第三〇一海軍航空隊(だい301かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で迎撃・哨戒行動に従事した。最前線基地であったラバウルの防衛を担ってきた零式艦上戦闘機が陳腐化し、敵航空部隊が増強されたことから、量産化が始まった局地戦闘機雷電からなる戦闘機隊の編成をもくろんだ。そこでラバウル向けの航空隊として三〇一空、蘭印向けの航空隊として第三八一海軍航空隊を編成した。緊急性が高い三八一空が優先して機体を調達したため、三〇一空は開隊が一月半遅れ、実機訓練も着手できなかったため、実戦投入も大幅に遅れた。 開隊当初、雷電は試作機1機のみのため、飛行訓練は零式艦上戦闘機で代替。雷電隊は横須賀、零戦隊は厚木・館山で訓練。 (1月5日 豊橋で三八一空の雷電が空中分解事故を起こし、三八一空が零戦隊に換装されたため、三八一空納入予定機を流用したもの) 飛行隊制度を導入、零戦隊は戦闘第316飛行隊、雷電隊は戦闘第601飛行隊に改編。 館山に待機中の戦601飛行隊、雷電放棄・零戦換装のうえ硫黄島進出を下令。生産・整備・操作に難点が多かった雷電に振り回された三〇一空は、館山-硫黄島間の片道飛行もおぼつかない雷電の足の短さに泣かされ、遂に雷電を実戦に投入することができなかった。雷電に代わって実戦投入された零戦隊だったが、逐次投入・各個撃破という最悪の結末を迎えた。機体を失った硫黄島の搭乗員は、即刻派遣された輸送機で本土に帰還し、以後の本土防空戦に参加した。しかし、地上要員は帰還ならず、翌年3月の硫黄島地上戦で玉砕する。6月17日の硫黄島進出の際、零戦と引き換えに追浜へ置き去りにした雷電は、第三〇二海軍航空隊など本土防空航空隊に譲渡され、硫黄島から生還した搭乗員と再会できたものもある。
出典:wikipedia
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