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近鉄特急

近鉄特急(きんてつとっきゅう)とは、近畿日本鉄道(近鉄)が運行している有料特急列車の総称である。近鉄特急の歴史については「近鉄特急史」を、近鉄特急のダイヤ変更の詳細については「1987年までの近畿日本鉄道ダイヤ変更」および「1988年からの近畿日本鉄道ダイヤ変更」をそれぞれ参照されたい。大阪、名古屋の2大都市をはじめ、三重県の四日市や津、奈良県橿原等の地方都市、京都、奈良、飛鳥、吉野、伊勢志摩等の観光地に路線網を張る近畿日本鉄道は、路線の大半で座席指定の有料特急を運行し、都市間輸送、レジャー輸送、通勤輸送、観光輸送など様々な需要に対応した特急運用を行なっている。運行頻度、本数は私鉄最大で、複数系統が全路線の約8割をくまなく走行し、特急ネットワークを形成している。そして、系統の異なる特急が各接続駅で相互に連絡のうえ、系統間をまたいだ移動の自由度、およびフリークエントサービスを提供している。特急には特急専用車両が限定で用いられ、JRのように特急車両を特急運用以外の用途(ホームライナー、快速、普通の各列車)に用いる事例はない。また、南海特急「サザン」、名鉄特急のような一般車(自由席車両)と混成する運用も存在せず、一般通勤車両および運用とは厳格に区別されている。座席は回転式リクライニングが基本で、伊勢志摩観光向けとしてソファタイプのグループ席も用意されている。現在1日約400本を運行する近鉄特急も、1947年に創始された時は大阪から名古屋間1日4本(2往復)であった。その後、同区間で国鉄の優等列車と競合しながら着実に需要を伸ばし、1963年までに路線改良や特急車の増備を経て都市間連絡を主体とした特急が3系統、78本まで増発された。しかし、1964年10月の東海道新幹線開業を転機として運行体系を抜本的に見直す必要に迫られ、特に新幹線と運行区間が重なる大阪 - 名古屋間特急はスピードと利用頻度において新幹線に太刀打ちすることは不可能で、また料金面で大差がないことから大きくシェアを落とすことが予想された。近鉄特急は創始以来、大阪 - 名古屋間特急を主体として営業展開を行ってきたが、新幹線の出現によって瓦解の危機に直面し、このため、新幹線のスピードを利用する方策に転じた。つまり、新幹線の高速輸送によって東京から近畿・中部地区の観光地まで概ね3時間の範囲に収まることを逆手に取り、関東から来た客を名古屋ないし京都乗換えのうえ自社線内の観光地に誘致して新たな需要を喚起することになった。この戦略の転換によって都市と観光地を結ぶ系統が相次いで新設された。そして主要幹線を特急が縦横に駆け回り、各接続駅で特急列車同士の乗継に配慮したダイヤとしたことから、その堅密に連携された特急網をして特急ネットワークと称され、その運行スタイルは今に至るも近鉄特急の特徴となっている。また、制度の面からも、乗り継ぎの際の特急料金の算定方式や、特急券の発券様式を利便性の高いスタイルにすることで、特急ネットワークをバックアップしている。近鉄沿線には過疎地域や山間部が多く、大都市圏並の輸送量を持つ路線の割合は全体の30%に過ぎず、残りの70%は閑散路線で構成されている。このことは、大都市圏を中心に路線を展開し、その営業距離が近鉄よりも遥かに短い東急をはじめ阪神の各電鉄と比較しても近鉄路線の採算状態が芳しくないことを示している。さらに同じ広域鉄道網を持つ首都圏の東武と比較しても、近鉄は東武と違って首都圏の通勤輸送という大きな収益源を持たない分、厳しい条件に置かれている。その弱点をカバーするために、閑散路線を経由する形で沿線に散らばる大都市、中小都市、観光地を特急列車で有機的に結合のうえ、旅客流動を創出して採算を得ている。そのために特急専用車両を使用し、全席指定、かつ高速輸送、そして旅客の需要に合わせた運用を行い、それらのサービスの見返りとして、特別急行料金を徴収して長大路線の維持管理運営を行なう原資としている。近鉄が歴史的に特急運営及び特急車両の質的改善にこだわりを見せる要因の一つが、このような事情にあるとされる。現在の近鉄特急の各列車には「のぞみ」などの列車名が存在しないため、本節では各列車の解説手段として、近鉄部内で呼び慣わしている系統名を用いる。現在、近鉄特急には、大阪、京都、名古屋を起点に各地方都市、観光地を結ぶ系統が8つ存在し、例えば、この内の大阪 - 名古屋間系統の場合は「名阪」と称する。この定義に沿って8つの系統名を言い表せば、名阪(めいはん)、阪伊(はんい)、名伊(めいい)、京伊(けいい)、京橿(けいかし)、京奈(けいな)、阪奈(はんな)、吉野(よしの)で、以下その順番で解説する。また、本節では系統名の下に特急と付記して「名阪特急」と記述する。さらに他社の「快速特急」「準特急」などの公式的な派生種別は存在しないが、あくまで近鉄部内における呼称として、名阪、阪伊、名伊の3系統について、速達タイプの停車駅の少ない特急を甲特急、主要駅停車タイプの特急を乙特急と区別のうえ呼称しており、本節でも解説の便宜上、それに倣う。ただし、「しまかぜ」については甲・乙の区別を特にしていない。「アーバンライナー」「伊勢志摩ライナー」「しまかぜ」「さくらライナー」「青の交響曲」の名称は車両固有の名称であって列車名ではない。ただし、「しまかぜ」(50000系電車)と「青の交響曲」(16200系電車)のように観光特急専用車両で運用する特急列車については、近鉄が既存の特急とは別に案内していることから、阪伊特急、京伊特急、名伊特急(「しまかぜ」)および吉野特急(「青の交響曲」)の各節では述べず、「観光特急しまかぜ」および「観光特急青の交響曲」の節で別途解説する。本節では編成表も掲載しているが、掲載対象は時刻表に使用車両の記載がある固定編成系列を主体とした。汎用特急車両については運用日直前まで車種および両数が確定しないため一例だけを例示するか割愛した。各系統の運行区間と停車駅を下図に示す。図では主要駅に停車する標準的な特急と、長距離を直通で結ぶために途中の駅にはほとんど停車しない特急を分けて示した。また、天理、湯の山温泉方面などの臨時運行は除外した。名阪(めいはん)特急は近鉄名古屋駅 - 大阪難波駅間に運行され、近鉄名古屋駅 - 鶴橋駅間を原則、津駅のみに停車する甲特急と、三重・奈良両県内の主要駅に停車する乙特急の2種類がある。名古屋線と大阪線を直通するため、途中の伊勢中川駅には入線せず、同駅手前に設けられた短絡線でショートカットする。列車ダイヤは、近鉄名古屋駅・大阪難波駅とも甲特急が毎時00分発、乙特急が30分発を基本ダイヤとしている。土休日には近鉄名古屋駅8時20分発と、16 - 18時台の近鉄名古屋駅25分発、大阪難波駅20分発の甲特急が加わる。