吉竹 春樹(よしたけ はるき、1961年1月5日 - )は、福岡県春日市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。九州産業高校では2年時にエースの梅津茂美(門司鉄道管理局)を擁し、一塁手・六番打者として夏の甲子園県予選決勝に進出。田中和博、清家政和、野田雲平らのいた優勝候補筆頭の柳川商を降し、甲子園に出場。本大会では2回戦(初戦)で福島商の三浦広之投手に完封を喫する。翌は県予選で敗退し、甲子園には出場できなかった。卒業後は九州産業大学への特待生進学が決まっていたが、同年のドラフト外で阪神タイガースに投手として入団。1年目は打撃投手などを務め、2年目のに内野手へ転向。安芸キャンプで松木謙治郎打撃を認められると、には外野手へ転向。から4年連続して100試合以上に出場し、には21年ぶりのリーグ優勝と球団初の日本一に貢献。オフ、田尾安志との交換トレードで前田耕司と共に西武ライオンズへ移籍。西武では1年目からレフトのレギュラーを得たが、オールスターゲーム初出場直後の8月11日の近鉄戦で村上隆行のライトフライを追った際にフェンスと人工芝の間に右足を挟まれ転倒、右足大腿骨骨折の重傷を負った。負傷の影響で翌は12試合の出場に留まったが、その年の日本シリーズでは先発出場も果たすなど復活の兆しを見せ、以降は完全復活し、安部理、森博幸、笘篠誠治などと激しくレフトのポジションを争い、準レギュラーとして西武黄金時代を支え限りで引退した。守備は一級品で、西武黄金時代の鉄壁の外野陣の一角を担った。バッティングは長打力はないもののしばしば2割台後半の打率を残した。引退後は阪神に復帰。からまで二軍外野守備・走塁コーチ,からは一軍外野守備・走塁コーチ は再び二軍外野守備・走塁コーチ、からまでは一軍外野守備・走塁コーチ 、( - は一軍チーフ野手コーチを務めたが、優勝逃して責任を取って退任した監督の岡田彰布と共に岡田退任。からまでは管理部課長二軍担当、からまで二軍監督、は監督の和田豊の要望で一軍作戦兼守備・走塁総合コーチ、は一軍野手総合コーチを務めた。より、BCリーグ・福井ミラクルエレファンツの監督を務める。2015年シーズンはチームを西地区優勝に導いたがリーグチャンピオンシップでは新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに敗退。2016年シーズンは西地区で後期最下位ながら年間勝率2位となり、前後期を制覇した石川ミリオンスターズとの地区チャンピオンシップ(全3戦)に出場、1敗すれば敗退となる条件で2連勝したが、最終戦が雨天中止となり、予備日程が残っていなかったことから石川の優勝が決定した。リーグ優勝を目標としていた吉竹は、9月23日に今季限りでの退任を表明した。
出典:wikipedia
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