LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

塩屋 (軽質油運搬艦)

塩屋(しおや)は、日本海軍の給油艦。軽質油運搬艦である足摺型給油艦の2番艦。艦名は福島県小名浜港の北東にある塩屋埼による。仮称艦名「第220号艦」。1941年(昭和16年)度マル臨計画2次計画により三菱重工業長崎造船所で建造され、1943年(昭和18年)11月9日に竣工。佐世保鎮守府籍となり、同日に連合艦隊付属となる。塩屋の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、1944年(昭和19年)1月6日に、特務艦足摺、特設運送船(給油)興川丸(川崎汽船、10,043トン)とともに臨時M船団を編成し、第36号哨戒艇の護衛を得て高雄を出港。マニラまではヒ29船団と同行し、1月9日にマニラに到着後分離してタラカン島経由、1月15日にバリクパパンに到着する。以後、バリクパパンとダバオ間の軽質油輸送などに従事。5月はほとんどの期間を第30号掃海艇とともに行動する。5月4日、塩屋はバリクパパンを出港し、5月6日にダバオに到着した。補給の後5月9日にダバオを後にして、サンボアンガを経由し5月11日にセブに到着。5月14日にセブを出港してバリクパパンに向かうが、5月15日午後には潜水艦を発見し、これと交戦しようとした第30号掃海艇に対して攻撃制止の令を出してバリクパパンに急ぎ、5月16日に到着した。5月23日に第30号掃海艇の護衛で再びダバオへ向けて出港するが、翌5月24日に潜水艦の攻撃を受ける。第30号掃海艇および哨戒機とともに爆雷を投下して潜水艦を制圧した後、5月25日にダバオに到着した。6月7日、塩屋はバリクパパンを出港するが、翌6月8日午後、のセレベス海マナド北西方で、アメリカの潜水艦ラッシャー("USS Rasher, SS-269") から発見された。ラッシャーは塩屋を浅間型練習艦、その護衛艦を天津風型駆逐艦(磯風型駆逐艦)と識別し、浅間型練習艦に対して魚雷を6本発射した。うち5本が命中したと判断され、塩屋はこのラッシャーの魚雷攻撃により沈没した。8月10日に除籍された。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。