オジー・オズボーン (John Michael "Ozzy" Osbourne, 1948年12月3日 - ) は、イングランド・バーミンガム出身のヘヴィメタルミュージシャン。本名ジョン・マイケル・オズボーン(John Michael Osbourne)。ブラック・サバスの悪魔的イメージの源流(の一つ)ともなった、のっぺりとした金属的なハイトーンと不気味に響く低音を使い分けての独特の歌唱、危うさとユーモアを兼ね備えたパフォーマンスは多くのファンに支持されており、カリスマ的な存在になっている。デビュー当初からの愛称である「オジー(Ozzy)」の他、海外では「プリンス・オブ・ダークネス(Prince of Darkness)」「マッドマン(Madman)」、日本では「メタルの帝王」など数々の異名で知られる。イングランド中部・バーミンガムで労働者階級の家に生まれる。学校にもほとんど行くことはなく(ディスレクシアを抱えていたともいわれる)、酒代を得るために盗みを繰り返すような少年時代を送った。15歳で学校をドロップアウトした後、「こんな俺でも出来ることがある」ことを証明するために「バンドメンバー求む」という旨のチラシを街に貼る。集まったトニー・アイオミ、ビル・ワード、ギーザー・バトラーと共にバンド「アース」を結成する。1969年、アースの4人(担当パート:オジー・オズボーン=ボーカル、トニー・アイオミ=ギター、ギーザー・バトラー=ベース、ビル・ウォード=ドラムス)はバンド名をブラック・サバスへと改めた。この名はギーザー・バトラーが当時公開されていた映画"BLACK SABBATH"から命名。1970年2月13日金曜日、自費レコーディングによるアルバム"BLACK SABBATH"(邦題:「黒い安息日」)でデビュー。1977年に一度脱退するがすぐに復帰。その後、1978年12月に正式に脱退(解雇)しソロに転向する。この時期オジーは「この頃の記憶がほとんどない」といわれるほど酒や薬物に溺れ、重ねて父の死が精神的に大きなダメージを与え、日常生活にも支障をきたしかねない状態となっていた。1997年にオリジナル・メンバーによるラインナップで再結成され、オズフェストのヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤「REUNION」を発表。2004年、2005年のオズフェストのヘッドライナーをつとめる。2004年はジューダス・プリースト、2005年はアイアン・メイデンがブラック・サバスの前座をつとめる。1979年にソロ活動を開始。今は亡きギタリスト、ランディ・ローズともこの頃活動する。ソロ活動第一作目の「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説」は、「ブリザード・オブ・オズ」がバンド名と勘違いされたこともあるが、厳密には勘違いではなく、契約上の問題やプロモーション戦略上の観点から最終的にクレジットしなかったバンド名である。ちなみに英国盤のファースト・シングルにはこの名がバンド名として記載されている。しかし、ランディは1982年3月19日、飛行機事故でその短い生涯を終える。その後はジェイク・E・リーを筆頭に有能な若手ギタリストを発掘してメンバーに加えることが慣例化する。1990年、突然ライヴツアーからの引退を宣言し、アルバム「NO MORE TEARS」を1991年にリリース。セールスはソロキャリアの中で最高を記録した。しかし1995年に「OZZMOSIS」を発表してライヴツアーを開始し、引退を撤回した。2001年秋には「DOWN TO EARTH」を発表。2002年には、エリザベス2世女王在位50周年記念コンサートにも出演した。2003年12月には英国の自宅庭で四輪バイクに乗っていた際に事故に遭遇、瀕死の重傷を負うが、2004年夏のオズフェストで見事に復活している。2010にはザックの後任としてガス・Gが加入、2010年6月発売予定のアルバム「SCREAM」にも参加が決定した。2002年には、オズボーン一家のビバリーヒルズの豪邸でのハチャメチャな日常生活を追った、MTVのリアリティ番組「オズボーンズ」が世界的な人気を獲得、家族揃ってお茶の間におなじみの存在となった。しかし、オジーは後にこの番組の出演を了承したことを悔いる発言をしている。番組内で有名になった“放蕩娘”のケリー・オズボーンは、2002年にシンガーとしてデビューを果たしている。彼女とオジーのデュエット「Changes」(ブラック・サバスのカヴァー)はアメリカやイギリスで大ヒットとなった。妻で敏腕マネージャーのシャロンや息子のジャックもこの番組で有名となった。ケリー、ジャックの上に長女エイミーがいる。オジーには常識を逸脱した行為としての様々なエピソードが存在する。下記を含めたエピソードの詳細についてはドキュメンタリー映像作品「Don't Blame Me The Tales Of Ozzy Osborne(邦題/ヒストリー・オブ・オズ)」(1991年)でオジー本人が告白している。あるレセプションにて、オジーが、記者会見をした時の出来事、当時マネージャーであったシャロンがオジーに鳩を飛び立たせるように渡したところ、朦朧としていたオジーは鳩の首を食いちぎってしまった。この事件がきっかけでオジーの知名度は一般層にも広まったが、後のPMRCに目の仇にされるようになってしまった。その後シャロンの家に戻った際に、ベースのルディ・サーゾの目の前でポケットに残っていたもう一匹の鳩までをも食いちぎった。オジーは初期のソロ時代のライヴで、ステージの上から生肉を投げつけるという奇妙なファンサービスを行っていた。観客はそれに答える形で、最初は猫や鳩の死体のレプリカをステージに投げ返していたが、それが次第にエスカレートし、ついには本物を投げつけるようになってしまう。ライヴ後の会場は客が持ち込んだ生肉と血の生臭い匂い、そして腐臭に包まれ主催者から大目玉を喰うこともしばしばだった。「BURRN!」でのインタビュー記事によると、ステージに生きたヤギが放たれていたことまであったという。