民間宇宙飛行(みんかんうちゅうひこう、)とは、政府などの公的機関の宇宙計画ではない手段によって地上、カーマン・ラインより上方に到達し、宇宙飛行士の資格を得る宇宙飛行を指す。宇宙時代の最初の数十年間で、アメリカ合衆国のNASAとソビエト連邦設計局は系列政府機関と私企業との共同開発による宇宙技術を開拓した。この後、防衛産業の大企業は、政府のロケットや商業衛星打ち上げ技術から得られた発射設備を開発し、操業を始めた。地球軌道での民間宇宙飛行は通信衛星、衛星テレビ、衛星ラジオ、及び軌道の宇宙旅行を含んでいる。最近では民間企業開発のスペースプレーンが開発され、試験飛行が始まっている。民間宇宙飛行は地球周回軌道を超えるものも計画されており、スペースコロニー、太陽帆、宇宙葬、及び民間の宇宙飛行を含んでいる。民間での宇宙飛行のプロトタイプとしては地球の低軌道を弾道飛行する民間宇宙旅行が既に存在している。宇宙飛行の初期、大きな国家には宇宙船を開発して打ち上げるだけの資源があった。アメリカの宇宙計画とソ連の宇宙計画の両方が、宇宙飛行士として主にパイロットを使用し宇宙船の操作を行わせた。後に企業が宇宙発射施設の資源を提供・購入し、その結果、民間宇宙飛行の開発を始める土壌が出来上がった。民間宇宙飛行の初期段階は商業通信衛星の打ち上げだった。1962年にジョン・F・ケネディが制定した1962年度放送衛星条約は民間企業自身が通信衛星を所有・操作しながら衛星通信事業への道を切り開いた。これらは国家単位で所有されている打ち上げシステムで打ち上げられた。1980年3月26日、欧州宇宙機関 (ESA) によってアリアンスペースが設立された。この企業はESAで開発・実用化された人工衛星打ち上げ用ロケットであるアリアンロケットの打ち上げ実施のためにヨーロッパ12ヶ国53社が出資した共同企業である。アリアンスペースの通算としては260・261回目、アリアン5としては通算40回目である。アメリカ、NASAの宇宙計画は1981年4月12日のSTS-1、コロンビア号の打ち上げから一貫してスペースシャトルが使用され続けたが、1986年1月28日、STS-51-Lでチャレンジャー号爆発事故が発生し、計画は変更された。当初は、NASAは衛星打ち上げに助成金を支給し、スペースシャトルの長期運用による限界費用を引き延ばそうとした。1984年10月30日、アメリカ大統領ロナルド・レーガンは商業通信衛星の打ち上げに関する条例 (Commercial Space Launch Act) に署名した。これによってアメリカ企業は使い捨てロケット打ち上げ産業へ参入することが可能となった。この調印の前に、アメリカ国内での全ての商業通信衛星の打ち上げはNASAのスペースシャトルを使用することに制限された。1990年11月5日にはジョージ・H・W・ブッシュ大統領が打ち上げシステム購買条例に署名した。この条例は以前のNASAのスペースシャトルによる衛星の打ち上げ事業独占を完全に反故にするもので、NASAの打ち上げ設備を民間企業が必要とするときにはいつでもそのサービスを利用出来るものとし、商業用途で最も大きな積載能力を欲するときにもそれを商業利用出来るものとした。1997年における民間商業用ロケット発射回数は政府所有のアメリカ東部地域実験場発射回数に数で勝った。ロシア政府は1994年にRSCエネルギア社(RKKエネルギア)の株式の一部を個人投資家に販売した。エネルギアはクルニチェフ国家研究生産宇宙センターと共にロシアの有人宇宙探査計画の大部分を構成しており、1997年にはロシア政府は保有株式の殆どを安く売り払った。2002年現在のRSCエネルギア社の株式保有率は、エネルギア社が60 %を保有、残りの40 %を投資家が保有している。1995年以来、ソユーズロケットはスターセムを通して売り出されているが、クルニチェフのプロトンロケットはインターナショナル・ローンチ・サービスを通して売り出される。エネルギアは、ソユーズロケットを組み立ててウクライナの海上でゼニットロケットで打ち上げるシーローンチプロジェクトの一部を所有している。2003年、アリアンスペースはボーイング、三菱重工業と共同でローンチ・サービス・アライアンスを締結した。2005年には、アメリカ国内のを求める合衆国政府の小さな商業市場の独占のためにユナイテッド・ローンチ・アライアンス社と呼ばれる合併事業のためにロッキード・マーティンおよびボーイングと提携した。今日では、多くの商用ロケット打ち上げ企業が世界中の通信衛星企業と政府宇宙機関に対するサービスを提供している。2005年には18の総合商業事業の打ち上げと37の非営利的な打ち上げがあった。このうちヨーロッパでの打ち上げは28 %、ロシアは44 %の商業衛星打ち上げを行ったが、アメリカは6 %に留まった。