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オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット

『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』(原題:、しあわせウサギのオズワルド)は、ウォルト・ディズニーらによって生み出されたウサギのキャラクターである。1928年に権利がユニバーサル・ピクチャーズの手に渡ったことから、ディズニーは新たなキャラクター・ミッキーマウスを作った。2006年にはオズワルドの諸権利がユニバーサルからウォルト・ディズニー・カンパニーに返還された。ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスは当初映画プロデューサーで配給業者でもある(Charles Mintz)の下で実写を織り交ぜたアニメーションシリーズ『アリス・コメディ(漫画の国のアリス)』(The Alice Comedies)を制作していたが、作中のキャラクター「ジュリアス・ザ・キャット(Julius the Cat)」が漫画家パット・サリバンの“フィリックス・ザ・キャット”の模倣であったため、サリバンからの抗議を受け、やがてシリーズの人気も下火になったことから、ミンツの指示で新しいアニメーションシリーズを企画しなければならなくなった。そこで2人は実写なしのフルアニメーションの制作に乗り出す。キャラクターを創造するにあたってウサギの案が浮上、また親しみの持てる丸みのある絵柄を追求していく中でオズワルドが誕生した。ウォルトの尽力によって第2作目『トロリー・トラブルズ “Trolley troubles” 』から大ヒットし、全26作品が制作されたが1928年2月、配給先のユニバーサル・ピクチャーズと製作費に関する交渉を行った際、所有権がユニバーサル側にあることを突きつけられ交渉は決裂、さらにチャールズ・ミンツによる従業員引き抜き工作によってウォルトとアブは作品を放棄。オズワルドに関する全ての権利に加えて、有能なアニメーターを手離すこととなったが、スタジオを手中に守った事で、その後、世界で最も有名なネズミのキャラクター「ミッキーマウス」を作り上げる。ウォルト撤退後はミンツの義理の関係であるジョージ・ウィンクラー(George Winkler)、さらに1929年からは(Walter Lanz)によって製作が続けられたが、皮肉にも後にウォルトが制作したミッキーマウスシリーズに報復を受ける結果となり、ユニバーサル・ピクチャーズによるアニメ作品のヒットは、1940年にランツらによって製作されたウッディー・ウッドペッカーシリーズまで待たねばならなかった。2006年2月、ウォルト・ディズニー・カンパニーは傘下のABCのスポーツ実況アナウンサー・アル・マイケルズ()のNBC移籍と引き替えに、NBCユニバーサルからウォルトが手がけた全26作品の返還に成功、晴れてディズニーキャラクターに加えられる事となった。1927年から制作が開始され、全26作品がサイレントで作られた。第1作『かわいそうなパパ “poor papa”』は未公開に終わったが、第2作である『トロリー・トラブルズ “trolley troubles“”』が公開されるや人気作品となり、ディズニーは資金を注ぎ込んで作品制作に励む。しかし配給側から支払われる金額は一向に上がっていかないため、1928年2月、ウォルトは結婚3周年記念のニューヨーク旅行を兼ねて、配給先ユニバーサル・ピクチャーズに製作費値上げ等、契約交渉に出向いたが、先方から返されたのはオズワルド等の版権はすべてチャールズ・ミンツとユニバーサル・ピクチャーズに所有権があるため、勝手な作品作りは認めることができない、加えて「さらに製作費を下げなければアニメーターを引き抜く」との答だった。挙句にミンツによって秘密裏に行われたディズニー・カンパニーからの従業員引き抜き工作によって3月に帰ったウォルトが目にしたのは、空席だらけのスタジオと、引き抜きを断ったアブ・アイワークスとその助手の2人のスタッフだった。