大阪難波発の列車のうち平日の乙特急の大半と、土休日の甲特急の大半が大阪難波駅で阪神なんば線方面からの快速急行の接続を受けるダイヤになっている。甲特急は上下列車とも津駅で名伊乙特急と接続し、甲特急が停車しない桑名、近鉄四日市、白子の各駅と大阪を連絡する。また、乙特急は大和八木駅にて京伊特急や京橿特急と接続して愛知県や三重県と奈良県、京都府間における都市間連絡の役割も担う。名阪乙特急の設定は1時間に1本となっているが、名伊乙特急と阪伊乙特急が伊勢中川駅で接続するため、大阪と名古屋線沿線都市、あるいは名古屋と大阪線沿線都市との連絡は時間あたり実質3本となる。名阪特急の列車番号は、下りを奇数、上りを偶数とする原則の例外とされる。これは大阪に向かう名阪特急が名古屋線で下りとして走行しても、中川短絡線経由で大阪線に入線した際に、大阪線の上りに変化するため、奇数偶数に捉われない番号を付与しているためである。00分発の甲特急の場合、大阪から名古屋へ向かう特急は発車時刻に合わせた番号として(8時始発なら8列車)、これとは逆方向の名古屋から大阪ゆきの場合は50をプラスする(8時始発なら58列車)。また、30分発の乙特急の場合はさらに100をプラスする(大阪難波駅8時30分発は108列車、逆方向は158列車)。甲特急の車両は、専用系列である21020系電車(アーバンライナーnext)や21000系(アーバンライナーplus)が充当される。このため、甲特急は全席禁煙となっている。乙特急は基本的に汎用特急車が充当されるが、時間帯によっては21000系も名阪甲特急の間合いで充当される。系統自体は近鉄特急の中では最も古く1947年10月に上本町駅(現・大阪上本町駅) - 近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)間で運転を開始している。当時は大阪線と名古屋線の軌間が異なっていたことから、伊勢中川駅で乗り換えを要した。1948年7月からは大阪線側の名阪特急が宇治山田駅まで延長され、名阪特急には伊勢連絡の役割も付与された。1959年12月には名古屋線の軌間拡幅工事完成に伴いダイヤ変更を実施、新製された10100系に置き換えて名阪間乗り換えなしの直通運転が開始されたが、伊勢中川駅には停車して、伊勢中川駅 - 宇治山田駅間の短区間特急と接続することで伊勢連絡は継続された。しかし、その翌月(1960年1月)には伊勢中川駅を無停車化して(実際はスイッチバックのための運転停車)鶴橋駅 - 近畿日本名古屋駅間でノンストップ運転を開始、名阪特急における伊勢連絡は廃止された。また、この時から乙特急が設定された。1961年3月29日には中川短絡線が開通して伊勢中川駅におけるスイッチバックを廃止した(当初は甲特急のみが短絡線を経由していたが、1963年3月21日から乙特急も短絡線を経由)。1964年10月に東海道新幹線が開業すると甲特急のシェアは大きく低下したが、乙特急は途中駅間利用の利便性から乗車率が年々向上して本数も増加の一途を辿り、衰退傾向の甲特急とは対照的な動きを見せた (これ以後の甲特急の動向は「新幹線と近鉄名阪特急」にて後述)。1970年3月21日からは難波線開業によって近鉄難波駅(現・大阪難波駅)発着に改められた。1990年3月からは朝晩の甲特急が津駅と大和八木駅に停車して以降は年毎に停車列車が拡大され、2012年3月ダイヤ変更をもって全ての甲特急が津駅停車となったことにより、ノンストップ運行は終了し、津駅で前後を行く名伊特急の接続を受けるダイヤとなった。2016年3月19日のダイヤ変更により、近鉄名古屋駅発の甲特急が土休日に1本増発された。また近鉄名古屋駅6時発の甲特急(土休日のみ)が乙特急に格下げされ、大阪難波駅21時発の甲特急の停車駅に白子、近鉄四日市、桑名の各駅が追加されるとともに、伊賀神戸駅に停車する乙特急が増加した。さらに途中駅始発の区間運転列車が廃止された。名阪特急は東海道新幹線の開通直後は所要時間・運賃の両面で優位性を失った。特に新幹線と直接競合する甲特急は大打撃を受け、名阪間における近鉄のシェアは、1964年上期の69%から、1965年には32.7%、1966年には19%とわずか2年で大幅に下落した。そして凋落傾向のシェアに連動して、編成も短縮され、1編成として成り立つ最小単位の2両ないし3両による運用が常態化した。その後も新幹線における「ひかり」の料金値下げ(「こだま」との料金格差の廃止)や「ひかり」への自由席設定などが追い討ちをかけ、1976年3月18日のダイヤ改正ではついに甲特急の減便を実施し、同時に全列車を2両編成運転とした。ところが、1976年11月に実施された国鉄の運賃・料金大幅引上げを契機として、名阪特急は運賃面で優位となったことから、乗客数が急速に増加に転じ、これに併せて翌1977年1月18日のダイヤ改正では早くも全列車2両編成での運転を見直し、3両ないし4両編成の列車も再び設定され、1980年3月18日のダイヤ改正ではついに甲特急の2両編成の列車が消滅し、最低編成両数は3両編成となった。その後も国鉄の運賃・料金の値上げは繰り返し実施されたこともあり、名阪特急の乗客数の伸びは著しく、甲特急の編成は乙特急のそれと同様に長大化され、3ないし4両編成の列車のほか、5両から最大8両の編成で運転される列車が出るなどした。この傾向に拍車をかけるため、1988年3月には、21000系(アーバンライナー)が6往復の甲特急に投入された。効果として、最大6分の所要時間短縮もさることながら、綿密なマーケティングリサーチを行なって車両やサービスに反映したことが功を奏し、結果的に名阪特急全体で概ね1割の需要増加を見た。この成功により、甲特急全列車の21000系化と、21000系の一部8両編成化が実施された。その後、数回の近鉄の料金値上げ(JRは消費税導入時および消費税率改定時を除き、運賃・料金ともに据え置いている)や、バブル崩壊後の景気の悪化ならびに少子高齢化など、沿線人口の減少による乗客減も加わって、21000系投入以前の実績に逆戻りしているが、割引率の高いクーポン券の導入やユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業も手伝って、ある程度の回復を果たしている。名阪間の所要時間は、東海道新幹線が名古屋駅 - 新大阪駅間で最速48分、地下鉄でのアクセス時間を加えても名古屋 - 難波間は1時間20分前後となっている。また、フリークエンシーも近鉄が時間あたり片道2本(伊勢中川駅乗換え便を加えても4本)であるのに対し、新幹線は概ね10本となっており、双方で不利な近鉄特急は以下の条件で対抗している。阪伊(はんい)特急は、大阪と伊勢志摩を結ぶ特急で、大阪難波駅・大阪上本町駅 - 名張駅・伊賀神戸駅・松阪駅・宇治山田駅・五十鈴川駅・鳥羽駅・賢島駅間に列車が設定されている。名阪特急と同様に、停車駅の少ない甲特急と、主要駅停車の乙特急がある。