宇宙への輸送業務は主に国家目的のものと民間商業目的のものとに分けられる。現在、全世界で一年間に80回の衛星打ち上げが行われている。このうち政府による衛星打ち上げが8割で、民間での商業衛星打ち上げは2割の約16機でしかない。この分野はユナイテッド・ローンチ・アライアンス社が行うアメリカ合衆国政府が要するペイロードのための打ち上げ業務やアリアン・スペース社によるヨーロッパの衛星打ち上げによって寡占されている。ロシアの打ち上げサービスはこれらの企業に続いている。詳しくはローンチ・ヴィークルの一覧を参照のこと。2006年1月18日、NASAは商業企業が軌道への輸送サービスを行うデモンストレーションを発表した。NASAの計画では、国際宇宙ステーション (ISS) へのペイロード輸送に関する民間企業の打ち上げ能力開発を支援するために50億ドルの融資を行うことを計画していた。精度の高い軌道投入とISSへのランデブー、また別の宇宙船へのドッキングの必要があるため、これは当時のどの民間宇宙飛行業務より難しいものだった。商業企業の特定のサービスエリアへの参加が予定された。NASAの管理者であるマイケル・D・グリフィンは、『"手頃な商業軌道輸送サービスがなければ、政府機関には宇宙開発の展望の目的を達成するために残っている基金が十分でない"』と述べた。2006年8月18日、NASAはスペースXとロケットプレーン・キスラー (RpK) の2社がCOTS計画の第1段階での勝者となったことを発表した。RpKは後に資金不足から契約を打ち切られ、代わってオービタル・サイエンシズ社が候補とされた。NASAは、ISSに対するCOTSサービスが少なくとも2015年までには必要になると予想した。NASAの管理者は輸送サービスの調達を軌道上の燃料輸送まで広げることと月面までの輸送がCOTSの第一段階の成功に繋がるならばそちらの方面でのサービスを行うことを勧めた。2012年5月にスペースX社のドラゴン宇宙船が、翌2013年9月にはオービタル・サイエンシズ社のシグナス宇宙船がISSに到達し、民間による輸送サービスは現実のものとなった。2004年以前にはどんな個人出資の有人宇宙飛行も実現したことはなかった。スペースシャトルに同乗しての宇宙旅行か、ロシアのソユーズで打ち上げられるミールに同乗しての国際宇宙ステーションへの往復が唯一の民間人宇宙旅行の手段だった。世界初の民間人宇宙旅行はデニス・チトーによるもので、彼は国際宇宙ステーション (ISS) を訪れるための旅費を個人出資し政府機関の宇宙船を使用して2001年にISSへ宇宙旅行し帰還した。その他の旅行としては1986年にコロンビア号に同乗したアメリカ合衆国連邦議会委員のビル・ネルソンと1990年にロシアの宇宙船ソユーズでミール宇宙ステーションを訪れた秋山豊寛、同じく1998年8月13日にロシアのバイコヌール宇宙基地からソユーズにてミールを訪れたガチャピンがいる。アンサリ・エックスプライズは民間による宇宙飛行技術を競うコンテストである。2004年6月21日にスペースシップワンは高度100キロメートルに到達し、世界初の民間宇宙船による有人宇宙飛行を達成した。2004年10月4日にはエックスプライズの獲得条件も達成し、1番乗りの賞金として1,000万ドルを獲得した。2004年9月27日、スペースシップワンが成功を収めた後、リチャード・ブランソンは ヴァージン・グループとバート・ルータンの経営権、スペースシップワンのデザイナーであるヴァージン・ギャラクティックと機体に関する技術のライセンス、及び2年半 - 3年後までに商業宇宙飛行を可能にする計画を取得したと発表した。5隻の機体を完成させ、飛行に掛ける経費は20万ドルであり、ブランソンは彼の計画で長期の宇宙飛行をより手頃にするための出資であると述べた。2004年12月、合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュは商業宇宙打ち上げ条約改正条例に調印した。条例では民間での宇宙飛行に関する曖昧だった部分を定義し、既に出現しているアメリカ国内での商業有人宇宙飛行産業 (U.S. commercial human space flight industry) を発展・促進するように定められている。2006年7月12日、ビゲロー・エアロスペース社はジェネシスIを打ち上げ、軌道周回宇宙ステーションのモジュールとした。2007年6月28日にはジェネシスIIの打ち上げを行い、これらの計画ではBA 330宇宙ステーションモジュールの追加原型となる予定である。2006年9月28日、ジム・ベンソンはSpaceDev社を創立し、ベンソン・スペース・カンパニー社の設立及び垂直発射と水平着陸を行うNASAのHL-20をベースに開発したドリーム・チェイサー民間打ち上げ運用機を運用する最も安く最も安全に民間宇宙飛行を売り出す会社であると発表した。