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東京電力女子サッカー部マリーゼ

東京電力女子サッカー部マリーゼ(とうきょうでんりょくじょしサッカーぶ マリーゼ)は、なでしこリーグに所属していた女子サッカーチーム。呼称はTEPCOマリーゼ。「海(マリーン、marine)のように力強く、風(ブリーズ、breeze)のようにさっそうと」との意味が込められている。広野町にあるJヴィレッジを本拠地としていた。選手・スタッフは全員が東京電力の社員で、選手は午前中に各地の職場で勤務し、午後に専用のラッピングを施した「マリーゼバス」でJヴィレッジのグラウンドに集合して練習していた。なでしこリーグでは唯一の「実業団チーム」である。2011年シーズンは、福島第一原発事故の影響で活動を自粛し、9月28日に正式に休部を発表したのち、ベガルタ仙台が所属選手を受け入れ、ベガルタ仙台レディースとして再出発した。チーム運営費が発送電コストに計上されてきたことが問題として取り上げられている。地元・宮城県で開催される「新世紀・みやぎ国体」(2001年)での活躍を目標に、1997年4月に宮城県志田郡三本木町(現・大崎市)を本拠としてYKK東北女子サッカー部フラッパーズとして創部された。チームの愛称である「フラッパー」 (flapper) とは「おてんば娘」という意味で、三本木町民とYKK従業員の公募により命名された。企業所有のチームで、YKK社内で主に事務所での仕事をこなしてからナイター練習という、日本女子サッカーリーグ(当時L・リーグ)チームにおいて、恵まれた環境であった。2000年からL・リーグに加盟。前シーズン限りで廃部となったOKIから移籍した佐藤春詠、大部由美の加入もあって4位と好成績を残す。2001年も3位となり、2002年こそリーグ戦7位と低迷するも、翌2003年は一次リーグ(東日本)を1位、決勝リーグでも5位と中位をキープし、着実なレベルアップが展開された。国体では、1998年のかながわ・ゆめ国体で優勝、2000年のとやま国体、2001年の新世紀・みやぎ国体では2連覇を果たすなど、常に上位に進出した。しかし創部当初の目的であるみやぎ国体優勝を達成したため、その存在意義があいまいになり、廃部の噂がつきまとうようになった。2003年10月、YKKの子会社であるYKKアーキテキュチャルプロダクツ(YKK AP)へのチーム移管に伴い、2004年からチーム名をYKK AP東北女子サッカー部フラッパーズと改称。2004年9月、東京電力への移管が発表された。2005年から本拠地を福島県双葉郡楢葉町および広野町にある同社敷地内に建設したJ-ヴィレッジに移して再スタートすることになり、一般公募により愛称を「マリーゼ」 (Mareeze) とした。初年度は、ディビジョン1で4位と好発進した。ホーム観客動員数が平均4,000人を超え、「マリーゼ10,001人プロジェクト」として、福島県営あづま陸上競技場で開催された浦和戦では、7,670人を集客した。県内で生中継された試合の視聴率が7%に届く。2006年シーズンは、引分けと敗戦が続いて1勝しか挙げることができず、年間成績最下位に終わり、翌2007年のディビジョン2降格が決まった。同年11月17日に木村孝洋監督は引責辞任し、年末の全日本女子サッカー選手権大会は、DF大部由美が選手兼任の形で監督に就いた。シーズン終了後、チーム草創期を支えた大部、GK石川敦惠、MF棚橋美智子、FW佐藤春詠の4選手が退団。5名の選手が新たに加わった。2007年シーズンは監督に野村貢を招聘し、チームの建て直しを図った。高槻、千葉との昇格争いを制して優勝。1年でのディビジョン1復帰を決めた。また同年のなでしこリーグカップではTASAKIや伊賀を破り、ベスト4に進出した。シーズン終了後はDF青木知里、DF宇野涼子、DF北郷裕子、FW桑原沙緒莉、FW鈴木玲美が退団し、6名の選手が入団した。2008年シーズン、ディビジョン1に復帰。順位は6位。