マゼラン雲(マゼランうん、, )とは、銀河系の近くにある2つの銀河、大マゼラン雲 (Large Magellanic Cloud = LMC) と 小マゼラン雲 (Small Magellanic Cloud = SMC) の総称である。共に局部銀河群に属する矮小銀河である。希に、マゼラン星雲 (Magellanic Nebulae)、マゼラン銀河 (Magellanic Galaxies) とも。銀河系の伴銀河である(と、定説によって最近まで見なされてきた)。地球からは、現在、天の南極からそう遠くない、赤経約1時 - 5時、赤緯約−70度付近に見える。大マゼラン雲と小マゼラン雲は互いには7万5000光年離れており、見かけの上では天球上で21度離れている。20世紀末まで、大マゼラン雲と小マゼラン雲は銀河系に最も近い銀河と2番目に近い銀河と考えられていた。しかし、1994年にいて座矮小楕円銀河 (SagDEG) が発見され、順位は繰り下がった。大マゼラン雲も小マゼラン雲も、濃度の高いガスが分布しており(銀河系のおよそ10倍の濃度)、その結果、現在もさかんに新たな星が誕生しつづけている。そして両銀河の移動した軌跡には、両銀河が含んでいた中性水素ガスが残され、その結果、ちょうどジェット機が飛行した軌跡には飛行機雲が残るように、マゼラン雲が移動した軌跡(宇宙空間)には巨大なガス帯(ガスの筋)「マゼラニックストリーム」が残されている。(なお、そのガスの帯は公転する両銀河と回転する銀河系の双方の引力、およびガス自体の引力の影響を受け、相互作用によって、単純化されたモデルではなかなか解析しにくいようなかなり複雑な動きをしている。)両銀河は、銀河系の強い潮汐力を受けている。両銀河は棒渦巻状の構造を持つが、潮汐力により大きく乱れているのである。一方で、銀河系のディスクのほうも、マゼラン雲の影響でわずかに変形している。大マゼラン雲と小マゼラン雲の両銀河は銀河系の伴銀河(“衛星銀河”)であり、つまり人類の住む地球を含む銀河系の周囲を公転している、というのがハッブルによる説明以来、定説でありつづけた。いったい両銀河の移動速度はどれほどなのか?という問いに関しては、ハッブルによる指摘以来、ほぼ定説となっているマゼラン雲は伴銀河だとする説および、その時点での銀河系の総質量のおおざっぱな推定値を用いて、両銀河の移動速度(公転速度)の推定値を計算する、ということが何度か行われた。やがて、計算で推定するだけでなく、実際に測定をしてみるということが考えられるようになった。ただし測定するといっても、マゼラン雲全体はおおむね形を保った状態で(平行)移動しているのでマゼラン雲の星々を観測するだけでは測定できるわけではなく、マゼラン雲のはるかかなた遠方に存在するクエーサーを背景の目印とすることで、それに対してマゼラン雲が相対的に(横方向に)移動し、地球から見た角度が時とともに変化してゆくのを測定する、という方法が思いつかれた。ただし、あらかじめ推算されていた推定値からすると、その角度の変化は非常に小さく、現在の高精度(高分解能、高解像度)の望遠鏡で観測するにしても、数日~数カ月単位では検出困難で、年単位の時間間隔をあけなければ検出できないだろう、ということはあらかじめ予想されていた。予想される検出すべき角度の変化というのは、100km先の1mm程度の移動を検出するくらいの小ささで、困難を極めると予想された。仮に現在の高解像度のハッブル望遠鏡を用いてもほぼ限界の領域である。また地球の望遠鏡を動かすことで望遠鏡に及ぼす重力が変わることの影響で生じるわずかな望遠鏡のゆがみで正しく測定できなくなるとも考えられた。宇宙望遠鏡科学研究所のらのグループは、ハッブル宇宙望遠鏡を用いて、同望遠鏡の分解能のほぼ限界のレベルを用いて4年間にわたってマゼラン雲内の25か所の場所の移動速度を測定し、そして測定画像を1年以上かけて解析した。その移動速度は480km/s(秒速480km)と算出された。観測によって得られたこの速度は、あらかじめ行われていた推算値よりも数割以上大きい。この速度は、両銀河が銀河系に重力的に束縛されていない可能性を示唆している、とも言う。もしこれが正しいなら、マゼラン雲の効果として説明されてきた現象は修正の必要がある、とも言う。(天文学者たちも驚いているのだが)ごく最近になって、マゼラン雲というのはハッブル以来の定説で言われているような「銀河系をめぐる伴銀河」ではなく、どうやらマゼラン雲は、どこかから銀河系の近くにやってきた銀河であって、今たまたま銀河系の近くにあるというだけで、やがて数十億年後には銀河系の引力を振り切ってかなたに去ってゆき、その後 銀河系とマゼラン雲は再び出会うことは無いのだ、と理解されるようになりつつあるのである。肉眼で容易に見えるので、南半球および北半球低緯度の人々には、原始時代から知られていたと思われる。中東では見えないものの、イスラム時代までには旅行者などにより知られていたようである。最初の記録は964年にペルシャの天文学者アル・スーフィーが『星座の恒星の書』 " に、LMCを「白い牡牛」 Al Bakr として記録し、バブ・エル・マンデブ海峡(北緯12.5度)より北では見えないと記している。なお、大マゼラン雲のほうがやや北に位置し、比較的容易に見える。ヨーロッパ人に知られるようになったのは、1519年から1522年のフェルディナンド・マゼランによる世界一周航海に参加したヴェネツィアのアントニオ・ピガフェッタが記録してからである。世界一周の航海においては夜も航行しつづけるわけで、夜間でも進行方角や自船の位置を確認する必要があるわけであるが、(北半球では北極星を見つければよいのだが、南半球で緯度が低くなるにつれて北極星は見えなくなるので)マゼランらは夜空の星々の中に白っぽい星雲(マゼラン雲)を見つけることでそれを行った、と記されているのである。ただし、当時は無論「マゼラン雲」とは呼ばれておらず、この逸話にちなんでその星雲に「マゼラン」の名が冠されるようになったのはかなり後のことである。1603年のヨハン・バイエルの『ウラノメトリア』では、"Nubecula Major" (「大雲)の意」), "Nubecula Minor" (「小雲」の意) として載っていた。1795年の『フラムスティード天球図譜』(第3版)には、"Le Grand Nuage
出典:wikipedia
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