伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 1997年10月24日)は、日本の俳優である。1967年(昭和42年) - 1972年(昭和47年)の一時期、二階堂 浩(にかいどう ひろし)と名のった時期がある。東宝資料室では伊海田 宏と表記されている。テッサロニキ国際映画祭等に出品されて再評価される『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)に「トリ金」役で出演しているほか、連続テレビ映画『スーパーロボット マッハバロン』(1974年 - 1975年)の「ララーシュタイン」役で知られる。1931年(昭和6年)1月8日、新潟県北蒲原郡笹神村に生まれる。実家は酒屋と電気業を兼業していた。小学6年生の時に、新発田市の法正寺へ養子入りする。第二次世界大戦後、新制大学へ移行した1949年(昭和24年)前後の時期に東京都世田谷区の駒澤大学仏教学部に入学する。1953年(昭和28年)前後の時期に同学を卒業、劇団七曜会(1950年設立)で俳優として活動した。当時の劇団の仲間には、依田英助(1927年 - )、家弓家正(1933年 - 2014年)、高城淳一(1925年 - 2011年)、西乃砂恵(1938年 - 1976年?)らがいた。1956年(昭和31年)10月3日に公開された『のんき夫婦』(監督杉江敏男)に端役で出演している記録が残る。同作は、当時、目黒駅に近い品川区上大崎に撮影所を持つ東京映画が製作、東宝が配給した作品であり、同社が世田谷区船橋に移転する1962年(昭和37年)8月までの間、同社の製作する喜劇作品に数多く端役で出演した。その間、1959年(昭和34年)に放送が始まって話題になった『スリラー劇場 夜のプリズム』にも出演、伊海田が出演した第5回『羽田発七時五十分』は、同年2月18日に放送された。1961年(昭和31年)2月23日 - 同28日、イイノホールでの夏堀正元の戯曲『視線クラブ』の劇団七曜会による公演(演出高城淳一・西乃砂恵)に出演、ダブルスパイ「シマ」役を演じた。その後は、宣弘社が製作した連続テレビ映画『隠密剣士』(1963年)や、NACが製作した連続テレビ映画『忍者部隊月光』(1964年)にゲスト出演し、その傍ら、1964年(昭和39年)には二階堂 博の名で、松竹大船撮影所が製作した『馬鹿まるだし』(監督山田洋次)、『乾いた花』(監督篠田正浩)、『男の影』(監督大槻義一)といった作品に端役で出演した。1965年(昭和40年)10月に公開された『濡れた女』(監督松原次郎)に「伊海田弘」の名で出演、以降、独立系成人映画に数多く出演する。なかでも、同作を製作した山辺信雄は、『隠密剣士』で音響効果を担当していた人物であり、翌1966年(昭和41年)1月に公開された『裸の復讐』(監督高木丈夫・松原次郎)以降、山辺が主宰するヤマベプロダクション作品に多く出演した。1967年(昭和42年)2月に公開された『残忍』(監督小森白)は、小森白が代表を務める東京興映の作品であり、同作以降、二階堂 浩の名も使い分けるようになった。1971年(昭和46年)11月、老舗であり大手五社の一社であった日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始するが、伊海田(二階堂)は、これに出演することはなかった。1972年(昭和42年)3月に公開された『脱がせて脱がせて大勝負』(監督山本晋也)に「二階堂浩」名義で出演して以降、成人映画の世界を去る。同年2月13日に放映された連続テレビ映画『シルバー仮面ジャイアント』第12話『恐怖のサソリンガ』や第19話『逆転 シルバー旋風斬り』、同年10月8日に放映を開始した連続テレビ映画『アイアンキング』にゲスト出演したり、後者では次回予告のナレーションをレギュラーで行うようになり、ふたたび宣弘社のテレビ映画に関わるようになっていく。同年9月に発行された『週刊平凡』第14巻第37号には、その転身ぶりについて「伊海田弘氏のみごとな変身生活」と記事を書かれた。1974年(昭和49年)10月7日に放映を開始した『スーパーロボット マッハバロン』では、敵の首領である「ゲオルク・ララーシュタイン」役でのレギュラー出演を勝ち取る。声優事務所である河の会に一時期所属していた事があり、俳優活動と並行して声優としても活躍していた。趣味・特技は読経、新潟弁。1997年(平成9年)10月24日、死去した。満66歳没。2013年(平成25年)11月9日に行われた「こちら特撮情報局 開局10周年記念コンテンツ バロンシリーズスタッフ・キャスト座談会」での下塚誠の話によると、当時旅行代理店を経営していた伊海田本人から「下塚君、もし旅行へ行くんだったらうちに注文くれる?」と声を掛けられた事があったという。同座談会でマッハバロンのメイン監督を務めた鈴木清によると、ララーシュタインの瞳をゴールドにするためカラーコンタクトを入れると目が見えない状態になっていたという。またその際当時の日本現代企画の小林哲也社長と伊海田とは仲が良く、凄く気を遣っていたそうで「万が一伊海田さんの目に障害が出たらお前、どうするんだ!」と脅かされながら医者の立ち会いの下で5分間限定で(眼球に傷をつけるので5分以上はコンタクトを入れてはいけない、と医者に言われていたという)撮影をしたと語っている。伊海田自身も最初はカラーコンタクトの使用を怖がっていたという。またカラーコンタクトとララーシュタインの撮影だけはこだわりを持っていたため、結構予算を使ったとも語っている。伊海田が「二階堂浩」名義で出演し「トリ金」役を演じた『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)は、2004年(平成16年)6月25日にアップリンクがDVDビデオグラム化した。2009年(平成16年)には、同年4月17日にドイツのフランクフルトで行われたを皮切りに、カナダの映画祭やギリシャのテッサロニキ国際映画祭等に出品され、上映された。すべてのクレジットは「出演」、特筆以外すべての名義は「伊海田弘」である。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す。
出典:wikipedia
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