田辺 義三(たなべ よしぞう、1937年4月12日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。桐生高校では3年生の時に第27回選抜高校野球大会に出場。今泉喜一郎とのバッテリーで決勝に進出し、坂崎一彦、山本八郎、広島尚保がいた浪華商業高校に4-3でサヨナラ負けとなり準優勝。第37回高校野球選手権にも出場したが2回戦で並木輝男がいた日大三高校に4-10で敗れた。1956年に西鉄ライオンズへ入団し、その年に日本シリーズ出場。高卒ルーキー捕手の日本シリーズ出場は、田辺以降2012年の近藤健介(日本ハム)まで56年現れなかった。その後も1年先輩の和田博実とポジションを争ったが控えに甘んじた。試合前の打撃練習中のボールが後頭部に当たり、言語障害などの後遺症が残ったために、選手生活を断念して1964年限りで引退した。同年12月8日、内村祐之コミッショナーにより、球団から田辺に200万円の補償金(当時の限度額)を支払うよう要請し、球団も同意して田辺に200万円の補償金が支払われた。
出典:wikipedia
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