その後3人は昼間には契約上8月までに製作しなければならない4本のオズワルド作品を制作する一方で、夜になると会社の再建をかけて密かに新たなネズミのキャラクター“ミッキーマウス”の制作に取り掛かった。このオズワルドの苦い経験から、これ以降ウォルト・ディズニー・カンパニーでは「ミッキーマウス保護法」とも揶揄される非常に厳しい版権管理体制が敷かれることになる。このときのオズワルドのデザインは全身が黒く、初期のミッキー(1938年までの「黒目デザイン」)の鼻を縮めたような丸顔で、ミッキーの耳を伸ばし足を大きくしたような姿をしている(手袋や靴は無く、衣装はハーフパンツや片吊りサスペンダー付きのズボンのみ)。作品全体では、ストーリーや細かいギャグのアイデア等、後年のミッキー作品のモチーフを多く見出すことが出来る。また、作中、アニメーションの文字を操って道具にして使うサイレント作品ならではの演出や、自分の耳や足・首その他、身体の各パーツは適宜取り外すなど、独自のユーモラスな描写も取り入れられている。1928年にウォルトの契約が切れると、ジョージ・ウィンクラーが製作の中心となり、ディズニー・カンパニーから引き抜いたアニメーターらで制作が継続された。1929年制作の『ヘン・フルーツ “Hen Fluit”』でオズワルド作品上はじめてのトーキーを実現させた。しかしユニバーサル・ピクチャーズ設立者であったカール・レムリはこのような制作体制は認めず、間もなくユニバーサル・ピクチャーズ直営の体制に変換させた。1929年、カール・レムリからの指名を受けたウォルター・ランツはこれ以降のオズワルド作品の制作に携わった。しかし、オズワルドのキャラクターデザインは、当初のデザインをベースにしながらも変更が加えられた。表情を鮮明にする意図から頭を大きくして頭身が低くされ、「人間の子どもの立ち姿」のようなスタイルとなり、黒い楕円だった目には三角の「スリット」が入れられた。また衣装を身につけるようになり、普段の姿も「半ズボン、白手袋、靴」と、ミッキーマウスを意識したかのような姿となる。 さらに1935年以降は自然な形を重視するため、ステレオタイプな「ウサギのキャラクター」へと大幅に改変され、ディズニーやアイワークスらが創作したオズワルドのキャラクター造形とは完全に異なる姿に移行する。結局、こうした改変が観客の不評をかったことや、ランツが自身のオリジナル・キャラクターである「ウッディ・ウッドペッカー」や「」で人気を確立したこともあり、1943年を最後にオズワルド作品はついえることとなった。2004年から2005年にかけて日本ではクレーンゲームの景品(タイトー)やキューブリックとして、1935年以前のウォルター・ランツ時代のデザイン(カラーはネイビーブルー)のオズワルドが商品化された。2008年には「ウォルト・ディズニー・トレジャーズ」シリーズのひとつとしてDVD化され、初期短編のうち13作品が収録。その後は初期短編がディズニーチャンネルで放送されることがある。2010年から2012年にかけて開催された東京ディズニーランドの春季イベント「ディズニー・イースターワンダーランド」にオズワルドをデザインしたフロート車が登場した。2010年のゲームソフト『ディズニー エピックミッキー 〜ミッキーマウスと魔法の筆〜』ではミッキーマウスと初共演を果たし(声・フランク・ウェルカー)、続編の『』ではプレイヤーキャラクターのひとりとなっている。2013年(日本では2014年)公開の『アナと雪の女王』と同時上映された『ミッキーのミニー救出大作戦』に数秒間ながら出演、返還後初のアニメーション作品への登場となった。2014年4月2日から2015年3月31日まで、東京ディズニーシーのアメリカンウォーターフロント内にある、ケープコッドでキャラクターグリーティングを開催。全世界のディズニー・パークの中で初お目見えとなった。1927年に制作された第2作で、大ヒットした。オズワルドはトロリー(路面電車)の運転士として登場する。線路の幅が変わるのに対しトロリーの車幅がそれに応じて変化し、また牛が線路をふさいでいるのに対し電車が下をくぐって前進するなど、初期のミッキー作品でも登場するユーモラスな動きが既に随所に表れている。

出典:wikipedia

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