ドミンゴ・マルティネス(Domingo Emilio Martínez Lafontaine , 1965年8月4日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。愛称は「マルちゃん」。より中日ドラゴンズの外国人選手のスカウトを担当する。限りで巨人にFA移籍した清原和博に代わって中軸を打てる選手と期待され、に西武に入団。第1戦こそ無安打だったものの第2戦に本塁打を放ち、その後も勝負強い打撃を披露して打ちまくり、すっかり「5番・指名打者」に定着した。「マルちゃん」のニックネームをつけられチームの人気者となり、打席に入ると観客席から「マルちゃん」コールが入っていた。1997年には指名打者としてベストナインに選出されている。1997年の日本シリーズでは、当時共にクリーンナップを打っていた高木大成、鈴木健と守れるポジションが被り、左翼手を守ることも検討されたが、あまりの守備のひどさに西武首脳陣は断念したという。翌1998年の日本シリーズでは、DH制のない第1、2、6戦では、すべて代打での登場であった。シリーズ終了後、2年連続で30本塁打、90打点を挙げたのにもかかわらず、走れない、守れない、そしてチームを若返りさせることを理由に西武を解雇された(しかし、マルティネスの退団以降西武は出てくる外国人選手の不振が続き、2001年のアレックス・カブレラ、スコット・マクレーンの登場まで毎年長打不足に悩まされた)。車を持っていなかったため、ホームゲームでは西武ライオンズ球場に西武鉄道を使い電車通勤をしていた。好調時と不調時のフォームをビデオで熱心に見比べており、当時西武の打撃コーチだった土井正博は「こんな研究熱心な外国人選手は珍しい」と語っていた。はメキシカンリーグでプレーしていたが、打線の迫力不足に悩んでいた巨人が6月に獲得(同年の巨人は、当初「純国産打線」を方針に掲げていたため、外国人野手は一切獲得していなかった)。最初は代打で不振が続いたものの、レフトでのスタメンで起用されると活躍し、同年は不振と故障に喘いだ清原に代わり、4番・ファーストに入ることも多かった。レフトの守備については、メジャー・マイナーを通じて外野を2試合しか守ったことがなく、鈍足であまりにお粗末なため、投手陣から「マルティネスにレフトを守らせないでほしい」と要望が出る有り様だった。ただし打球に対しての勘は悪くなくまた肩は強かったため、幾度もランナーを刺した。対広島東洋カープ戦でレフトポール際の本塁打かファウルかという大飛球を打った際に、ホームベース上で小首を傾げ、右手をまるで招き猫のようなポーズをとって打球の行方を見ていた。そして本塁打と判定され、ヘルメットがずり落ちるほどにガッツポーズをとった。このシーンはよく同年の珍プレーで題材にもなった。また、その場面が写った野球カードもある。また、対横浜ベイスターズ戦で一塁走者になった時に盗塁を決めた。その際、相手捕手の谷繁元信は鈍足のマルティネスが走ることを全く想定していなかったためか、呆然として、二塁に投げることすらできなかった。も前半負傷の清原の穴を埋め、東京ドームのオーロラビジョンに直撃する特大の満塁ホームランを放つなどもしたが、清原が復帰するとすぐにベンチに追いやられた。翌年も常時出場とは行かず、オフに契約年数が切れたため退団した。再度アメリカ球界を経て、から中日ドラゴンズの外国人スカウトに就任した。西武時代にコーチだった森繁和の要望でもあった。森も中日コーチになってからはドミニカに渡って外国人選手の調査などしており、マルティネスが加わったことで現地出身の選手を多く輩出している。なお、森がチームを一旦去った2012年と2013年も、マルティネスは中日に残ってスカウトを続けており、実際に2012年オフにドミニカ出身のエクトル・ルナを獲得している。
出典:wikipedia
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