ジョン・ジョーンズ(Jon Jones、1987年7月19日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。ニューヨーク州ロチェスター出身。ジャクソンズMMA所属。現UFC世界ライトヘビー級暫定王者。プロデビューからわずか3年、23歳8か月で史上最年少UFC世界王者となり、かつて8度の防衛に成功した。長い四肢と抜群の身体能力を生かした変則的なファイトスタイルからニュータイプのファイターと言われている。バックボーンであるレスリングの技術に加え、ヘビー級も含めてUFCで最長の215cmのリーチを生かした打撃、高い運動能力を駆使した派手な跳び技や回転技などの変則的な攻撃が武器。長い腕を活かした肘打ちが得意で、バックハンドブローを肘を当てる形に変えたバックエルボーも得意としている。テレビカメラに向かってシャドーボクシングのパフォーマンスをする時もほぼ必ずと言っていいほど最後に肘打ちを放つ。ムエタイ仕込みの蹴り技や細長い腕を生かしたチョークも得意。また、「華麗な技の基本はYouTubeで独学した」と語っている。反則行為であるサミングや相手の負傷を狙うような関節蹴りが多い事から、ファン・関係者から批判されることがある。バス・ルッテンは「ダーティーファイターだ。相手を見下ろしながら相手の目に指を入れていた」と語っている。AKA会長のハビアー・メンデスは「あの常にヒザ頭を攻撃してくる蹴りについてだ。残念ながら今のMMAのルール上では全く問題にならない攻撃だけど、運が悪ければファイターのキャリアを終わらせる可能性があるとても危険なテクニックなんだ」と語っている。UFC代表のダナ・ホワイトはジョーンズのサミングについて質問された際、「我々はそのような行いを止めさせなければならない」と語る一方で、ジョーンズのことを嫌いなファンが過剰に反応しているとも語っている。ニューヨーク州ロチェスターに生まれ、同じニューヨーク州のブルーム郡エンディコットで育つ。幼少期に同級生と遊んでいる時に友人を怪我させてしまうことが度々起こり「何故なんだろう?」と不思議に思ったことがあると語っており、既に飛び抜けた身体能力の高さを発揮していた。兄アーサーの影響で14歳の時にレスリングを始める。高校時代にはレスリングで2005年にニューヨーク州大会で優勝を果たした。卒業後進学したアイオワ・セントラル・コミュニティ・カレッジでは2006年に全国大会で優勝し、NJCAAでオールアメリカンに選出された。その後、後に妻となる当時交際していた女性が妊娠してしまったため、20歳で大学を中退。カレッジではジョー・ソトとルームメイトであった。2008年に20歳でプロ総合格闘技デビューし、ローカル大会で6連勝を収めUSKBAライトヘビー級王座を獲得した。2008年8月9日、UFC初参戦となったUFC 87でアンドレ・グスマォンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年1月31日、UFC 94でステファン・ボナーと対戦し、3-0の判定勝ち。7月11日、UFC 100でジェイク・オブライエンと対戦し、2Rにギロチンチョークで一本勝ちを収めた。2009年8月22日、チーム・ボムスクワッドを離れ、ジャクソンズMMAに移籍。このときチームメイトとは戦わないことを約束したという。2009年12月5日、でマット・ハミルと対戦。一分以上マウントパンチと肘打ちを乱打しつつ、時折レフェリーの顔色をうかがう圧倒的優勢の最中、ハミルの顔面に垂直に落とす肘打ちを放ってしまい、ハミルが続行不能となったため反則負けを宣告され、プロデビュー以来の連勝は9でストップした。なお、ハミルは後に「ジョーンズと対戦した時、彼はトップになるだろうなと思った。結果は反則勝ちだったが、実質、彼が勝ってたことは分かってる」と語った。2010年3月21日、でブランドン・ヴェラと対戦。1ラウンド途中に顔面蹴り上げの反則を受け、ダメージで試合が中断したが、再開後に肘打ちとパウンドの連打によってTKO勝ちを収め、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2010年8月1日、でウラジミール・マティシェンコと対戦。グラウンドでの顔面への肘打ちの連打でTKO勝ちを収めた。2011年2月5日、UFC 126でライアン・ベイダーと対戦し、ギロチンチョークで一本勝ちを収め、サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。