朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の元陸上競技選手。2008年北京オリンピック男子4x100mリレーの銅メダリストである。現在は陸上競技指導者・スポーツ解説者等で活動中。非ネグロイドが活躍することがほぼ困難とされてきた現代の100メートル競走において、世界大会で何度も決勝に肉薄した成績を残し、後進の選手たちに自信をもたらした今日の日本陸上短距離界のパイオニアである。妻は同志社大学の同窓生で、元シンクロナイズドスイミング選手・1992年バルセロナオリンピックのソロ・デュエットの銅メダリストの奥野史子。長男と長女・次女の3人の子供がいる。神戸市立小部東小学校、神戸市立小部中学校、兵庫県立夢野台高等学校、同志社大商学部卒業後、大阪ガス入社。小部中時代はハンドボール部レギュラーで全国大会出場果たす。なお、現在同中学校のハンドボール部は廃部となっている。陸上競技は夢野台高から始め、高3時に走幅跳でインターハイ優勝。当初は走幅跳が専門だったが、同志社大学在籍中の1993年10月26日に行われた国体の100mにおいて、当時の日本記録である10秒19をマークして優勝し、以後、スプリンターとしても注目されることになった。当時は和製カール・ルイスと呼ばれた。アジア人離れした体格と加速力を持ち、リレーのパートナーであった井上悟に「(朝原の加速力はカール・ルイスやリロイ・バレルのそれと同じようなレベルで)あまりにも加速が速過ぎて彼にバトンを渡すのは難しかった」と言わしめた。100mでの功績は大きく、1993年の10秒19、1996年の10秒14、1997年の10秒08と、日本人として初めて10秒1台、10秒0台を記録し、日本記録を3回更新した。また、オリンピック、世界選手権の100mでは、1996年のアトランタ、1997年のアテネ、2001年のエドモントン、2003年のパリ、2007年の大阪と、5回準決勝に進出している。しかしながら、本人はもちろんのこと、日本全体が期待して止まなかった世界大会でのファイナリストへの夢は実現することはなかった。それまで日本記録を更新し合い、リレーメンバーとしても長い付き合いだった伊東浩司とは、お互いの故障が元で直接対決こそ少なかったが、1990年代後半から相次ぐ2人の日本記録更新が、オリンピックや世界選手権におけるリレー種目での入賞というかたちで現れた。それだけでなく末續慎吾ら次の世代の台頭にも繋がった。2007年世界選手権では日本代表のアンカーとして4x100mリレーに出場。決勝で5位入賞(38秒03 アジア新記録・日本新記録)2008年は年齢をおして(世界陸上大阪大会時で35歳)現役続行を宣言した。記録もさることながら、容姿も若く見られることが多い。また、4月の織田記念陸上では風邪を押して出場したが、10秒17という35歳の年齢では驚異的な記録を樹立した。北京オリンピックの代表入りを目指して6月の日本選手権に出場。決勝は10秒37の記録で2位であったが、6月30日の日本陸連の理事会で代表に選考され、4大会連続の代表となった。日本の陸上競技選手ではハンマー投の菅原武男に次いで2人目の4大会連続出場となった北京オリンピックの本番は100mでは2次予選で敗退し、アトランタオリンピック以来の準決勝進出はならなかった。しかし、8月22日の4x100mリレー予選では1組2着に入り決勝進出(なお予選で優勝候補のアメリカやイギリス、ナイジェリアなどがバトンミスで失格となる大波乱があった)。そして翌日、8月22日の4x100mリレー決勝では、最終走者 として登場、見事3位入賞でフィニッシュ。日本男子トラック種目では史上初(男女通じても1928年アムステルダムオリンピックの女子800m銀メダルの人見絹枝以来80年振り)となる、オリンピックでの銅メダル獲得に貢献した。なお、その際、興奮のあまり、競技に使用したバトンを宙に放り投げ、一時バトンの行方が不明になっていたが、後に発見され、日本側に返された。その年齢や、メダルを獲得したことから今後の進退が注目されていたが、2008年9月のスーパー陸上(等々力陸上競技場)を引退レースにすることが発表され、正式な引退会見も行われた。9月23日、引退レースとなるスーパー陸上では男子100mに出場、銅メダルメンバーの3人を含むレースで3位に入り、ラストランを飾った。競技終了後、朝原の引退セレモニーが挙行され、特別ゲストとして北京オリンピック三冠王のウサイン・ボルトが登場し、朝原にねぎらいの言葉と花束を贈った。この当時まだ22歳のボルトも「36歳までこの世界で現役を続けることは、私にはできないかもしれない」と話し、改めて朝原の息の長い現役生活に敬意を示すほどだった。朝原は「選手生活の最後にこんな幸せな最後を迎えられることはそういない。本当に感謝でいっぱいです」と会場のファンの前で挨拶した。また、銅メダルメンバーの末續、塚原、高平、そして為末大、福島千里など陸上仲間が朝原を胴上げしてセレモニーの最後を締め括った。「GQ MEN OF THE YEAR 2008」を受賞。母校の同志社大大学院に在籍(休学中)していて、2008年4月からは同大学に新設されたスポーツ健康科学部のアドバイザーに就任し、陸上のみならずスポーツ全体の貢献に関わっていく意思を表明した。名言は「100mは人間力」。2010年には柳本晶一らとアスリートネットワークを結成。4月には自らが主宰するスポーツクラブ『NOBY TRACK and FIELD CLUB』を旗揚げし、ジュニアやユース世代の選手育成を主眼とした陸上競技教室などを開講している。
出典:wikipedia
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