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栗山巧

栗山 巧(くりやま たくみ、1983年9月3日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手)。兵庫県神戸市西区出身。神戸市立小寺小学校時代は神戸市少年団リーグの小寺に所属し、武内晋一と同リーグだった。神戸市立太山寺中学校時代はヤングリーグの「神戸ドラゴンズ」に所属し、チームの一年後輩には坂口智隆がいた。育英高校に進学し、2年時には3番左翼手として第72回選抜高等学校野球大会、第82回全国高等学校野球選手権大会に春夏連続出場。春は開会式直後の1回戦で國學院栃木高校と対戦し初戦敗退。夏は大会第1試合となる1回戦で田村彰啓を擁する秋田商業高校と対戦して勝利するも、準決勝で中村一生・山田憲らを擁する東海大浦安高校に敗れた。自身は5試合で打率.348、9打点を記録。3年夏は兵庫大会5回戦敗退。高校通算47本塁打。のドラフト会議において、西武ライオンズから4巡目指名を受け入団。背番号は52。西武についての印象を聞かれ「ずっと強いチーム、憧れていた」と答えている。イースタン・リーグで51試合に出場。二軍で打率.274、出塁率.359、7本塁打を記録。フレッシュオールスターゲームに選出されスタメンフルイニング出場した。二軍で打率3割、11本塁打を記録し優秀選手を受賞。西武にとってレギュラーシーズン最終戦となった9月24日の大阪近鉄バファローズ戦(京セラドーム大阪)でスタメン9番・レフトで一軍初出場・初安打を記録した。3・4月に打率3割を記録して一軍に定着し、セ・パ交流戦でも5本塁打を放つなど、84試合に出場して打率.297、出塁率.357を記録した。8月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦で空振りした際に右手首を痛め、直後に小林雅英から満塁本塁打を放ったが、翌日に有鈎骨の骨折と判明し戦線離脱。シーズン終盤に一軍に復帰した。オフにはフェニックス・リーグに参加。初めて100試合以上に出場。チーム2位の45四球を選んで出塁率.380、得点圏打率.324を記録し、チームトップの勝利打点10を挙げた。オフに背番号を1へ変更。5月4日の対ロッテ戦で一塁手のフリオ・ズレータが弾いた栗山の打球を、二塁手のホセ・オーティズがグラブを投げて止め、公認野球規則に則り安全進塁権を3つ与えられ三塁打となった。これについて栗山は「ルール知りませんでした」、ヘッドコーチの黒江透修は「40年以上の野球人生で見たことがない」と発言した。同年は2番に固定され自己最多の138試合に出場、初めて規定打席に到達して打率.317、チーム3位の49四球、同2位の出塁率.376、得点圏打率.325、72打点を記録した。初タイトルとなる最多安打を獲得した他、22犠打、17盗塁と小技足技も向上してリーグ優勝と日本一に貢献し、ベストナインにも選出された。オープン戦で55打数22安打、打率.400だったが、開幕直後は21打席連続無安打を記録した。6月には18試合中9試合でマルチヒットを放ち、交流戦チームトップの打率.333を記録。その後新型インフルエンザに感染した。同年は自己最多を更新する140試合に出場し、打率.267、リーグ9位の106三振を記録、サウスポーに対して打率.350、リーグ4位の6三塁打、同9位の18盗塁を記録し、外野守備ではリーグトップの守備率.997、同3位の8補殺を記録した。外野手としては球団史上初の144試合フルイニング出場を、2年ぶりの3割超となる打率.310に、共に自己記録を更新する出塁率.400、74打点を記録。2度目となるベストナイン選出に加え、ゴールデングラブ賞を初受賞した。12月21日、兼ねてから交際していた3歳年上の一般人女性と同月14日に入籍したことが公表された。2番打者・5番打者として起用されていたが、片岡易之が故障で離脱した7月以降は1番打者として起用され、好不調の波が激しかったチームにおいて安定した打撃で貢献した。2年連続で全試合フルイニング出場を達成したが、ケガの影響から9月8日の対ロッテ戦より従来の中堅から左翼の守備に回り、その後シーズン終了まで左翼手として起用され、2年連続の打率3割超、得点圏打率は両リーグトップの.380を記録した。5月6日の対楽天戦では田中将大から球団通算8000号本塁打となる決勝2点本塁打を放った。11月には右ひじの遊離軟骨除去手術を受けた。2番、1番で起用されたが、8月21日の対福岡ソフトバンクホークス戦で左前腕に死球を受け、途中交代。連続試合フルイニング出場も、パ・リーグ歴代2位の390試合で途切れた。故障の状態からシーズン中の復帰は絶望となり、翌日に登録抹消されて以降は再昇格することなくシーズンを終えた。すでに規定打席に到達していたが、打率.289に終わり、3年連続の打率3割を逃した。なお、この年より中島裕之に代わり、キャプテン(主将)となった。2年ぶりに全試合出場、自身4年ぶり4度目の二桁本塁打で自己最多タイとなる12本塁打を記録したが、打率は前年を下回った。前年に続き全試合出場。前年を上回る打率(.288)、出塁率(.394)を残したものの、打点、本塁打数では前年を下回った。オフには球団史上初のゴールデンスピリット賞を受賞。6月19日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、史上120人目の通算1500安打を記録した。7月4日、オールスターゲームの監督推薦選手が発表され、プロ15年目にして初めて選出された。7月15日の第1戦(福岡ヤフオクドーム)の7回の左翼守備で初出場。9回表に2点本塁打を放った。オールスターでの初打席初本塁打は16人目。この活躍で第1戦の敢闘賞に選ばれた。手元までボールを呼び込みバットを振り切る打撃を持ち味とし、選球眼、出塁能力、投手に球数を費やさせる能力に優れる。藤井康雄は栗山について「実に嫌らしいバッターに成長しましたね。粘っこいし、広角に打ち分ける技術を持っている。またボールを呼び込んで打つタイプなので三振が少なく、どんなボールにも対応することができる。」などと評している。一軍定着当初は左翼手や指名打者として起用され、打撃に比べて守備走塁面が課題とされていたが、2009年途中から「いつかは守りたい」と同年の開幕前に話していた中堅手に定着。2009年にはレンジファクターと刺殺でリーグトップの数値を記録した。しかし、ゴールデングラブ賞を初受賞した2010年はリーグ3位の守備率.994を記録したものの、守備イニング500以上の選手の中でワースト4位のUZR-5.2と落ち込んだ。2011年途中から故障の影響もあって再び左翼手で起用され、2012年には守備イニング500以上の左翼手で両リーグ2位のUZR13.9を記録した。走塁面では一塁到達まで3.90秒で、盗塁に関しても「20個以上走れたら(盗塁できたら)、『アイツは走れる』というイメージがつくと思うので狙っていきたい」と述べている。愛称はクリ、栗坊、マロン、タクミなど。少年時代からプロ野球選手になるのが夢で、当時はオリックス・ブルーウェーブのファンクラブにも加入しイチローのサインボールを持っている。

出典:wikipedia

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