トマス・ジェイムズ・“トム”・ヴィルサック(, 1950年12月12日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。アメリカ合衆国農務長官。所属政党は民主党。マウントプレザント市長、アイオワ州上院議員、アイオワ州知事(第40代)などを歴任した。1950年12月12日、ペンシルベニア州ピッツバーグに生まれる。生後間もなく捨て子となり、ローマ・カトリック教会の孤児院に引き取られた。1951年、バッド・ヴィルサック(Bud Vilsack)とドリー・ヴィルサック(Dolly Vilsack)の養子となり、敬虔なカトリック教徒として育てられた。養父バッドは不動産仲介業と保険勧誘業で生計を立てていた。養母ドリーは家政婦であった。ピッツバーグの預科学校シェイディ・サイド・アカデミーで学び、1972年にハミルトン・カレッジを卒業する。ハミルトン・カレッジでは友愛会デルタ・ウプシロンに所属した。1975年にオールバニ法科大学院で法務博士号を取得後、妻クリスティーンとともに、妻の故郷アイオワ州マウント・プレザントに移り住む。そして、義父の経営する法律事務所に加わった。1987年、アイオワ州マウントプレザント市長に選出され、暗殺されたエド・キング市長の後任として着任した。1992年には僅差でアイオワ州上院議員に選出され、アイオワ州議会労働者の待遇向上を求める立法を提起した。特に州税制上の優遇を受けた企業に対しては、従業員の給与や手当てを改善するよう求めた。また、転職する労働者に対して健康保険が切れ目なく保障され続ける法制度を提唱し、州労働開発省の再編成に助力した。さらに、アイオワ州の地方郡に対して、メンタルヘルスにかかる費用の50パーセントを補助する法案を提起した。1998年、民主党からアイオワ州知事選挙に立候補する。4期16年務めた共和党の現職テリー・ブランスタッドが不出馬を表明したため、アイオワ州共和党は連邦下院議員ジム・ロス・ライトフットを擁立した。ライトフットは長期政権を握ったブランスタッドの後任として、勝機のある有力候補として扱われた。ヴィルサックは民主党予備選挙で元アイオワ州最高裁判事マーク・マコーミックを降し、副知事候補にサリー・ペダーソンを指名して本選挙に臨んだ。ヴィルサックは本選でライトフットを僅差で破り、民主党候補としては30年ぶりにアイオワ州知事に就任した。2002年、2期目を目指してアイオワ州知事選挙に臨み、共和党候補のダグ・グロスを破って再選を果たした。2002年にスディーヴン・グリーソンを首席補佐官として起用するが、グリーソンが2005年に辞任したため、ヴィルサックは後任の首席補佐官にシンシア・アイゼンハワーを据えた。同年、ヴィルサックは州知事としてアイオワ州発展評価基金を設立した。5億300万ドルを企業に割り当て州内の経済活性化を試みるとともに、より収益の上がる産業を創出するべきだと唱導する。だがこのヴィルサックの試みは、アイオワ州最高裁判所により違憲と裁定された。これを受けてヴィルサックは、基金システムの合憲化を目指すため、議会で一部拒否権を行使した。ヴィルサックは所得税の引き下げと事業規制の緩和に関する法案の一部を拒否した。その代わりとして州予算から1億ドルを預託金として拠出する案を提示し、アイオワ州議会は2004年の特別会期においてはヴィルサックの案に合意した。かくして、アイオワ州発展評価基金は2005年末に復活することとなる。民主党内におけるヴィルサックの好敵手エド・ファロンは、ヴィルサックの基金プログラムを批判した。ファロンは「基金によって誘致された州外の企業は、州内に基盤を持つ企業と異なり、他州により魅力的な金銭的インセンティブがあれば容易に離れてしまう」「新たな産業を創出する動機付けが乏しい」とも指摘した。2005年7月、ヴィルサックは服役を終えた重犯罪人の選挙権は回復されるべきとする行政命令に署名した。アイオワ州法では「知事の命令がない限り、重犯罪人の公民権は永久に剥奪される」と規定されていたが、ヴィルサックはこの規定に基づく公民権の復帰命令手続きを省略化した。2005年の通常会期においては、塩酸プソイドエフェドリンを有効成分とする医薬品の販売を厳しく規制する法案に署名した。これにより、当該医薬品を一般の商品棚に陳列することはできなくなり、一般人は薬局の窓口から薬剤師を経由して購入することが必須となった。さらに、当該医薬品の購入時には身分証明書を提示の上、記録台帳にサインをすることが義務付けられた。2005年5月21日には、アイオワ州でメタンフェタミンの使用を縮小することを目的とした新たな法律が発効された。2005年、連邦最高裁判所はケロ対ニューロンドン市裁判において行政府による土地収用権の行使を容認する判決を下した。この判決を受けてアイオワ州議会は、連邦最高裁判所の判決を上書きする形で土地収用権に制限を掛ける議決を行った。