン投票の指名打者部門で選出された。本塁打を最終的に40まで伸ばし、初の打撃タイトルを獲得した。ポストシーズンでも好調を維持し、リーグチャンピオンシップシリーズの第2戦では、ポストシーズン史上初となる5試合連続複数安打を記録した。オフの10月30日にFAとなった。2014年12月4日にマリナーズと総額5800万ドルの4年契約を結んだ。、春先から好調を維持し、4月だけで10本塁打を放って打率.322・OPS1.096を記録。その後もバットの勢いは衰えず、オール・スターまでに87試合に出場し、打率.308・21本塁打・53打点という好成績をマーク。3年連続でオール・スターのメンバーに選出された。試合には「4番・DH」でスタメン出場したが、ヒットは放てなかった。後半戦もコンスタントにアーチを生産し、最終的には自己ベスト且つア・リーグ2位の44本塁打を放った。2013年から2014年にかけて、2年連続40本塁打以上放ったのは、クルーズが唯一である。また、打率は自身3度目の.300以上となる.302をマークしたが、規定打席をクリアしたシーズンとして.300を超えたのは、初めてである。他方、44本中31本がソロ本塁打だった事もあって打点が伸びず、100を超えずに93 (自己2位) に留まった。その他の打撃部門では、安打・得点・塁打の各部門でも自己ベストを更新した。守備については、DHとしての出場が多く72試合であり、ライトの守りに就いたのは80試合だった。内容は、4失策・守備率.975・DRS - 8という成績に終わり、良いとは言えなかった。
出典:wikipedia
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