アール・ロイド(Earl Lloyd, 1928年4月3日 - 2015年2月26日)は1950年代のNBAでプレイしたアメリカ合衆国出身の元バスケットボール選手。出生地はバージニア州アレクサンドリア、出身大学は。初めてNBAの公式試合に出場した黒人選手として知られる。2003年バスケットボール殿堂入りを果たし、2015年に86歳で亡くなった。ウェストバージニア州立大学でプレイしたロイドは、1948年と1949年の2度に渡って同校をCIAAカンファレンス・トーナメント優勝に導き、1947-48シーズンは無敗でシーズンを終えた。個人としては在学中に3度のオールカンファレンスチーム、2度のオールアメリカンチームに選ばれ、最終学年には平均14得点8リバウンドを記録している。大学卒業後、でワシントン・キャピトルズから指名を受ける。ロイドは同年に指名を受けたチャック・クーパー、ナサニエル・クリフトンと共にNBA史上初の黒人選手となった。そして1950-51シーズンの10月31日、対ロチェスター・ロイヤルズ戦にて、他の2人に先駆けて公式戦デビューを果たし、NBA史上初めて公式戦に出場した黒人選手となった。しかしキャピトルズはこのシーズン途中の1月9日に解散してしまうため、ロイドのルーキーイヤーはわずか7試合の出場で6.1得点6.7リバウンドの成績に終わった。その後、どのチームとも契約を結ぶことができなかったロイドは陸軍に入隊し、1952年までを軍隊で過ごした。1952-53シーズンにはNBAに復帰し、キャリアの大半を過ごすことになるシラキュース・ナショナルズと契約。以後少しずつ成績を伸ばしていき、1954-55シーズンにはキャリアハイとなる10.2得点7.7リバウンドを記録した。当時のナショナルズはドルフ・シェイズを中心とした強豪チームとしてリーグに君臨し、ロイドが入団して3年目にあたる1954-55シーズンにはフォートウェイン・ピストンズを破って初優勝を果たし、ロイドはと共にNBA制覇を経験した初の黒人選手となった。ナショナルズはこの優勝を前後して3年連続NBAファイナルに進出するが、ロイドはナショナルズ(現フィラデルフィア・76ers)最初の黄金期の主力選手の1人として活躍した。ロイドは1957-58シーズンを最後に6シーズン過ごしたナショナルズを去り、デトロイト・ピストンズに移籍した。ピストンズでは2シーズンだけプレイし、1959-60シーズンを最後に現役から引退した。NBA通算成績は9シーズン560試合の出場で、4,682得点(平均8.4得点)3,609リバウンド(平均6.4リバウンド)の成績だった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。