試合後、UFC世界ライトヘビー級王者マウリシオ・ショーグンへ挑戦予定であったラシャド・エヴァンスが負傷したため、代わりにジョーンズに王座挑戦権が与えられたことが発表され、オクタゴン内でショーグンと握手を交わした。2011年3月19日、UFC 128でUFC世界ライトヘビー級王者マウリシオ・ショーグンに挑戦。あらゆる局面でダメージを与えると、ボディへの攻撃でダウンを奪い3RTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。ジョーンズのワンサイドゲームであったが、2Rでジョーンズはスタミナ切れに陥りギリギリの勝利だったことをセコンドは後に語っている。2011年9月24日、UFC 135でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦。4Rの序盤にテイクダウンを奪い、リアネイキドチョークで一本勝ちを収め王座の初防衛に成功。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。当初はUFC 133でラシャド・エヴァンスと対戦する予定だったがジョーンズの手の負傷によりタイトルマッチは延期された。2011年12月10日、UFC 140でリョート・マチダと対戦し、2Rにスタンドのギロチンチョークでマチダを絞め落として一本勝ちを収め2度目の王座防衛に成功。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。同年はESPNとSHERDOGのファイター・オブ・ザ・イヤーを受賞した。2012年4月21日、UFC 145で元同門のラシャド・エヴァンスと対戦し、判定勝ち。3度目の王座防衛に成功した。2012年8月8日、NIKEとスポンサー契約を結んだ。2012年8月24日、一週間後のUFC 151で対戦する予定であったダン・ヘンダーソンが負傷欠場することが決まったため、UFCはジョーンズに代わりにチェール・ソネンとの対戦を打診したが、ジョーンズは新たな挑戦者に対し一週間では準備期間が短く十分な準備ができないことを理由にこれを拒否する。その結果、メインイベントを失ったUFC 151は大会中止となった。その後、UFC 152でリョート・マチダと対戦予定となるが、マチダは短い準備期間での対戦となるためにオファーを拒否。UFCはマウリシオ・ショーグンらに対戦を打診したが同じく準備期間の短さから拒否され、最終的に近年一階級下のミドル級で戦っていたビクトー・ベウフォートがライトヘビー級に階級を上げて同大会でジョーンズと対戦することとなった。2012年9月22日、UFC 152で代役出場のヴィトー・ベウフォートと対戦。1Rに腕ひしぎ十字固めを極められピンチに陥るも、脱出してからは優勢に立ち、4Rにアメリカーナ・アームロックを極め一本勝ち。4度目の王座防衛に成功し、サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2013年、The Ultimate Fighter 17のコーチ役をチェール・ソネンと共に務めた。2013年4月27日、UFC 159で一度流れたチェール・ソネンと対戦。クリンチアッパーで粘るソネンを金網に押し付けテイクダウンを奪い、パウンドと肘打ちで圧倒。危なげなく1RTKO勝ちしたが、左足親指を脱臼した。5度目の王座防衛に成功した。2013年9月、飲料水メーカーのゲータレードとスポンサー契約を結んだ事を発表。ゲータレードとスポンサー契約を結んだ総合格闘家はジョーンズが初である。2013年9月21日、UFC 165でライトヘビー級ランキング1位のアレクサンダー・グスタフソンと対戦。自身よりも長身のグスタフソンのパンチに苦しみ、1Rにキャリア初のテイクダウンを許してしまう。中盤も苦しい展開が続くが4Rに得意の回転肘打ちをヒットさせ盛り返し、5Rではグスタフソンはスタミナ切れを起こしジョーンズがテイクダウンを奪い返す激闘の末に判定勝ち。ティト・オーティズの持つライトヘビー級最多防衛記録を更新する6度目の王座防衛に成功。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。また、この試合はESPN、SHERDOG、FOXスポーツ、Yahoo! Sportsのファイト・オブ・ザ・イヤーを受賞した。