乙特急は伊勢中川駅で名伊乙特急、大和八木駅で京橿特急と相互に接続し、名阪乙特急もしくは京伊特急の補完列車としての役割も兼ねる。従って、名阪特急の停車しない大和高田駅・榛原駅などから名古屋方面への利用を可能とする他、京都線内特急停車駅と名古屋線内特急停車駅との連絡も可能としている。基本毎時2本が設定され、うち1本が難波線と志摩線直通の大阪難波駅 - 賢島駅間の運行(朝8時台、9時台は大阪上本町駅始発)、残り1本が大阪上本町駅 - 宇治山田駅、五十鈴川駅(土休日の始発のみ)間もしくは鳥羽駅間の区間運行で、それぞれが交互に運行されている。宇治山田駅ないし鳥羽駅止まりの特急で志摩線内に行く場合は後述の志摩線直通の名伊特急が連絡する。上り大阪方面行も同様で、志摩線内から乗車の場合、直近の列車が名古屋ゆき名伊特急の場合は鳥羽駅や五十鈴川駅、宇治山田駅にて始発の阪伊特急が連絡する。なお、大阪方面発で夕方以降、志摩線直通列車が運行されない時間帯は、終着駅で名伊特急が連絡する。深夜帯に近くなるにつれ運行区間も短縮され、名張駅止まりが最短区間となる。また20時以降は全列車が大阪難波駅始発となる。なお、大阪線内では名阪乙特急と運行区間が重複することから、大阪市内と大和八木駅または名張駅間の移動であれば、1時間に3本、20分ヘッドの運行となる。甲特急は大阪難波駅と賢島駅間の運行で、土休日のみ1往復となっている。下りは大阪難波駅を9時20分、上りは賢島駅を15時に発車し、乙特急とは別枠で設定されている。汎用特急車両の他、23000系「伊勢志摩ライナー」も投入される。なお、23000系は車両検査のため汎用特急車両に差し替える場合がある。甲特急は23000系の限定運用である。本系統は1948年7月、軌間の相違から分割運転されていた名阪特急の大阪線側、上本町駅 - 伊勢中川駅間を宇治山田駅に延長する形で誕生している。しかし、名古屋線の改軌完了後の1959年12月ダイヤ変更で名阪特急は統合され、従来は大阪 - 伊勢間が直通であった運行体系が、伊勢中川駅乗り換えのうえ、この時に新設された伊勢中川駅 - 宇治山田駅間の短区間特急と接続する形態に変更された。翌1960年1月には名阪甲特急が鶴橋駅 - 近畿日本名古屋駅間をノンストップ運転化するため、伊勢中川駅を無停車化したことで伊勢連絡が利かなくなることへの補償として、上本町駅 - 宇治山田駅間に乙特急5往復が新たに設定された。以後、高度経済成長の波に乗って運行本数も拡大され、1967年には甲特急も設定された(1970年までは週末のみ運行。)。1994年の志摩スペイン村開業により甲特急を一部時間帯は1時間当たり片道2本とするなど増発が図られたが、その後のバブル崩壊による乗客減のほか、マイカー観光の増加など観光ニーズの多様化とリゾートブームの終焉によって伊勢志摩観光の需要が低迷したため、観光列車としての性格が強い甲特急は逐次本数が減少し、土休日の1往復を除いて運転取りやめになった。名伊(めいい)特急は、名古屋と伊勢志摩を結ぶ系統で、近鉄名古屋駅 - 津駅・松阪駅・宇治山田駅・五十鈴川駅・鳥羽駅・賢島駅間で運行されている。阪伊特急と同じく、甲乙両タイプが設定されている。乙特急は伊勢中川駅で阪伊乙特急と連絡し、名阪間のフリークエンシーを高めている。一部の列車は津駅で名阪甲特急に接続し、大阪と白子、近鉄四日市、桑名の各駅を連絡している。列車本数は近鉄特急中最大である。ビジネス利用の多い上り朝時間帯と下り夕方時間帯に本数が多く、日中は上下片道それぞれ2本運行が基本である。ただし近鉄名古屋駅から津駅までの移動であれば、運行区間が重複する名阪乙特急も本数に加わることから、1時間に3本、20分ヘッドの運行となる。阪伊特急と同じく志摩線直通の列車と宇治山田駅ないし鳥羽駅止まりの列車が交互に設定され、後者で志摩線に向かう場合は志摩線直通の阪伊特急が連絡する。上りも概ね同様の運行・連絡体系だが、日中の一部列車が五十鈴川駅始発化するなどの違いもある。また下りの場合、志摩線直通便は19時台の運行で終了となり、以降は終着駅で各駅停車による接続となる。深夜になるにつれて運行区間も短くなり、最終は津駅止まりである。甲特急は近鉄名古屋駅と賢島駅間の運行で、土休日のみ1往復となっている。下りは近鉄名古屋駅を9時25分、上りは賢島駅を14時40分に発車し、乙特急とは別枠で設定されている。汎用特急車両を軸に、23000系「伊勢志摩ライナー」や21000系「アーバンライナー」も投入される。甲特急は23000系の限定運用である。本系統の設定は1960年1月だが、名古屋と伊勢を連絡すること自体は1948年7月から開始されている。これは当時、軌間の相違から分割運転されていた名阪特急の名古屋線側(近畿日本名古屋駅 - 伊勢中川駅間)と、宇治山田駅まで延長された大阪線側の名阪特急を、伊勢中川駅で接続させることで名古屋と伊勢を連絡したものである。1959年12月には名古屋線の改軌に伴い、分割運転していた名阪特急は統合のうえ、上本町駅 - 近畿日本名古屋駅間で直通運転が開始されたが、この時に設定された伊勢中川駅と宇治山田駅間を結ぶ短区間特急と接続させることで名伊連絡は存置された。しかし、翌1960年1月、名阪甲特急の伊勢中川駅無停車化によって伊勢連絡が無視されたことに対する補償として、近畿日本名古屋駅 - 宇治山田駅間に乙特急5往復が新たに設定された。従って、名阪、阪伊、名伊の3系統は設定の経緯からして密接に関係している。1965年10月には甲特急も設定された(宇治山田行きのみ伊勢市駅停車、近畿日本名古屋行きは無停車)。当初は5往復だったこの系統も、名古屋駅で旧国鉄との接点を持っていることから東海道新幹線の開業を機に自社路線の観光客引込みの手段として重要視され、また、中部経済圏の発展と共にビジネス需要の増加もあって増発を重ねた。しかし、後述の「快速みえ」の設定をはじめモータリゼーションの進展、少子高齢化、そして伊勢志摩観光の低調もあって輸送量は近年低下傾向にある。名古屋駅-鳥羽駅では、近鉄に並行するJR・伊勢鉄道に快速列車「みえ」号が設定されている。運行を開始した当初、下り列車は名古屋毎時10分発だったが、2003年10月のダイヤ改正以降は名伊特急が設定されない名古屋毎時35分発、2013年3月以降は37分発(8時 - 17時)に運行されるパターンダイヤになっている。なお、近鉄では名阪乙特急が近鉄名古屋駅を毎時30分に発車し、近鉄名古屋駅 - 津駅間にて競合するが、「みえ」は単線区間で列車交換を行なうため、津駅へは乙特急が先着する。名古屋駅 - 津駅の運行頻度も近鉄特急が名阪特急と合わせて1時間あたり4本と多い。料金面では、近鉄特急は全席指定で特急料金が必要であるのに対し、「みえ」は指定席を除いて乗車券以外の追加料金は不要であり、また伊勢鉄道線経由の運賃合算分を考慮に入れても近鉄特急より安くなる。