そしてある日、ついに悲劇は起こってしまった。オジーがステージ上に投げ込まれたコウモリの死骸をレプリカだと思い、首を噛み千切ったのである。あまり知られていないことではあるが、コウモリは致命的な感染症の一つ、狂犬病の媒介者で、当然ながら間違っても口に入れてはいけない。このパフォーマンスにより観客は大いに盛り上がり、翌日のローカル紙には「オジー、コウモリを喰う」という見出しで記事が書かれた。こうしてオジーは伝説的存在となったが、代償として救急病院へ緊急搬送された後、数ヶ月間、毎日のように体中に注射を刺しながらツアーを続ける羽目になった。現在ではアニメーションによる自身のプロモーションビデオなどで、この事件をネタとして扱っている。因みに、ソロ初来日時には、当時「ミュージック・ライフ」の副編集長だった酒井康に、撮影で使った「鳥の丸焼き」をアドリブでステージに投げ込まれ、スタッフに確認後、その肉に噛み付いている。1982年に米国で行われたツアーの最中、酔っ払っていたオジーは、外出出来ないようにシャロンに服を隠されてしまった。そこでオジーはシャロンの服を勝手に借用し、その服装のままでテキサス州サンアントニオの国民的遺産、アラモ砦へ歩いて行って立ち小便をしたのである。この結果、オジーは10年間テキサス州でのライヴ活動禁止という処分を受けた。なお、オジーの小便がかかった壁に、666の字が浮かび上がってきたという噂が存在する。“Suicide Solution”を聴いて本当に自殺した少年が出た。そのため、自殺をそそのかす曲だとして騒ぎ立てたティーンエイジャーの父兄が、オジーを相手どって裁判を起こし、懲罰的損害賠償を科そうとしたこともあった(結果はすべて敗訴)。全身にタトゥーを入れているが、貧乏だった頃にやむなくモグリのタトゥーショップに行ったところ、ひどい感染症にかかってしまい生命の危機に陥り、それからは懲りて入れていないという。同じく過激なパフォーマンスで有名なマリリン・マンソンは、オジーがアリを鼻から吸い込むところを目撃したと証言しており、「彼だけにはかなわない」と白旗を揚げている。現夫人のシャロンとはブラック・サバス全体のマネージング担当で、ある時バンドの運営費をオジーが使い込んでしまい自宅に怒鳴り込まれ、それがきっかけで交際を始めた。ビートルズの熱狂的なファン。シャロン曰く、「オジーは生涯ずっとザ・ビートルズをアイドル視してきた。彼らがいたから、自分は音楽の道に進んだって言ってるわ。オジーとは35年近く一緒にいるけど、彼は35年間1日も欠かさずザ・ビートルズを聴いてるの。バイクの事故でこん睡状態にあったとき、私達、病室でザ・ビートルズをかけまくってたのよ」と語っている。2002年には「BLIZZARD OF OZZ(ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説)」、「DIARY OF A MADMAN(ダイアリー・オブ・ア・マッドマン)」、「BARK AT THE MOON(月に吠える)」、「TRIBUTE(トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ)」、「NO REST FOR THE WICKED」、「NO MORE TEARS」、「OZZMOSIS」、「The Ozzman Cometh」の8タイトルがデジタルリマスター化された。各アルバムにはボーナストラックとしてライヴ録音やシングルB面曲などが追加収録された。初期2作品について、ランディ・ローズのギターパートがよりクリアに美しく聞こえるようにミックスし直された一方、ドラム・ベースのリズムトラックがオリジナルではボブ・デイズリー(ベース)、リー・カースレイク(ドラム)で録音されたが、2002年のリマスターではロバート・トゥルージロ(ベース)、マイク・ボーディン(ドラム)のテイクに差し替えられた。これは長年争われてきた印税支払い問題をクリアするためにとられた対策であった。その他にも「BARK AT THE MOON」でも随所にオリジナルとの違い(シンセのエフェクトカット、ギターのオーバーダブなど)が見られる。オリジナルアルバムで唯一「THE ULTIMATE SIN」がリマスター対象外にされた(1995年のリマスターではラインナップに入っていた)。これは当時のオジーがこの作品を気に入っていなかったことが理由である(プロデューサーとの仕事が上手くいかなかったとのこと)。ちなみにこのリマスター除外の影響で「The Ozzman Cometh」で収録されていたアルバム「THE ULTIMATE SIN」からの「Shot In The Dark(邦題 暗闇にドッキリ!)」は1988年発表の「NO REST FOR THE WICKED」からの「Miracle Man」に差し替えられた。その他2002年リマスターから除外されたアルバムには「SPEAK OF THE DEVIL」 「JUST SAY OZZY」「LIVE&LOUD」がある。また「THE ULTIMATE SIN」「JUST SAY OZZY」「LIVE&LOUD」が除外された理由には、前述の「Shot In The Dark(暗闇にドッキリ!)」におけるフィル・スーザンとの権利関係の裁判沙汰が影響しているとも言われている。また、「TRIBUTE」を除くブラック・サバスの曲が収録されている「SPEAK OF THE DEVIL」「JUST SAY OZZY」「LIVE&LOUD」に関しては、米国では2002年時点でカタログ落ち、廃盤扱いとなっている。しかし、iTunesでの配信時には、先述の「暗闇にドッキリ!」を再び収録する形で「THE ULTIMATE SIN」がリマスターされた上で配信されており、2002年のリマスターから外されていた「LIVE & LOUD」も配信されている。ただし、これの他にリマスター対象外とされたアルバムは今の所配信されていない。一部日本語版公式サイトにて
出典:wikipedia
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