2014年4月26日、UFC 172でライトヘビー級ランキング2位のグローバー・テイシェイラと対戦し、判定勝ち。7度目の王座防衛に成功した。また、この試合でジョーンズは腕を伸ばして自分の掌を相手の顔面に押し付ける戦法をとったが、その際に2度の反則であるサミングがあったため、一部のファンからは批判された。テイシェイラは「会心のパンチをヒットさせたがジョーンズは全くひるまなかった」と語っており、普段のジョーンズの距離感とディフェンス能力に加え、打たれ強さも証明することになった。2014年6月、UFC 178でアレクサンダー・グスタフソンと再戦する事が発表されるも、ジョーンズは「グスタフソンよりもダニエル・コーミエと試合をしたい」と発言し、コーミエとの対戦を希望した。7月23日にグスタフソンの負傷欠場が発表されると、コーミエとの対戦が決定。対戦が決定すると早速両者はtwitter上で舌戦を展開。さらに8月4日の記者会見では睨み合った際、コーミエに突き飛ばされたのを皮切りに暴れ回り、会見場を破壊するような乱闘を起こした。その後も二人の舌戦は続き、コーミエとのテレビ対談では「俺の顔に唾を吐くような真似をしてみろ、お前を殺す。本当に殺してやる」と物静かに凄んだ。しかし、8月13日にジョーンズの負傷欠場が発表され、タイトルマッチは翌年のUFC 182に延期された。2014年9月23日、UFC 178の記者会見で乱闘沙汰を起こした事により、ネバダ州アスレチック・コミッションによる公聴会への出席を命じられ、5万ドルの罰金と40時間の社会奉仕活動への参加を科せられた。また、公聴会でジョーンズはNIKEからスポンサー契約を打ち切られた事を明かした。2014年12月16日、リーボックとスポンサー契約を結んだ。2015年1月3日、UFC 182でライトヘビー級ランキング2位のダニエル・コーミエと対戦し、判定勝ち。8度目の王座防衛に成功した。試合後にはヘビー級王者ケイン・ヴェラスケスと試合をしたいと語った。しかし、試合後、12月4日の薬物検査でコカインの代謝物であるベンゾイルエクゴニンが検出されていた事が発表される。コカインはWADAの基準では禁止薬物に指定されていないためコミッションから出場停止や罰金などの処分を科せられなかったが、ジョーンズはコカインの服用を認め、薬物治療のための施設に入った事を発表した。また、同じ薬物検査の結果としてテストステロンとエピテストステロンの比率が公表されたが、アフリカ系アメリカ人男性の平均が1.3:1の所、ジョーンズの3つのサンプルは0.29:1、0.35:1、0.19:1といずれも異常に低い数値を示した事が判明した。この件について質問された際に「全ての人のテストステロン濃度は違う。時々高くなったり時々低くなったりする。多くの人が俺達がステロイドを使っていると記事にして書いているが、俺達は誰一人として使っていない。俺はこれまでパフォーマンス向上薬の類を使った事はない」と答えている。3月16日、チェチェン共和国大統領ラムザン・カディロフの大統領宮殿に招待された。4月26日、アルバカーキ市内でレンタカーを運転中に信号無視が元で追突事故を起こし、逃走。その後、レンタカーからマリファナの吸引器が発見される。翌日、ジョーンズは出頭し、保釈金を払い保釈されている。追突されたのは妊婦であったが、腕を負傷し、胎児に影響はなかった。目撃者によるとジョーンズは札束を抱えながら逃げたとの事である。これを受けてUFCはジョーンズからUFC世界ライトヘビー級王座を剥奪する事と無期限試合出場停止処分を科す事を発表した。また、リーボックからスポンサー契約を解除された。その後、アルバカーキ市警に出頭し、拘留された。当て逃げ事件について、9月にアルバカーキの地方裁判所にて開かれた裁判に出席し、執行猶予1年6ヶ月の判決を下された。10月23日、UFC公式サイトにてジョーンズの無期限試合出場停止処分が解かれて、復帰する事が発表される。1月31日、アルバカーキ市内にて無免許運転が発覚。処分として3日間の社会奉仕活動を命じられ、執行猶予期間中であったが執行猶予が取り消される事はなかった。3月24日、執行猶予期間中にアルバカーキ市内にて違法に改造した車でドラッグレースを行った疑いにより逮捕された。4月23日、UFC 197の世界ライトヘビー級暫定王座決定戦でライトヘビー級ランキング6位のオヴィンス・サンプルーと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。