シーズン終了後、野村監督は任期終了で退任。全日本女子サッカー選手権大会では、快進撃を続け、3位(ベスト4)という成績を勝ち取った。シーズン終了後はGK内田由布子、DF池田瑞穂、DF藤本まどか、MF早坂優が退団した。2009年シーズンに向けて、伊賀の中心選手でなでしこジャパンでの経験豊富なMF宮本ともみら7名を獲得。また監督には昨シーズンまでJリーグ・湘南を指揮していた菅野将晃が就任し、「リーグ3位以内」を目標にする事が発表された。走力向上を主とした厳しい練習の成果もありリーグ戦は3位。また、全日本女子サッカー選手権大会でも2年連続の3位となった。シーズン終了後はGK増田亜矢子、DF宮崎由香(ボストンへ移籍→ホッケーに転身)、MF五十嵐章恵、MF神原史(アギラス神戸へ移籍)、MF松野みどり、MF神戸成美、FW丸山桂里奈(フィラデルフィアへ移籍→ジェフレディース→現:スペランツァFC大阪高槻)、FW本間真喜子、FW森田牧子の9名が退団した。2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した当時、マリーゼのメンバーは宮崎県でキャンプ中であったため、直接的な被災を免れた。しかし、その後の福島第一原子力発電所事故により、本拠地のJヴィレッジは事故の対応拠点となり、選手・スタッフ全員が自宅待機となった。オフィシャルサイトも事故後間もなく休止した。リーグ戦の開幕を4月3日から4月29日に変更することが3月23日にリーグから発表された後、4月12日に東京電力が2011年シーズンの活動自粛を申し入れ、日本女子サッカーリーグ理事会で承認された。以後、他チームへ移籍する選手についてはリーグから代行して発表された。6月に東京電力の社長に就任した西沢俊夫は、経費削減のためマリーゼを含め実業団スポーツから撤退することを明らかにした。マリーゼは新たなスポンサーを探すことになったが、2012年度シーズンのなでしこリーグへの残留は認められず、2011年9月までに新しい受け入れ先が決まり「存続」となった場合でも、2012年度シーズンからは2部にあたる「チャレンジリーグ」に降格となる方針が確認された。一部の報道では、日本プロサッカーリーグ(男子Jリーグ)に参加する一部チーム(最有力の川崎フロンターレや、鹿島アントラーズ・大宮アルディージャ・柏レイソル)の運営企業が譲渡先とも伝えられたが、9月28日に正式に休部することとなり、2012年度の日本女子サッカーリーグへの参加も休止することとなった。東電は、「マリーゼは、一時的な「休部」として存続し、福島県の復興とともにマリーゼの活動を再開する際には、改めて当社女子サッカー部としての活動を認めていただけることについて、日本サッカー協会および日本女子サッカーリーグより特別のご了解をいただいております。」とも告知しており、将来の活動再開にも含みを持たせたものの、事実上解散となった。10月13日、なでしこリーグ理事会は、株式会社ベガルタ仙台がマリーゼの選手を受け入れてチャレンジリーグに加盟することを承認し、11月4日に正式決定した。休部前にマリーゼに登録していた選手26名は、18名(2011年シーズン中に移籍7名+同シーズン中マリーゼに在籍11名)がベガルタ仙台レディースに移籍、鮫島彩ら6名がその他のチームに移籍、森本華江と保格彩乃の2名が東京電力に留まると発表された。2012年2月1日、ベガルタ仙台レディースはマリーゼからの18名にセレクションによる2名を加えた20名体制で正式発足した。マリーゼ時代の本拠地(事務局・練習場)はJヴィレッジであり、ホームゲームの半分はJ-ヴィレッジスタジアムで行っていた。Jヴィレッジ以外では、福島県内と東京電力の給電地域内ホームゲームを開催していた。なお、国体では福島県代表に一部の選手を出場させていた。日本女子サッカーリーグでの成績( )内は移籍先。

出典:wikipedia

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