例えば、近鉄特急の近鉄名古屋駅 - 松阪駅間2,580円と比べて、快速みえは1,650円で930円下回る。さらに「快速みえ得ダネ4回数券」では、一枚当たりの金額が同一区間の近鉄運賃をも下回るため、近鉄特急のみならず急行にも対抗する。京伊(けいい)特急は、京都市と伊勢志摩を結ぶ特急列車で、京都駅 - 松阪駅・鳥羽駅・賢島駅間で運転されている。近鉄は大阪方面に新幹線との接続駅を持っていないことから、西日本(中国地方、四国地方、九州地方)からの新幹線利用者およびJR在来線利用者に対する伊勢志摩への観光客輸送の使命を担っている。名古屋線特急停車駅から大和西大寺駅・近鉄丹波橋駅・京都駅への連絡や、阪伊乙特急の実質増便の役目を負うほか、大和八木駅 - 新ノ口駅間は大阪線と橿原線を結ぶ短絡線を走行することから、名阪乙特急と相互接続の際は大和八木駅2階の大阪線ホーム上での乗換を可能としている。運行形態は、下り(京都から伊勢志摩方面ゆき)は京都駅を朝8、9時台、夕は16、17時台に出発する各1本ずつで、上りは京都駅に9時前、10時半頃、17時半頃、18時半頃に到着する上下合わせて4往復が設定されている。汎用特急車両ほか、1往復に23000系「伊勢志摩ライナー」が投入される。本系統は後述する京橿特急と同様、東海道新幹線の高速輸送によって、関東の旅客を近鉄沿線の観光地へ呼び込むことを目的として1966年12月に設定された。運転開始当初は2往復を設定。京橿特急が大和八木駅で阪伊特急との乗り換えの不便をかこっていたのに対し、本系統は乗り換えなしの直通運転とすることを狙いとした。しかし、京都線・橿原線と大阪線・山田線で架線電圧が異なり、車両限界も異なっていたため、専用の狭幅18m級車体を備えた複電圧車である18200系が用いられた。設定当初は単独運転となっていたが、大阪線の単線区間の運行可能本数の制限から、大阪線系特急が増発され、京伊特急も5往復に増発された翌1967年12月より大和八木駅 - 宇治山田駅間について阪伊乙特急との併結運転に変更された。新青山トンネル開通に伴う大阪線全線複線化完成によって輸送力に余裕が生じた1976年3月より再び単独運行に戻され、同時にほぼ全ての便が大和八木駅 - 松阪駅間無停車となり、甲特急と乙特急の中間的な性格を有する列車となった。その後の需要低迷により2003年3月より名張駅と伊勢中川駅に全ての列車が停車するようになり、閑散時間帯の一部列車について大和八木駅 - 賢島駅間で阪伊乙特急との併結が27年ぶりに復活した。併結列車については榛原駅・伊賀神戸駅・五十鈴川駅にも停車した。2012年3月20日のダイヤ改正から、全列車が五十鈴川駅に、朝の上り1本と夕方の下り1本が高の原駅に停車をしている。また、このダイヤ改正でこの系統が大幅に削減(朝夕に計4往復のみの運行で、昼間時は京橿特急へ変更し、大和八木で阪伊乙特急に接続)され、阪伊乙特急との併結運転も取りやめとなった。1970年の賢島駅直通以降の運行距離は195.2kmで、全系統中最長であるが、日中1時間ヘッドの時代においてさえ京都と伊勢志摩を直通する旅客は稀で、京都 - 奈良間、奈良県と三重県、愛知県間の利用客がメインであった。運休日を除く週6日運転(ただし春休み・夏休み・ゴールデンウィーク・年末年始時は毎日運転)で大阪難波駅・京都駅・近鉄名古屋駅 - 賢島駅間を各1往復している。運休日は原則的に大阪難波駅発着は火曜日、京都駅発着は水曜日、近鉄名古屋駅発着は木曜日となっている。「しまかぜ」に乗車する場合、特急料金の他に「しまかぜ」特別車両料金、個室を利用する場合は「しまかぜ」特別車両料金に上乗せする形で個室料金が必要である。3便とも下りは10時台の出発で、伊勢神宮最寄り駅の伊勢市駅、宇治山田駅には12時前後、賢島駅には13時前後の到着となり、上りは各終着駅に17 - 18時台の到着となる。これは東京や広島から新幹線で連絡の場合、朝は8時頃出発、夜は20時前に到着可能な時間設定である。車内で最もスタンダードな座席のプレミアムシートでも横に3列配置でシートピッチは1,250mm、座席に本革を使用のうえレッグレストとマッサージ機能を装備するなど、JRのグリーン車を凌ぎグランクラスに迫るハイレベルな構成となっている。また、1号車と6号車はハイデッキ構造(床面が平床車よりも72cm高い)で天井部まで窓が周り込む展望車両である。そのほか、個室が2部屋(洋風と和風タイプを用意)、セミコンパートメントのサロン席が3ボックス(1ボックス4人以上6人までの利用が可能)用意される。また、観光特急であることからそれに相応しいサービスが実施されている。専属アテンダントが4名乗車のうえ、乗客の出迎え、見送りをはじめ、車内販売や記念乗車証・おしぼりの配布を行う。この他、カフェにおいて「海の幸ピラフ」や「松阪牛カレー」、「海の幸皿うどん」、ワイン、伊勢志摩オリジナルのスイーツやビールが提供される。一部のメニューはカウンターで購入後、プレミアムシートで味わうことも出来るほか、各個室ではルームサービスも実施する。50000系の限定運用である。本系列が3編成のみの在籍で毎日各地から3往復の運用を行っていることから、多客期をのぞき、原則毎週1回の運休日を設け、車両検査などを行っている。2013年(平成25年)3月21日から運行を開始した。大阪難波、近鉄名古屋の両駅から賢島駅まで各1日1往復が設定されたが、2014年(平成26年)10月10日から京都駅 - 賢島駅間でも運用を開始した。京橿(けいかし)特急は、京都と奈良県中部の橿原市を結ぶ列車で、京都駅・大和西大寺駅 - 橿原神宮前駅間を運行している。本系統は京都駅における新幹線、JR在来線との接続の他に、近鉄丹波橋駅において京阪沿線(枚方・出町柳・三条など)との接続を図り、ほか、西ノ京駅を唐招提寺、薬師寺、垂仁天皇陵への歴史・観光施設散策への利便性の観点から日中時間帯に限って停車させている。大和八木駅では阪伊、名阪乙特急と接続して三重県、愛知県の各都市および観光地と連絡し、橿原神宮前駅では吉野特急と接続のうえ近鉄線内の各都市から吉野、大峰山等の吉野熊野国立公園一帯への観光輸送の橋渡しとしての役割を担っている。終日毎時2本運行が基本である。ただし、朝夕の京伊特急が運行される時間帯は京都駅 - 大和八木駅間で運行区間が重複するため、1時間間隔となる。後述する京奈特急とは日中時間帯に毎時2本の内の1本が京都駅 - 大和西大寺駅間で併結運行する。汎用特急車両のみの運用となっている。1964年10月1日に運行開始、当初は6往復が設定された。この系統は、関東から東海道新幹線で西下した客を京都駅乗換えのうえ近鉄沿線の観光地に呼び込み、名阪間における旅客の減少分をカバーすることを狙いとした。また、大阪線、名古屋線、山田線以外の線区で初めて設定された系統でもあり、従来が都市間輸送をメインとする運行体系の近鉄特急を、都市と観光地を連絡することに方針転換させると同時に、以後拡大していく特急ネットワークの端緒ともなった。