2008年6月18日、ファーストアドバンテージ社とロケットプレーン・キスラー・ジャパンは宇宙結婚式の申し込み受付を2008年7月1日より開始すると発表した。飛行時間は約1時間で、訓練に4日を要し、費用は2億4000万円となっている。また、ソユーズの民間宇宙飛行は2009年3月で終了することが報じられている。1990年代、通信衛星打ち上げ事業の開始に伴い、需要の高い映像配信プロバイダは多くの商業市場で事業の開発に関心を持った。288の衛星を持つテレデシックネットワークなど、通信衛星事業最大手が開発に失敗したとき、市場の要求は消え失せた。民間部門と国防総省からなる軍産複合体との競合するNASAの行動傾向のために、幾つかの民間宇宙開発ベンチャーの発展が妨げられている。1996年、NASAはロッキード・マーティン社とスカンクワークス社を指定し、再使用型宇宙往還機である単段式宇宙往還機 (SSTO)ベンチャースターを製作するように命じた。ベンチャースターはフルスケールの商業輸送宇宙機となる予定のものであった。まずはベンチャースターの試作機であるX-33を開発することとなった。1999年、X-33のサブスケール原型試作機は合成液体燃料タンクのテスト期間中に失敗が続き、NASAは9億1,200万ドルの資金を供給したが、2001年3月31日に計画中止となった。ロッキード・マーティン社は3億5,700万ドルの投資を行い、うち1,200万ドルが宇宙船の開発に投入された。1997年、ビール・エアロスペース社は低コスト重量物打ち上げ機としてBA-2計画を立ち上げた。2000年3月4日、BA-2計画のテストで大型液体燃料ロケットエンジンとしてサターンVロケットのものを使用した。2000年10月、ビール・エアロスペース社はNASAとアメリカ国防総省のエヴォーブド・エクスペンダブル・ローンチ・ビーグル (Evolved Expendable Launch Vehicle, (EELV)) 計画への融資に伴い、EELVの開発に専念するという主旨に従い計画を中止した。1998年、ロットン社 (Roton) は計画を立ち上げ、単段式宇宙往還機 (SSTO) にパイロットを乗せ垂直発進と着陸 (VTOL) を行う宇宙輸送を計画した。1999年、ロットン・アトモスフェリック (Roton Atmospheric) のフルスケールテストは3回の飛行が行われた。2001年、ロータリー・ロケットの開発費は何千万ドルにも膨らんだが、ロットン社は開発着手に値する打上げ契約の獲得に失敗し、ロータリー・ロケット計画は中止された。OTRAG( または , オトラグ)は1970年代から1980年代初頭にかけて計画された人工衛星打ち上げロケットである。Common Rocket Propulsion Units (CRPU) と呼ばれる同一の規格化されたロケット(モジュラーロケット)を束ねることによって様々な用途への適用を目指した。OTRAGは1975年にドイツの航空宇宙技術者であるLutz Kayserによって設立された。目的は低コストの人工衛星打ち上げロケットを開発、運用する事だった。OTRAGロケットの概念は当時のアリアンやNASAのスペースシャトル等のロケットとは全く異なった概念による物で600人からなる出資者を募りOTRAGロケットの開発を行った。NASAのケネディ宇宙センターを退職した博士が会長になりヴェルナー・フォン・ブラウンがKayserの助言者になった。1975年にザイール(現コンゴ共和国のカタンガ州)のShabaで試験施設が作られた。Debusとフォン・ブラウンはザイールがこの施設からミサイル技術を獲得する可能性を懸念した。Kayserは彼等の反対にも拘らず続行する事を決め、1977年から試験を始めた。会社の業務を停止するように政治的圧力がかかった。フランスとソビエト連邦は歴史的にドイツによる長距離ロケットの開発に反対しており、1979年にコンゴ政府に施設を閉鎖するように圧力をかけた。直後にフランス大統領のヴァレリー・ジスカール・デスタンとソビエトのレオニード・ブレジネフが西ドイツ政府にOTRAG計画の中止とドイツの運営の閉鎖を迫った。1980年にOTRAGは生産と試験施設をリビアへ移転した。1981年から始まった試験は成功した。OTRAGの設計は従来の多段式ロケットとは大きく異なるものだった。OTRAGの設計は並列に多数のロケットを組み合わせたものであった。ロケットは一般的な通信衛星の重量である最大2トンの衛星を静止軌道へ投入するように設計された。計画では同一のモジュールを組み合わせて10トン以上の軌道投入能力を備える事も視野に入れていた。ロケットは直径27cm、全長6mの個々の管によって構成されていた。4本の管に燃料タンクと酸化剤タンクと下端にロケットエンジンを備え、24mの長さになった。