だがヴィルサックは州議会の議決に反対し、「スラム街や廃墟を再開発のために収用することを制限する規定は、私にとって重大な懸念事項だ」と拒否権を行使した。知事在任中は全国知事会執行委員会に参加し、2004年に民主党知事会の議長を務める。知事生命工学パートナーシップ、知事エタノール会議、中西部州知事会議でも議長を務め、全国知事会のいくつかの委員会でも委員長ないし副委員長を務めた。全国知事会では農場政策やエネルギー政策の策定に尽力した。アイオワ州知事としても農畜産物の海外市場開拓に尽力し、穀物を使ったバイオ燃料の普及を推進した。ヴィルサックは3選目を求めず、2007年にアイオワ州知事を任期満了で退任した。ヴィルサックの知事在任中のほとんどで、アイオワ州議会は共和党が多数派を占めていた。2004年11月2日の選挙以降は、上院で民主党と共和党が等しく50議席を占めた。しかしながら下院は共和党が51議席、民主党が49議席で、依然として共和党多数のままであった。2006年11月30日、ヴィルサックは2008年大統領選挙に立候補する旨を公式発表した。発表スピーチにおいて、ヴィルサックは「アメリカは偉大な国である。そして私はいま、手続きを開始する機会を獲得した。合衆国大統領に立候補する法的手続きの機会を、だ」と述べた。選挙戦においてはソーシャル・メディアを積極的に利用した。特にソーシャル・ネットワーキング・サービスMySpaceで自己のプロフィールや政策方針を提示し、動画共有サービスYouTubeでバイラルCMを公開した。また、Facebookやblip.tvなどのウェブサービス上でも選挙活動を展開した。ヴィルサックは、2008年大統領選挙でチャット型ポッドキャストTalkShoeを利用した唯一の候補でもあった。2007年1月27日にはTalkShoeを通じ、民主党の指名獲得に向けた約15分間のインタビューに答えた。2007年2月23日、金銭的な制約により選挙戦から撤退することを表明した。撤退後はバラク・オバマの支持に転じる。2008年8月12日、TalksShoeに登場し、今度はオバマの支持者として30分にわたって参加者からの質問に答えた。イラク戦争に対するスタンスは、第43代大統領ブッシュに批判的なものであった。しかしながら、米軍のイラクからの即時撤退には否定的であった。ヴィルサックは「イラクで我々が敗北したとは考えていない。引き分けだろう」と語り、「人々は、戦場に子供がいたという事実に動揺し、この戦争に終わりが見えないことに困惑している。これでは人々に、この戦いが平和主義のためであると思わせることができないだろう。人々は、最高司令官の信頼性や力量を疑問視している」と述べた。2007年12月5日、ヴィルサックはイラクから米軍の大部分を撤退させ、期限付きで北部地域に小規模な軍隊を駐留させる案を支持すると発表した。そして、米軍の撤退により暴力が横行する可能性があると判断される期間に限り、アメリカがイラク政府に介入することを認めるべきとも表明した。ヴィルサックはエネルギー安全保障に関する検討課題として「エネルギーの対外依存を大規模削減すること」と「国内での二酸化炭素排出を抑制すること」の2点を挙げ、これらの実現のため、エネルギー省を廃して「エネルギー安全保障省」を創設することを求めた。「エネルギー安全保障省」には連邦政府のエネルギー政策を監視する役割を与え、加えて現行のエネルギー制度の刷新を主導させるべきだとも主張した。ヴィルサックは、このエネルギー安全保障省の創設により国家安全保障と経済力を増加させることができるとし、クリーンエネルギーの観点から問題視されないリーダーとしてアメリカをアピールできると述べた。2008年12月17日、第44代大統領に選出されたバラク・オバマは、新政権でヴィルサックを農務長官に起用すると発表した。直近2人の農務長官マイク・ジョハンズ、エドワード・トマス・シェーファーがともに農業州の出身であったことから、ワシントン・ポスト紙はアイオワ州知事を務めたヴィルサックを最も確実な当確者と評価した。ヴィルサックの農務長官指名に際しては、有機消費者協会が反対の意を唱えた。有機消費者協会は2008年11月の季報でヴィルサックを「望まない農務長官候補」として取り上げ、遺伝子組み換え作物を擁護するバイオ燃料主義者であると批判した。1973年8月18日、アン・クリスティーン・ベル(Ann Christine Bell)と結婚した。クリスティーンは学校教諭の仕事をしており、その後、新聞のコラムニストになった。夫妻の間には2人の男子ジェス・ウィリアム・ヴィルサック(Jess William Vilsack)とダグラス・ジェイムズ・ヴィルサック(Douglas James Vilsack)が生まれ、ともに弁護士となった。
出典:wikipedia
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