翌年には、後述する吉野特急の新設に伴って、橿原神宮前駅接続のうえ、吉野、大台ケ原方面への連絡輸送も開始された。2012年3月20日のダイヤ改正からは、昼間の一部列車が京奈特急と併結して運転している。同時に日中の京伊特急廃止を補完するため毎時1本から毎時2本に増やした。京奈(けいな)特急は、京都市と奈良市を結ぶ列車で、京都駅 - 近鉄奈良駅間で運転されている。後述する阪奈特急と同様、京都駅 - 近鉄奈良駅間39.0kmという短距離を運行する特急であるが、こちらは京都市・奈良市の二つの古都を結ぶことから、観光的側面や東海道新幹線を利用した客を奈良方面へ輸送する側面が強く、終日ほぼ毎時2本運行している。毎時2本のうち、日中は1本が京橿特急と京都駅 - 大和西大寺駅間で併結運行する。運行区間の大部分となる京都駅 - 大和西大寺駅間は、京橿、京伊の両特急と重複することもあって、特急の運行密度が最も高い時間帯で1時間で4本、概ね15分間隔となる。汎用特急車両をメインとするが、この系統は京伊特急と京橿特急の西大寺車庫への車両回送を兼ねていることから京伊特急1往復に充当される23000系「伊勢志摩ライナー」が本系統の運用に入る。京橿特急より2か月遅れの1964年12月から運転を開始した。京橿特急の京都駅における2時間の運用間合を活用するための設定で、当初は5往復であった。2012年3月20日のダイヤ変更から、昼間の一部列車が京都駅 - 大和西大寺駅間を京橿特急と併結して運転している。これにより日中は毎時1本の単独列車と毎時1本の併結列車による1時間2本運転となった(変更前は単独列車のみの毎時2本)。併結列車は大和西大寺駅での増解結作業の影響でダイヤ変更前と比べて約5分所要時間が延びている。なお、現在では全列車が京都駅 - 近鉄奈良駅間での運転となっているが、1972年11月7日実施のダイヤ改正から1973年3月1日のダイヤ改正前日までは、近鉄奈良駅に入らずに大和西大寺駅発の京都行きの列車も3本設定されていた。阪奈(はんな)特急は、大阪と奈良市を結ぶ列車で、大阪難波駅 - 大和西大寺駅・近鉄奈良駅間で運転されている。その運行距離32.8kmの短さから所要時間は35分前後で、同区間を走る快速急行及び急行と比べても大差はない。また、フリークエンシーも後者が10分間隔で圧倒的であることから、特急の存在意義は着席保証とハイグレードサービスに限定される。また、当区間は通勤路線としての性格も大きいことから、この系統は着席ニーズに応える通勤特急としての色彩も強い。運行スタイルは平日と土休日では大きく異なる。平日は下り(大阪から奈良方面ゆき)が朝の1本を除いて全て夕刻から夜間の運行で、上りは朝10時台までと夕刻から夜間に設定されている。土休日は下りが朝の1本と昼以降は概ね1時間間隔、上りは終日概ね1時間間隔となる。また、下りの夜間は平日、土休日を問わず概ね30分間隔の運行となる。阪奈特急の設定されない時間帯には快速急行や急行が大阪難波駅(および阪神線) - 近鉄奈良駅間の速達輸送の役目を担っている。汎用特急車両を運用のメインとするが、この系統は阪伊特急と名阪特急の一部車両の西大寺車庫への車両回送を兼ねていることから、23000系「伊勢志摩ライナー」(土休日のみ)や21000系「アーバンライナー」が本系統の運用に入る『近鉄時刻表』2014年9月21日ダイヤ変更号、202 - 224頁、360 - 381頁。本系統は、1973年9月に運転を開始した。設定当初は平日日中も1時間間隔で運行されていたが、1999年3月のダイヤ改正にて利用率が低かった平日日中の特急(上下合わせて12本)は廃止された。なお、1956年11月から阪奈特急の運転開始される前の奈良線では通勤形車両を使用する料金不要の「特急」が設定されていたが、これは1972年11月に停車駅追加のうえで快速急行に種別を改めている。吉野(よしの)特急は、大阪と奈良県中部の吉野町を結ぶ列車で、大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮前駅・吉野駅間で運転されている。南大阪線・吉野線は、歴史的経緯から軌間が1067mm(狭軌)で、ほかの特急が走る路線の1435mm(標準軌)と異なっているため、直通運転ができず運行系統上は独立している。大阪方面から橿原神宮・飛鳥(明日香)・吉野・大台ケ原・大峰山(大和上市駅または下市口駅下車バス連絡)への観光客輸送と、前述した京橿特急との連絡輸送、そして通勤輸送を担っている。概ね30分間隔で運行されるが、11時台から14時台の日中は1時間間隔となる。ただし多客期は終日30分間隔となる。橿原神宮前駅 - 吉野駅間は吉野線の前身である吉野鉄道開業以来の急峻な山岳線であり、急カーブと勾配の連続する単線であることから、その所要時間は同区間の急行の最速列車と比べて大差はない(日中の標準的な所要時間差は約15分に拡大)。また、南大阪線内も、前身の大阪鉄道時代の線形を引き継いでいるために急カーブが随所に存在することから最高速度が大阪線・名古屋線系統より10km/h低い110km/hに設定されており、他線区の特急と比べて全区間の表定速度が低く抑えられている。汎用特急車両の他、26000系「さくらライナー」が使用され、当該系列で運用される列車ではイニシャルのSLを図案化したロゴタイプが時刻表に掲示される。前述の京橿特急と同様のコンセプトで設定された系統であり、東海道新幹線の出現により都市間連絡から都市対観光地を結ぶ方針に力点を移す過程で設定されたのが本系統である。当初は新幹線開業日より運行開始された京橿特急と同時に設定される予定だったが、当時大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間で運行されていた快速「かもしか」(1961年までは不定期特急)のモ5820形では、性能はもとより接客設備の面でも有料特急のネットワークにはめ込むには無理があったため、翌1965年の16000系の竣工を待ったうえでの運行とされた。こうして同年3月18日より1日6往復(うち不定期列車3往復)で運転を開始し、全列車が橿原神宮駅(現・橿原神宮前駅)で京橿特急と連絡することで特急ネットワーク拡充の一端を担った。以後、車両増備に伴って増発され、現在に至るまでに概ね30分ヘッドで運行されている(閑散期の日中は1時間ヘッド)。運転開始当初の途中停車駅は、橿原神宮駅・下市口駅・大和上市駅・吉野神宮駅の4駅のみであったが、吉野地区への観光客の減少による飛鳥・葛城地区での新たな観光需要の掘り起こしや、通勤需要をはじめとする日常的利用者の増加のため平成に入ってから停車駅が次々と追加され、1999年のダイヤ変更で11駅(2012年のダイヤ変更で一部列車は12駅)となり、特に吉野線内においては事実上の「隔駅停車」状態となった。