燃料はケロシンで硝酸と四酸化二窒素の50/50の混合物を酸化剤とした。点火は少量のフルフリルアルコールを燃料より先に噴射して硝酸と接触することで自己着火する事によって行う。単純化の為に燃料の供給にポンプを使用せず燃料タンク内には66%までしか燃料を充填せず圧縮ガスを充填する事で燃料をアブレーション冷却の燃焼室へ圧送する。推力制御は電気機械式推進剤弁を部分的に開閉することで行う。ピッチ軸とヨー軸は対角方向のエンジンの出力を増減する事で行う。この原理は信頼性が高く大量生産により安くなる。モジュラー設計を取り入れる事により規模の経済により大幅にコスト削減する事を目指す。従来の設計と比べて打ち上げコストを約1/10に引き下げる見込みだった。全ての部材の生産を自動化する事で人件費を20%から80%減らし、使用済みのロケットの再使用の正当性を除いた。ザイールとリビアによるOTORAGの潜在的な利用の懸念に関するいくつかの政治的な論争が知られる。軌道投入ロケットは組み立てられなかった。モジュールはザイールとリビアで打ち上げられ、6000回のロケットエンジンの地上試験と16回の単段の認証試験が概念を実証する為に実施された。当時、ドイツの外務大臣だったハンス=ディートリヒ・ゲンシャーはフランスとソビエトの政治的圧力の下で計画の中止を命じ、西ドイツは"ヨーロッパ製ロケット"であるアリアン計画の共同出資に加わる事によりOTORAG計画は不要になり、まだ分断されていた1980年代初頭のドイツの政治的関係の縺れを解消した。完全再使用型の2段式ロケットK-1を開発していたロケットプレーン・キスラー (RpK) は、2006年にNASAのCOTS計画の第1段階で勝者となるなど、一時注目を集めた。しかし同社はその後の資金調達に失敗、2007年に契約を打ち切られ、2010年7月にはChapter 7の適用を受け倒産した。多くの近未来の民間宇宙飛行計画が予想されているが、1つの可能性としてスペースシップワンのような低軌道宇宙観光旅行のようなものがある。更に、低軌道宇宙船としてはより速い大陸間の物品配送や旅客便のようなサービスも想定されている。スペースX社のファルコン9ロケットは2008年6月下旬に最初の打ち上げを計画され、2008年6月3日、スペースX社は5月29日にテキサス州の試験施設で行われたファルコン9に用いられるエンジン5基の同時燃焼試験が成功したことを発表した。有人飛行のためのテストも完了している。この証明を受けるのはアメリカのスペースシャトル以来、軌道飛行船としては初であり、宇宙船が軌道に乗る際に有料で旅客を行うことを可能にする。2006年3月6日、計画のフルスケール実験機はドラゴンと名付けられ、7人の旅客カプセルの輸送が可能であると発表された。ファルコン9の飛行計画には、ビゲロー・エアロスペース社が製作した宇宙ステーションモジュール(NASA設計のトランスハブに由来するもの)の打ち上げも予定されている。ビゲロー・エアロスペース社はモジュールを微少重力下で使用することに関した研究を行い、宇宙での製造と、モジュールを軌道上でのホテルサービスとして使用する宇宙旅行を計画した。また民間打ち上げ施設のために、ビゲロー・エアロスペース社はに5,000万ドルを融資した。は弾道飛行による商業宇宙飛行サービスをリンクス・ロケットプレーンで行うことを計画している。最初のテストフライト計画は2012年を予定している。エクスカリバー・アルマースの現代的なアルマース宇宙ステーションの打ち上げ計画では、宇宙旅行かその他の使用用途が計画されている。そう遠くない未来に大型の窓を持つ宇宙船も構想されている。2005年11月15日の第52回アメリカン・アストロノーティカル・ソサエティにて行われたプレゼンテーションで、NASAの管理者であるマイケル・D・グリフィンは軌道上に燃料給油ステーションを確立することが必要であると説き、『"産業と市場にあるべき企業の形"』と述べた。2007年の宇宙技術応用国際フォーラム (the Space Technology and Applications International Forum) では、ボーイング社のダラス・ビーンホッフは燃料給油ステーションに関する詳細な利益のプレゼンテーションを作成した。小惑星に埋蔵されている金属資源に関する鉱業の推測も行われている。いくつかの試算に従うと、直径1キロメートルの小惑星には3,000万トンのニッケル、1,500万トンのコバルト と7,500トンの白金が眠っている。軌道エレベータは理論上実現可能な打ち上げ用システムで、少なくとも1つの民間宇宙事業で実現の可能性が模索されている。
出典:wikipedia
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