LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

鹿又智成

鹿又 智成(かのまた ともなり、1979年8月4日 - )は、日本の男性総合格闘家。東京都昭島市出身。パラエストラ八王子所属。ブラジリアン柔術黒帯。2002年9月29日、第9回全日本アマチュア修斗選手権ウェルター級(-70kg)に出場、決勝で甘利芳紀を破り優勝を果たした。2002年11月15日、帯谷信弘戦でプロ修斗デビュー。東日本アマチュア選手権で敗れて以来の再戦だったが、判定0-0で引き分けに終わった。2003年1月24日、新人王トーナメント1回戦では甘利芳紀に、準決勝は滝田J太郎に共に腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めるも、決勝での帯谷との再戦は開始直後に右フックダウンを奪われTKO負けを喫した。また3月30日にはアブダビコンバット日本予選77kg未満級に出場、雷暗暴、小谷宏明、川尻達也に勝利し決勝に進出するも、決勝では石田光洋にポイント0-2で敗れ、本大会出場を逃す。2004年7月4日、修斗で天突頑丈と対戦し、0-0の判定ドロー。2005年2月6日、修斗のメインイベントで松下直輝との対戦が予定されていたが腰痛のため欠場。8月、全日本ブラジリアン柔術選手権紫帯レーヴィ級(-73kg)決勝でタクミを破り優勝を果たした。1か月後の9月23日には修斗で美木航に判定勝利を収めた。2006年にはD.O.G.に出場、2連勝を遂げた後、CAGE FORCEが中心となり発足したワールドワイド・ケージネットワーク(WWCN)に加盟するCage Warriorsに派遣され、ライト級王者アレッシャンドリ・イジドロへの挑戦権を賭けたトーナメントに出場。1回戦、準決勝を勝ち上がると、決勝ではヤルッコ・ラートマキを三角絞めで下し優勝を果たした。2007年は4月のCage Warriorsのタイトルマッチが延期となり、CAGE FORCEのライト級王座決定トーナメントに出場。3月17日の1回戦では"ダイソナー"・ジェームス・シディックに開始直後にダウンを奪いTKO勝利、2回戦では高橋渉に判定勝利を収めた。準決勝のアルトゥール・ウマハノフ戦はCAGE FORCE 04で行われる予定であったがウマハノフが7月にHERO'SでTKO負けしたため休養期間を取り欠場、鹿又も負傷のため欠場しCAGE FORCE EX -eastern bound-に延期となった。11月11日に行われた準決勝では2Rにウマハノフの頭部が鹿又の鼻にバッティングし負傷、試合続行不能となり怪我をしていないウマハノフが勝者となった。2008年4月5日、CAGE FORCE 06ではウマハノフの王座返上により空位となったライト級王座決定戦で廣田瑞人と対戦し、1RにパウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。その後10月25日にロシアの頭突き有りの大会「World Absolute Fighting Championship」で復帰し、ジャマル・クルバノフに判定勝利。12月6日にはCAGE FORCE 09でエリヤに一本勝ちを収めた。2009年2月28日、CAGE FORCE EX -eastern bound-で児山佳宏に0-3の判定負け。2009年8月8日、初参戦となったパンクラスで赤井太志朗と対戦し、0-1の判定ドロー。2010年3月7日、SRC初参戦となったSRC12でマルロン・サンドロと対戦し、1R開始9秒右アッパーでKO負け。2010年11月3日、パンクラスで大澤茂樹と対戦し、0-0の判定ドロー。12月5日、パンクラスでアライケンジの引退試合の相手を務め、開始24秒チョークスリーパーで絞め落としレフェリーストップによるTKO勝ちを収めた。2011年9月4日、フェザー級暫定キング・オブ・パンクラスタイトルマッチでタクミと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。