このため大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の最速列車の到達時間は、運転開始当初の68分から76分に伸びた。この改正を機に南大阪・吉野線内利用の場合に限り特急料金の距離加算をやめ、一律500円(現在は510円)とした。改正前は大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間の全線を乗車した場合、870円(当時)であったが大幅に値下げされた 。運休日を除く週6日運転(ただし春休み・夏休み・ゴールデンウィーク・年末年始時は毎日運転)で大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間を2往復している。運休日は原則的に水曜日となっている。ただし「しまかぜ」とは異なり、運休日であっても純然たる運休とはせず、一般特急車により同時刻・同停車駅で代走運転を実施する。なお、この場合は「青の交響曲」の愛称は付かない。「青の交響曲」に乗車する場合、特急料金の他に「特別車両料金」が必要である。6200系を改造した16200系が導入されている。天理教月次祭(毎月26日)やその他天理教の祭事時に、天理臨として京都駅・近鉄名古屋駅から天理線の天理駅まで臨時特急列車が設定される。大阪・名古屋と三重県北西部に位置する湯の山温泉を結ぶ列車で、新幹線開業を契機とした特急ネットワーク拡充の一環として1965年7月に運転を開始し、近鉄難波駅(現・大阪難波駅)・近鉄名古屋駅 - 近鉄四日市駅 - 湯の山温泉駅間を運行していた(1983年以前は原則として上本町駅(現・大阪上本町駅)発着)。1971年12月8日からは近鉄四日市駅付近の高架化工事により、湯の山線への直通を一旦中止して湯の山線内のみの運転(同改正当時5往復)となったが、高架工事が1973年に完成後、その翌年の1974年9月20日より上本町駅・近鉄名古屋駅から各1往復が単独運行で再開した。なお、運転開始から1967年までと1974年の直通再開から1980年までの間、大阪発の湯の山特急は名阪乙特急のスジを利用した単独運転であった。1980年には名阪乙特急のスジから独立して単独運転となった(ただし、名阪乙特急の近鉄難波駅発着に対して、湯の山特急は上本町駅発着となった)後、1983年から1998年までは近鉄難波駅始発となり、名阪乙特急との併結運転のうえ、湯の山線が分岐する近鉄四日市駅の構内配線の都合上、白子駅で分割・併合していた。1974年以降、名古屋行きの列車は名湯特急として独立した運行ダイヤを組んでいた。近鉄名古屋始発は1983年に廃止され、以後1997年まで湯の山温泉発近鉄名古屋行き1本のみであった。湯の山観光の足として長きにわたって親しまれたが、西名阪自動車道開通による観光客のマイカーへの転移もあって、次第に利用客が減少し、末期の2002年3月には近鉄四日市駅 - 湯の山温泉駅間の線内のみを土休日に限り2往復するという運行形態(ただし、近鉄四日市駅で名阪乙特急と接続する)となったが、乗客数の減少はいっそう進み、2004年3月のダイヤ変更をもって廃止となった。2008年には御在所ロープウェイ開通50周年と鈴鹿国定公園指定40周年を記念し7月下旬から8月上旬の土日祝日計9日間に近鉄名古屋駅 - 湯の山温泉駅間で臨時特急が運転された。また、2009年にも「湯の山温泉サマーライナー」として同じく7月下旬から8月上旬の土日祝日計9日間に近鉄名古屋駅 - 湯の山温泉駅間で臨時特急が運転された。車両は2008年・2009年ともに、12200系が2両編成で運転された。2010年、2011年も同様に運行され、22000系が2両編成で使用された。2012年の「湯の山温泉サマーライナー」は運行日が7月中旬から8月下旬までの毎週土曜日計7日間に変更し、車両も22600系2両編成に変更された。近鉄では沿線各地にある神社や仏閣への初詣を目的に、毎年終夜運転を実施しており、併せて特急も運転している。1990年代後半以降は運転本数が減少傾向となっている。2013年大晦日現在では以下の系統で運行されている。なお、名阪特急は運行されないが、伊勢中川駅での乗り継ぎで名阪間の移動は可能である。1990年代までは、阪奈特急も運行されていた。奈伊(ない)特急は、奈良市と伊勢志摩を結ぶ列車で、1970年3月に1往復のみ設定された。京都駅 - 伊勢志摩間を走る京伊特急の起点駅を近鉄奈良駅に変更した以外は京伊特急とほぼ同一の運行形態であった。またその線路配置の関係で、後述する阪京特急と同じく大和西大寺駅で方向転換を行った。京伊特急同様、大和八木駅 - 賢島駅間は阪伊乙特急と併結して運行された。1972年11月7日に京伊特急に統合されて廃止された。以降は近鉄奈良駅から伊勢方面に直通する特急列車は設定されていない。阪京(はんけい)特急は、大阪と京都市を結ぶ列車で、近鉄難波駅(現在の大阪難波駅) - 京都駅間で運転し、1973年3月に設定された。奈良線の布施駅 - 大和西大寺駅間では初の有料特急列車であり、大和西大寺駅で方向転換を行った。当時国鉄の新快速が同等の区間を29分(京都駅 - 大阪駅間)、阪急の特急が40分弱(河原町駅 - 梅田駅間)、京阪の特急が46分(三条駅 - 淀屋橋駅間)で走破していたのに対し、同特急は近鉄難波駅 - 京都駅間に58分 - 62分を要していたが、京都から生駒市や大阪ミナミへは唯一の直通列車であった。阪奈特急と京奈特急に系統分割される形で1992年3月変更で消滅した。名古屋線改軌後の1959年12月12日変更で、特急の系統を上本町 - 宇治山田間と伊勢中川 - 近畿日本名古屋間から上本町 - 近畿日本名古屋間の直通運転に再編した際、宇治山田駅への接続を維持するため、山田線内のみを運転する列車として、伊勢中川 - 宇治山田間の特急が設定された。翌1960年1月20日変更で、従来の名阪特急については伊勢中川駅を運転停車に変更したが、代わって名阪間の準特急(のちの乙特急)が登場し、伊勢中川駅から宇治山田駅への接続用として引き続き設定された。この時点での停車駅は松阪・伊勢市(宇治山田行のみ)で2往復運行され、所要時間は24 - 26分であった。1963年3月21日変更で名阪乙特急が中川短絡線経由となったことにより廃止された。名奈(めいな)特急は、名古屋市と奈良市を結ぶ臨時列車であった。当初は平城遷都1300年祭に伴い、近鉄名古屋駅 - 大和西大寺駅間にて、会期中の土曜・休日(運休日あり)に1往復運転された。同祭終了後の2011年以降も春・秋季の土曜・休日を中心に臨時列車として継続的に運転され、2011年4月以降の設定分からは西ノ京駅が新たな停車駅に加わった。