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海洋調査船へりおす遭難事故

海洋調査船へりおす遭難事故(かいようちょうさせんへりおすそうなんじこ)とは1986年6月16日に福島県相馬市の鵜ノ尾埼沖合いで海洋調査船「へりおす」が沈没した海難事故。海難審判での事件名は潜水艇支援調査船へりおす遭難事件。当時最新型の海洋調査船「へりおす」が処女航海中に福島県沖で沈没し、認定死亡含む9人が亡くなったもの。1985年9月30日、ミスミグループの駿河精機は、同社がアメリカから輸入して、同グループの日本浅海研究所が運用していた潜水艇「シーホース」(1.98総トン、活動水深200メートル未満)の母船として、潜水艇支援調査船「へりおす」を発注した。11月3日、藤新造船所において起工式が行われ、1986年2月19日に進水、3月15日に竣工した。船質は鋼、長船首楼船型の1層甲板船であり、船尾甲板は海洋調査を行うための作業区域とされていた。「シーホース」はその中央やや船尾よりに搭載されており、船尾左舷側のクレーンによって着水・揚収を行うこととされていた。1986年6月16日、「へりおす」は、「シーホース」による漁礁調査と一般公開の目的のため、母港である静岡県清水市(当時)の清水港を出港し北海道の羽幌港に乗員9人を乗せ向かっていた。途中、福島県いわき市の塩屋埼灯台付近で海域の悪天候に遭う。運航管理者は「前線が近づいているのでなるべく避難するように」と助言したが、へりおすはそのまま航行した後、福島県相馬市、鵜ノ尾岬の沖合いで遭難信号なきまま消息を絶つ。海難審判ではこの消息を絶った1986年6月16日午前5時38分ごろを沈没の時間としている。翌日の6月17日、付近を通りかかったフェリーが無人で漂流する救命イカダを発見。海上保安庁の巡視船が付近の海域を捜索したところ、鵜ノ尾岬灯台の東方31海里(約57km)、水深約215メートルの海底に沈んでいるへりおすの船体を発見。7体の遺体を収容したほか、2人が行方不明のまま認定死亡で総勢9人の死者を出す大惨事となった。亡くなった調査員はすべて20代~30代の若者であった。海難審判庁は、潜水艇撮影のビデオテープの検証や所有者、造船所に対しての聴取、気象の精査などを行ったがめぼしい原因証拠がなかったため、230メートルの海底からの引き上げに踏み切る。海難審判の参考による沈没船の引き上げは国内初であった。引き上げは1987年9月28日から開始され、1988年7月14日に船が宮城県の塩釜港に係留され調査が行われた。乗員が全員死亡したことで目撃者がなく、めぼしい原因証拠を探すのに困難を極めたが船を引き上げたことで「重大海難事件」の証拠が整ったとして、1988年12月21日に海難審判の開始を申し立てた。指定海難関係人は運航管理者と造船所の設計課長であった。第1回の審判は1989年3月7日に仙台高等海難審判庁で開始された。第一審で尋問や証拠精査を行った後、1990年1月18日結審。1990年3月20日に出た裁決内容に不服があったため控訴。第二審は高等海難審判庁で1991年7月1日に行われ、「本件遭難は、天候悪化の傾向があるときに陸岸に接航する針路をとらなかったことと、開口部の閉鎖が十分でなかったこととに因って発生したものである。」という主文を以って1992年6月3日に裁決の言渡しが行われた。

出典:wikipedia

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