西伯方村(にしはかたむら)は愛媛県越智郡にあった村である。1955年(昭和30年)に伯方町との1町1村の合併により伯方町となり、自治体としては消滅した。さらに平成の市町村合併で今治市と越智郡11か町村の合併により今治市となり、現在に至っている。現在の今治市の北部島しょ部にある伯方島の概ね西半分。西は鼻栗瀬戸をはさんで大三島に、北は伯方瀬戸をはさんで生口島に、南は宮窪瀬戸をはさんで大島に向かい合っている。東隣の伯方町とは宝股山が境となっている。下記以外の歴史については伯方島及び伯方町の記事を参照のこと。藩政期には今治藩領。合併前の旧3か村の名をそのまま大字として継承した。合併し伯方町になっても継承された。なお、現在、今治市になってからの地名表記は「伯方町」に旧の大字を続ける。大字は省く。米、麦、甘藷芋などを産した。ミカンが導入されたのは近隣の島々に比べて遅く、栽培が本格化するのは昭和30年以降である。平地はほとんどなく、また農業水利に恵まれないため、農業は伝統的に盛んではなく、また大網の記録も残っていないなど漁業も小規模であり、他地域への出稼ぎも多かった。北浦では今治城造営の際に多数の村民が石材運搬や石積みに従事した歴史があり、太平洋戦争前までは、石工、船員、塩田作業員などの出稼ぎも多かったが、古くから海運業が発達した。北浦では、温暖寡少雨の気候を生かして、古くから塩田を用いた製塩が営まれていた。江戸時代には北浦の庄屋の中村家により塩田が造営され、19世紀半ばに完成した。ただ、今治藩が塩田を大規模に造営した東伯方ほどではなかった。伯方島の製塩は明治に入り、製塩が藩の手を離れてから製法の改良などさらに発展を遂げた、一方、政府の統制も強まっていった。近代的な成長を遂げたのは昭和30年代以降のことである。このほか、石灰なども産した。鉄道は通っていない。港湾
出典:wikipedia
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