上記の天理発着臨時特急と同じく、近鉄名古屋駅 - 大和八木駅間は名阪乙特急と併結していた。車両は、2両編成の22600系 (Ace) が限定で使用された。しかし、2016年3月19日ダイヤ変更では、設定が取り止めとなった。近鉄特急のネットワークを最も強く体現するのが、異なる系統同士の組み合わせによる移動の自由度およびフリークエントサービスの高さである。既述の名伊特急と阪伊特急(伊勢中川駅乗り換え)の組み合わせによって、名阪乙特急の代替とすることはその一例で、通常1時間に1本しかない名阪乙特急も、この2系統の組み合わせによって時間あたり3本の移動のチャンスを提供される。それによって、三重県北中部と奈良県北部の都市間移動のフリークエンシーが向上する。そして伊勢中川駅発車後、この名伊特急は鳥羽駅で同駅止まりの阪伊特急と連絡して志摩線直通を行い、一方の大阪ゆき阪伊特急は大和八木駅で京橿特急と接続して奈良、京都方面へ連絡する。名古屋、伊勢志摩、橿原神宮前など異なる地域を発車した各特急は接続となる駅で有機的に絡み合っている。乗り継ぎ駅は、伊勢中川、大和八木、橿原神宮前、大和西大寺の各駅以外にも、宇治山田、鳥羽、津などジャンクション以外の駅も対象となる 。この時、乗り継ぐ列車ごとに1枚ずつ特急券を発券しては利便性を損ねるため、3回乗り継ぎ4列車まで1枚の特急券にまとめて表記し、心理的に1本の列車で移動する感覚を持ってもらうよう配慮している。また、乗り継ぎにおいて、特急料金の計算を各列車毎ごとの計算ではなく、全区間通しの距離で計算する「キロ通算特急料金」を採用している。例えば、桑名駅から大和西大寺駅の移動にて、途中、伊勢中川と大和八木の両駅乗換えの場合、各列車ごとの計算では、桑名駅 - 伊勢中川駅間900円、伊勢中川駅 - 大和八木駅間900円、大和八木駅 - 大和西大寺駅間510円で、合計2,310円となるが、通算の場合は、桑名駅 - 大和西大寺駅間149.7km、特急料金に換算すると1,610円で、これにより700円分負担が軽減される。(詳細は以下「料金制度」を参照のこと)近鉄では現在、すべての特急列車で乗車券 のほかに特別急行券(特急券)を要する。特急券は原則乗車日の1か月前(前月の同一日、該当する日がない場合は当月1日。例:10月31日分の発売は10月1日)の10時30分から発売される。ただし、例外的に年始の特急券は12月1日発売となる(年によって異なるが1月5 - 8日分までの発売)。特急料金は通年同額で、繁忙期、閑散期の区別はない。また、全席指定のため自由席の設定や、それに絡めた値引き制度もない。ただし、南大阪線・吉野線の線内相互間のみ利用の場合は、キロ程にかかわらず一律510円となる。キロ数に応じて値段が異なる(こども半額)。アーバンライナー・伊勢志摩ライナー・さくらライナーに設置。青の交響曲は全車特別車両。「しまかぜ」の各座席では、前述の特急料金のほか、以下の表に示す「しまかぜ」特別車両料金が必要となる。また、和風個室・洋風個室(1編成あたり各1箇所/いずれも定員は4名で、3名もしくは4名で発売)を利用の場合は人数分の特急料金・「しまかぜ」特別車両料金に加えて個室料金(1室あたり1,030円)が必要となる(和風個室・洋風個室は乗車区間が大和八木駅 - 伊勢市駅間または近鉄四日市駅 - 伊勢市駅間を含む場合に限り利用可能)。なお、サロン席(1編成あたり3箇所あり、1箇所あたりの定員は6名で、4名以上で発売)は人数分の特急料金・「しまかぜ」特別車両料金で利用できる。近鉄の駅の場合、全駅での特急券発売は実施されておらず、原則として以下に該当する駅で行われている。以下16社の旅行会社で近鉄の特急券や乗車券を取り扱っている。近畿日本ツーリスト、JTB、日本旅行、農協観光、東武トップツアーズ、名鉄観光サービス、南海国際旅行、阪急交通社、奈良交通、読売旅行、京王観光、西鉄旅行、名阪近鉄旅行、三重交通、共立観光近鉄伊賀線であった時代から上野市駅の窓口には近鉄の特急券発券システム「ASKAシステム」が設置されており、伊賀鉄道移管後も継続して発売されている。阪神でも、阪神なんば線が延伸開業し近鉄と直通運転を開始した2009年3月20日より、神戸三宮駅で近鉄特急券の取り扱いを開始し、特急券と乗車券の発行を行っている。当初は駅長室の窓口に「ASKAシステム」を設置していたが、現在は駅改良工事により西口の定期券売り場に移設しており、ここで取り扱っている。発売時間は平日7:30 - 20:00、土・休日7:30 - 18:00。特急券を購入せずに乗車した場合、車内で車掌から座席無指定(着席保証なし)の特急券を購入する必要がある。空いた席への着席は黙認されるものの、その座席の指定を受けた特急券を所持する乗客が乗車してきた場合は、席を移動したり立席する必要がある。立席承知の特急券発券は急ぎの乗客に対する救済目的の処置であるため、座席無指定=立席でも座席指定と同額の特急料金を支払う必要がある。パソコンや携帯電話、スマートフォン等から特急券の予約・購入、あるいは新規通勤定期券(大人に限る)の予約ができるサービス。事前に会員登録を行なう必要がある。利用可能時間は5時30分 - 23時45分。特急券の受取りは、近鉄特急券取扱駅窓口および対応する特急券発売機で可能。なお、インターネットが普及する以前は、名阪特急の電話予約サービスを行っていたが、2008年度で終了した。従来のクレジットカードに加え、あらかじめ積み立てた現金で特急券購入時の決済が可能なサービス。このサービスを利用するためには、インターネット会員登録をしたうえで、駅の特急券窓口などに備え付けてある「近鉄特急チケットレス積立金カード」の番号を登録する。チケットレスサービスを利用する場合にはさらにチケットレス会員登録が必要。netポイントもクレジットカードと同様に加算される。積立は現金により対応する「定期券・特急券自動発売機」・「特急券自動券売機」・「特急券発売窓口」でチャージする。退会時に払い戻しするためには払い戻し手数料500円が必要であるが、積立金残額が500円に満たない場合は残額全部が払い戻し手数料となる。クレジットカードと積立金カードを両方登録することも可能だが、支払い手段の併用はできない。インターネット予約・発売にて特急券を購入した際、特急券の受取りをせずとも特急に乗車できるサービス。チケットレス会員登録を行うと、次回購入時より駅での特急券受取とチケットレスが選択出来るようになる。ここでチケットレスを選択すると、携帯電話の場合は画面に購入した特急券の内容が表示されるのでその画面を携帯電話の機能(例:画面メモ)で保存するか、パソコンの場合はその画面を印刷することによりそれが特急券になるというもの。特急券を提示する必要がある場合は、この保存した画面もしくは印刷した用紙を提示する。チケットレスサービスを利用する際は、決済に利用したクレジットカードや近鉄特急チケットレス積立金カードを所持する必要がある。