大西 宏明(おおにし ひろあき、1980年4月28日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。愛称はジミー(ジミー大西から)。高校時代は攻守の要でエース上重聡や主将平石洋介と共にチームを牽引。1998年の第70回選抜高等学校野球大会では準決勝敗退。第80回全国高等学校野球選手権大会で繰り広げられたPL学園対横浜延長17回においては、春の準決勝でも対戦した横浜高校の松坂大輔投手から一時は同点打となる左翼前安打を放った。近畿大学を経て、2002年ドラフト7位で大阪近鉄バファローズに入団する。は2軍スタート。入団当初は俊足と守備力が買われた一方で、打撃に関しては期待されていなかった。しかし、打撃コーチであった鈴木貴久が大西の打撃センスに目をつけて熱心に指導した結果、打撃でも力をつけていき、二軍では打率.310、7本塁打の成績を残し、シーズン終盤には一軍出場も果たした。2004年は下山真二の不振もあり、左キラーとして1軍に台頭した。4月2日の対オリックス戦では、プロ初本塁打を初回先頭打者本塁打で飾ったが、この年入団したラリー・バーンズが後に来日初本塁打を満塁本塁打で記録することで、先頭打者本塁打と満塁本塁打により初本塁打を記録した選手が同一年に揃ったのは、史上2例目となっている。その後一度二軍降格したが、再昇格以後は帯同して103試合に出場。主に7番・左翼で起用された。5月17日に鈴木が急逝すると、当時監督だった梨田昌孝は翌日から2日間、不動の1番・中堅手だった大村直之に代えて大西を起用している。また、プロ野球再編問題が報じられた6月13日の対日本ハム戦では、9回裏に横山道哉からプロ入り初のサヨナラ打となるサヨナラ犠飛を放っている。この年に新人王・最優秀救援投手に輝いた三瀬幸司から3本塁打を放つなど、対左投手に無類の強さを見せた。以降、対左投手に対しての起用が多くなっていく。同年夏に近鉄の本拠地大阪ドームで開催のフレッシュオールスターゲームにオールウェスタンの1番中堅手で先発出場。オフの選手分配ドラフトによってオリックス・バファローズに移籍。2005年は開幕戦で3番・中堅として先発出場を果たす。仰木彬監督の期待に応え夏場までは好成績を残したが終盤に不振に陥り、最終的には打率.241、6本塁打と、開幕前の期待に比べると物足りない成績となった。中村勝広GMが監督就任したはケガもあり、79試合の出場に留まるものの、打率.272、7盗塁とまずまずの成績を残した。この年以降、1番で起用されることが増える。の開幕はベンチスタートだったが、坂口智隆の不振により1番・中堅に抜擢された。師匠である鈴木の命日であった5月17日の対ソフトバンク戦では、7回表の打席で鈴木の応援歌が演奏される中、和田毅から同点の2点適時打を放って逆転勝利に繋ぎ、チームのシーズン2度目の大型連敗を6で阻止した(大西は「鈴木さんが打たせてくれた」とコメントしている)。一時は4割を超える打率を残し、完全に不動の1番として定着したかに見えたが、6月に入ると大幅に調子を落とし、以後はほぼ左投手のときに出番が限定される。その後も調子はあがらず、9月に降格。再昇格した坂口が好調だったため、閉幕まで1軍に戻ることはなかった。結局、83試合に出場して打率.247、4本塁打と不本意な成績に終わる。対左投手の方が打率が低く、1番で多く起用されたにもかかわらず、得点圏打率こそ.389ながら、無走者からの出塁率が低いなど、ちぐはぐな1年であった。12月17日、古木克明との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。12月19日に入団会見が行われ、背番号は33となった。はオープン戦で調子があがらず、開幕後初打席で全球見逃して三振となり、チームの登録抹消第1号となってしまう。二軍で.538という驚異的な打率を残し、4月終盤には1軍に復帰すると、暫くは好調な打撃を維持する。6月11日の対オリックス戦で、金子千尋から3ランを放って古巣に痛烈な恩返しを見せたものの、以後は不振に陥り、相手先発投手が左投手の時にスタメンが限られてしまった。それでも、自己最多の105試合に出場し、打率.270を記録した。は移籍2年目にしてチームの選手会副会長に任命され、前年度以上の働きが期待された。開幕戦の1番・中堅は松本啓二朗となり、前年同様ベンチスタートとなる。代打を中心に起用されたものの、一時は打率が1割を切るほどの大不振に陥り、登録を抹消された。外野守備に就いたのは18試合で、最終的には44試合の出場で打率.141、本塁打0本、打点6という結果に終わった。は出場試合が少ないなか打率3割をマークするも、10月1日に戦力外通告を受けた。11月10日、12球団合同トライアウトにて4安打を放ち盗塁も決めた。12月3日に福岡ソフトバンクホークスと育成選手として契約した。。は育成選手として福岡ソフトバンクホークスでプレーするも、10月9日には前年の横浜に続き、2年連続で戦力外通告を受け、ホークスをわずか1年で退団する。11月7日に自由契約公示された。12月24日、MBSテレビ「せやねん!」のスポーツコーナーに生出演し、現役引退を表明した。2012年4月25日、大阪市東心斎橋に自らオーナーを務める焼肉店「笑ぎゅう」をオープン。2016年3月、独立リーグBASEBALL FIRST LEAGUEの06BULLS理事に就任した。
出典:wikipedia
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