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千葉県収用委員会会長襲撃事件

千葉県収用委員会会長襲撃事件(ちばけんしゅうよういいんかいかいちょうしゅうげきじけん)とは、1988年(昭和63年)9月21日に、千葉県千葉市で発生した個人を標的としたテロ事件であり、日本の新左翼の中核派が起こした未解決事件である。収用委員会とは、土地収用法に基づく行政委員会で、地方自治法により都道府県に設けられている。新東京国際空港(現・成田国際空港)が所在する千葉県も、当然の事ながら「千葉県収用委員会」を設けていた。当時、新東京国際空港の二期工事が進められており、千葉県収用委員会は収用手続を開始しようとしていた。しかし、そこに目を付けた中核派は、千葉県収用委員会の委員を「辞任させる」ことにより、新東京国際空港の運営や工事を妨害することを計画したのである。各収用委員の自宅や自動車が放火されたり、日常的な嫌がらせや悪戯が行われ、委員達は警察に何度も相談したが、千葉県警察は助けてくれなかった。新聞やテレビ等の各マスメディアも、そんな状況を無視して取り上げなかった。そんな孤立無援な状態が続いた後の1988年(昭和63年)9月21日、千葉県千葉市(現・中央区)祐光1丁目の路上で、数人の襲撃者が、帰宅途中の千葉県収用委員会会長の小川彰(当時57歳)を自宅付近で襲い、鉄パイプやハンマーで全身を殴打し、両足下腿部や両肘部を複雑骨折させるなど重傷を負わせた後、逃走した。小川や目撃者が110番通報を防ぐために、事件現場の電話線が予め切断されていた。事件後、中核派は「革命軍軍報」なる犯行声明文を出したため、公安警察は中核派によるテロ事件と断定した。小川は幸い一命を取り留めたものの、この事件の際の負傷の後遺症を苦に、治療入院していた北九州市で、2003年(平成15年)2月に入水自殺した。事件後、中核派は犯行声明を出し、「収用委員会解体闘争」と称して、千葉県収用委員全員の住所と電話番号を、機関紙『前進』に掲載して、「家族ともども処刑台に乗っていると思え」などと個人テロを宣言し、収用委員に対して組織的に脅迫じみた手紙、電話などを送り続け、殺傷を目的とした時限式発火装置による家屋への放火、圧力鍋による爆弾、遂には収用委員の親族に当たる小学生の誘拐未遂事件まで起こした。ここに至り、1988年(昭和63年)10月24日に、収用委員全員が沼田武千葉県知事(当時)に辞表を提出し、千葉県収用委員会は機能停止に陥った。新東京国際空港の建設を推進していた運輸省や日本国政府にとっては、土地収用が出来なくなる想定外の出来事であった。その後、千葉県は収用委員を選任できずにいたが、千葉県内のインフラ整備に支障を来たすようになったこと、また新左翼のテロも沈静化したことから、2004年(平成16年)に、約16年ぶりに再建された。ただし、収容委員の氏名を非公開とし、成田国際空港には適用しないこととした。2007年(平成19年)12月、千葉県は収用委員会7名の氏名を公表した。土地収用法では、収用委の審理や議事録は原則公開となっているが、新左翼のテロによる報復攻撃を防ぐために、非公開という異常事態が続いていた。なお千葉県は、道路建設などのインフラ整備に限り、土地収用法を適用しており、現在も成田国際空港に対しては、適用外の状態が続いている。

出典:wikipedia

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