カルタス("Cultus" )とは、スズキが1983年(昭和58年)から2002年(平成14年)にかけて製造、販売していた乗用車である。スズキが送り出した小型乗用車は、1965年(昭和40年)から1969年(昭和44年)にかけて製造・販売されたフロンテ800以来、2車種目。また、低価格からパトロールカーとして交番などによく配備された車でもある。尚、当項では「カルタス クレセント」(その後、マイナーチェンジでカルタスに変更)についても説明する。造語。「崇拝」を意味するラテン語が語源の英語「CULT」(カルト)は、「CULTURE」(カルチャー = 文化) につながる接頭辞で、文化・教養に関係が深く「思想のあるクルマは文化だ」という主張と、「現代のクルマ文化に貢献したい」というスズキの願いを込めたもの。アメリカ、コロラド州で毎年アメリカ独立記念日の前後に開催されるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに1989年及び1991年 - 1993年までの間、2代目カルタスをベースとしたスペシャルマシン「スズキスポーツ・ツインエンジン・カルタス」が参戦している。ただし、ベースと言ってもそれは外観だけであり、軽量なパイプフレームのシャシに400 PS を発生する直列4気筒 1.6 L エンジンを前後に搭載し、合計800 PS/92.3 kgf·m に達するというオリジナルとは似ても似つかぬモンスターマシンであった。この2基のエンジンは電子制御とEMCDと呼ばれる電磁クラッチ式センターデフで制御されていた。当時のスズキは大排気量エンジンを開発、製造しておらず、エンジン2基搭載という破天荒な発想は適当なエンジンがない故の苦肉の策でもあった。また極端とも言える馬力設定も、パイクスピーク山頂付近では空気が薄く、高度が上がるにつれてエンジンパワーが低下していくため、予め高めの設定としたためである。そして、一連のスズキ・パイクスピーク用マシンの外観的な特徴でもある巨大なウイングも、空気の薄くなる山頂付近においてもダウンフォースを得られるよう風洞実験を繰り返し作られたものである。このマシンの開発した田嶋伸博は自らドライバーとして乗り込み、パイクスピークに挑んだ。初参加の1989年はリタイアであったが、改良を加えTYPE2となって2年越しの1991年に12分34秒51で完走を果たし、パイクスピークオープンクラスで3位という好成績を挙げた。1992年、1993年共にアンリミテッドクラス(改造無制限)で完走、1993年は総合2位の成績であった。スズキ及びスズキスポーツは、この経験を元に後のエスクードやSX4等の数々のモンスターマシンを作り上げていくこととなる。ちなみに1990年は2代目カルタスベースのスズキスポーツ・カルタスGT-iでオープンラリークラスで参戦。2000年には3代目ベースのスズキスポーツ・ツインエンジン・カルタスでパイクスピークオープンクラスに挑んだが、どちらも決勝でリタイアしている。
出典:wikipedia
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