宮崎 智彦(みやざき ともひこ、1986年11月21日 - )は、東京都西東京市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)又はミッドフィールダー(左ウイングバック、左サイドハーフ、ボランチ)。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。5歳からサッカーを始める。高校時代はFC東京U-18に所属。同期には染谷悠太、福田建らがいた。2005年、流通経済大学へ進学。精度の高いクロス、1対1に強い守備を武器に1年からレギュラーに定着し、2度の関東大学リーグ、1度の総理大臣杯優勝に貢献。関東大学リーグでは藤井賢心(東京農業大学)と共に4年間で最も出場が多かった選手として表彰された。「大学No.1左サイドバック」として古巣のFC東京を始め複数チームから獲得オファーを受けた。2008年9月、「レギュラーを獲るのが一番難しいクラブ」ということから、翌2009年の鹿島アントラーズ入団を決めた。2010年のJ1第20節C大阪戦で先発出場しプロデビュー。高評価を得るもレギュラー奪取には至らなかった。2011年に横浜FCへ期限付き移籍。MF野崎陽介と左サイドで好連携を築き、DFながら攻撃面でも大きく貢献。J2第4節北九州戦でJリーグでの初得点を挙げた。2012年にはジュビロ磐田へ期限付き移籍。負傷離脱した時期もあったが、果敢な攻撃参加を武器に左SBのレギュラーを確保した。2013年より磐田へ完全移籍。シーズン序盤は3バックの新布陣に適合しきれず出場機会を減らすも、4バックに立ち返って以降は山本脩斗らとのポジション争いを制した。シーズン終盤は内転筋を痛め欠場し、宮崎不在の間にチームはJ2降格を喫した。2014年はSB及びWBで先発出場を続けていたが、同年9月に就任した名波浩監督によって「中学以来」と語るボランチに配され第35節からフル出場。2015年もボランチを定位置とし、巧みな配球と位置取りで味方を活かす攻守の要として活躍を続けた。勝てばJ1昇格が決まる大分トリニータ戦では、後半45分に同点にされた直後に自陣のゴールからボールをかき出し、センターサークルへ置いた。それを見て気合を入れ直した小林祐希が失点してすぐに決勝ゴールを奪った。その宮崎の行動は、監督の名波浩が試合終了後のロッカールームで褒めているシーンが『ジュビロTVプラス』で流れている。ボランチでの出場も多くなり、2016年はMF登録となった。2月25日に一般女性と入籍。53||1||7||0||6||0||66||193||4||colspan="2"|-||4||1||97||438||2||colspan="2"|-||4||1||42||3184||7||7||0||14||2||205||9!通算!!colspan="2"|AFCその他の公式戦
出典:wikipedia
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