LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

竹内道之助

竹内 道之助(たけうち みちのすけ、1902年1月25日 - 1981年4月20日)は、日本の翻訳家、実業家、三笠書房創立者。東京府東京市深川区(現・東京都江東区)出身。本所高等小学校卒業。正則英語学校、アテネフランセに通い英語、ドイツ語、フランス語を習得。 藤澤衛彦の主宰の雑誌『伝説』の編集に携わる。のち、梅原北明が企画して福山福太郎が創設した「文芸資料研究会」に参加し、雑誌『奇書』や「変態文献叢書」の編集を手がける。1930年には酒井潔らの協力をうけ「風俗資料刊行会」を設立し、雑誌『風俗資料』『デカメロン』らを編集刊行した。そののち、哲学者三木清らのグループや、唯物論研究会との親交を重ね、1933年に妻富子と共に、社会科学書、ヨーロッパ・アメリカ文学の翻訳書の刊行を主とする、三笠書房を創立。「唯物論全書」「ヘッセ全集」、米川正夫訳を中心としたドストエフスキー全集、また友人フランス文学者の齋藤磯雄訳ヴィリエ・ド・リラダンの作品集、五来達訳で最初のマルセル・プルースト『失われた時を求めて』等を刊行。1938年『文庫』を創刊し、友人・大久保康雄の翻訳や小説を載せ、自らは藤岡光一の筆名で翻訳を行う。1940年大久保康雄訳『風と共に去りぬ』を刊行するが発禁、戦後大久保との共訳の形で再刊し、ベストセラーとなる。1945年、三笠書房を株式会社に改組。1952年には村岡花子訳『赤毛のアン』を刊行してベストセラーとし、戦後の一時期、外国文学の翻訳で一世を風靡した。竹内当人は英国の人道主義的作家A・J・クローニンのほぼ全作品を翻訳。1968年ころから三笠書房が経営不振に陥り、1973年に会長に退き、以後、翻訳に専念した。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。