船床 定男(ふなとこ さだお、1932年2月5日 - 1972年2月22日)は、京都府出身の演出家、映画監督。本名荒井定男。妻は日本舞踊家の花柳寿位彦(本名・荒井満枝)。日本初の「連続テレビ映画」番組である『月光仮面』を演出するなど、日本のテレビ黎明期において多くのテレビドラマを演出したことで知られ、14年間で約600本を監督した。国民学校高等科卒業後、演劇青年となり、1952年に加藤泰らの「劇団こうもり座」に参加。その後、映画の世界に入り、加藤泰、伊藤大輔の助監督を体験して師事する。1958年に、宣弘社が製作で、同じ独立プロダクション「綜芸プロ」に所属していた西村俊一が企画した日本初の「連続テレビ映画」である『月光仮面』を、監督経験のないまま初演出。低予算の上、「ワンカット28秒しか撮影できないカメラ」という制約のもと、「スピーディーな演出」と「早撮り」の才能を発揮して、ヒット作品とした。その後も、宣弘社製作のヒーロー物を続けざまに演出する。特に船床と脚本の伊上勝とのコンビは最強のコンビと呼ばれ、『隠密剣士』や『ガッツジュン』などで腕を振るった。1967年には自身初の特撮ヒーロー物である『マグマ大使』を、シリーズ途中から演出。その後も多くの作品の演出を続けたが、がん治療中の1972年に40歳の若さで死去。戒名の「月光院明世日定居士」は「『月光仮面』で世の中を明るくした」ことを意味している。
出典:wikipedia
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