これはトラブル発生時に、特急券購入者本人であるかを確認するためである。会員登録後、初回からチケットレスサービスが利用可能で、近鉄沿線外の顧客などもサービスを利用し易くしている。クレジットカードの裏面の署名欄に記載されるセキュリティコード(末尾3 - 4桁)を新規会員登録時、またはカード変更・更新時に入力することで対応している。なお、チケットレス化が実現したのは特急券(デラックス券、サロン券含む)のみで、乗車する際には別途乗車券(IC乗車券、定期券、回数券カードなどを含む)の用意が必要となるため(乗車券も含めた)、完全なチケットレス化には至っていない。インターネット予約・発売で特急券を購入すると、購入額の5%をポイントとして還元し(チケットレスにすると10%)、次回の特急券購入時にポイントで支払いが出来るサービス。乗車の翌月1日に付与され、有効期限は1年(取得した翌年同月末まで)で、特急券の購入(引換え)にあてることができるが、他の支払い手段と併用することはできない。そのほかに、KIPSクレジットカード、KIPSポイントカードで貯めたポイントを特急券購入にあてることも可能(所定の手続きが必要)。近鉄には、ASKA (All-round Services by Kintetsu and its Agencies)「アスカ」 システムと呼ばれる、JRのMARS(マルス)システムにあたる乗車券類発売システムがある。コンピューターは2台で構成されており、1台を本番系としてASKAシステム用コンピューターとして使い、残り1台を予備系としつつその他の目的(特急座席予約以外、グループ会社向け)としても使用している。本番系コンピューターに異常が発生した時は、自動的に予備系に切り替わりシステムの継続稼働を確保する。また、インターネット予約や車掌用座席確認システムに対応するため、サーバーを経由してホストコンピューターに接続し、処理の一部をサーバーで行っているものも存在する。なお、コンピューター運営については、近鉄情報システムに委託されている。典拠:『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、39頁・『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、電気車研究会、25 - 27頁近鉄特急車両は標準軌線用と狭軌線用が存在する。特急ネットワークの主力は車両正面に貫通路を有する車両で、標準軌と狭軌の枠内であれば系統を問わずに運用され、系列や新旧の別なく相互に連結可能な車両群である。このため、汎用特急車と称される。一方、特定の用途に絞って運転される列車群(アーバンライナー、伊勢志摩ライナー、しまかぜ、ビスタEX、さくらライナー)は指定列車として固定的に運用される。ただし、ビスタEXは貫通構造のため、汎用車と一体的な運用を行うことがある。1958年以降に新造された特急車両(6431系を除く)で、後に用途変更された車両は2014年現在までに18200系、18400系、12200系の3形式である。いずれも団体車両化された。この内、18200系「あおぞらII」と18400系は全廃され、現時点では12200系から改造された15200系「新あおぞらII」と15400系「かぎろひ」が在籍している。車両の歴史的流れを容易に把握できるよう3つの節目に区切った。区分の基準は、車両の用途やコンセプトを優先し、機械的側面は二の次とした。従って、680系はWN駆動で新性能車両にカテゴライズされても、一般車の格上げ改造車である点で特急専用車としてのコンセプトが希薄のため第I期に挿入し、18000系は釣り掛け駆動の旧性能車の部類に属しても、車体は格下げを前提としないことから特急専用車としてのコンセプトが強固なため第II期に入れた。また、21000系と26000系は直流直巻モーターと抵抗制御方式であり、その点では第II期に属しても車両コンセプトが全く異なるため、コンセプトを一にし、交流誘導モーター及びVVVFインバータ制御方式の22000系以降のグループと同列に扱った。解説にあたり、なるべく個々の車両の解説は簡略化し、節目の中から俯瞰で車両を捉えた。この車両群は戦後復興期、戦前製の急行用車両を応急的に特急仕様に整備したことに始まり、なかには特急専用車として新製された車両もあるにせよ、あくまでも次代の特急車が登場するまでの過渡期的な位置づけと見なされ、将来の一般用途への格下げが前提とされた。このため特急用車両としてはいかにも中途半端な位置づけで、特急専用車としてのコンセプトも希薄であった。車体は戦前製の2200系に端を発する両運転台ないし片運転台式の2ドアクロスシートが踏襲された。また、同一ゲージ車両であれば1両単位で混結可能で、この点、編成単位でシステムを構成する後の車両群とは機器構成上の考え方が大きく異なっていた。また、駆動方式も吊り掛け式で、基礎ブレーキも自動空気式とされ、旧来の域を出なかった。従って、10100系が出現すると早くも格下げが開始され、11400系の増備をもって全車一般車化された。しかし、2250系で確立された軽量車体構造をはじめ、3次車以降で採用なったシュリーレン台車の技術は、10000系の開発に大いに寄与した。また、当時の国鉄との激しい競争のなかで採用された冷房装置をはじめ、シートラジオの装備は、現在に至る顧客重視のサービスマインドの基礎を成した。第I期の車両群が、格下げ、混結を前提、および旧来の性能であったことに比べ、当車両群は編成を固定し、将来の格下げを前提としないことから特急専用系列としてのコンセプトが鮮明になった。また、WN駆動、電磁直通ブレーキ、ユニット単位による制御方式の採用等、新性能化した。居住性も飛躍的に向上し、10000系で回転式クロスシートが採用され、続く12000系から回転式リクライニングシートにステップアップした。窓ガラスは車内空調前提のペアガラスの固定式で、折戸式ドアを採用のうえで戸袋を廃止した。そのほか、調理設備はじめ2階建構造など付帯設備を設けた車両もあるが、概して当車両群で共通することは、個々のニーズを拾うことよりも、大量輸送、高効率性が命題とされた点にある。また、当車両群は正面貫通式および共通した客室を持つため、個性に乏しく、似たり寄ったりのデザインであることも特徴で、それは系列の別なく、全系統で共通運用が組まれた効率重視の時代を色濃く反映したものとなっている。第II期車両群でも一目置かれる2階建構造は、シンボル性の強調と同時に定員を増すことによる運用効率のアップと座席1人あたりの建造費圧縮の意図も内包されている。当時の近鉄は出来る限り多くの座席を用意して乗客を迎えるこ

出典:wikipedia

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