アブダル・マリック(Abd al Malik、出生名Régis Fayette-Mikano、1975年3月14日フランス・パリ14区生まれ)はコンゴ系フランス人のラッパー、スラマー、作曲家である。アブダル・マリックはコンゴの高官を父としてパリで生まれた。1977年から1981年にかけて家族とともにブラザヴィルで生活し、フランスへ帰国した後はストラスブールのノイホフ()地区の低家賃住宅(HLM)に住んだ。両親が離婚した後、母親が一人で兄弟姉妹6人の生活を支えるようになり、このころにはスリや麻薬売買などの非行に手を染めている。ストラスブールのコレージュ・サンタンヌ、リセ・ノートルダム・デ・ミヌール、そしてストラスブール大学に進学し、大学では哲学と古典文学を専攻した。またこのころ長兄ビラルと従兄弟アイサとともに自身がリーダーを務めるラップグループN.A.P.(を結成している。芸名としているアブダル・マリックという名は出生名に由来するもの(下の名Régisはラテン語で「王」、アラビア語ではMalikとなる)である。現在歌手ワラン()と結婚し、一児の父となっている。Caca Pipi自らが改宗したイスラム教のスーフィズムから多くのインスピレーションを得ている。アブダル・マリックはキリスト教徒として生まれたが、少年期にイスラム教へ改宗し、スーフィズムに開眼した。これは彼にとって人生の指針ともいえる重要な世界観となっている。それ以来のアブダル・マリックの活動は平和と「共生」のための闘いといってもよい。1999年には正式にモロッコの精神的指導者であるの弟子となっている。現在アブダル・マリックの活動は基本的にソロであり、そのスタイルはラップ、ジャズ、スラムなどと他のフランス音楽(たとえば"Ces gens-là"で使っているジャック・ブレルなど)の援用を組合せたユニークかつシリアスなものである。曲では内容・情感ともに強烈な言葉が朗読、あるいは歌われ、これをさらに盛り上げるように音楽が絡み合う。セカンドアルバム『ジブラルタル』では、創作の主眼としたのは「ラップという概念を正面から脱構築しつつ、なおかつヒップホップであり続けること」であったと述べている。彼はイスラム文化に身をおくのと同様に、スラム(詩)においては、存在する自己ではなく、自らが表現する自分という立場に身をおいていることを強く意識している。これは聴衆のリアクションや他人の意見を非常に気にかけているからである。彼自身の来歴にも通ずる「僕には再構築するために解体することが必要だった。けれども、愛情を欠き、他者の受容を無視しては何もいいものは生まれてこない」という言葉は、時に困難を伴ったその歩みを端的に表している。2007年11月、N.A.P.、妻ワラン、ビラン(Bil'in)、アンショ(Hamcho)、マッテオ・ファルコーネ(Matteo Falkone)とともに、文盲改善への闘いを主眼としたグループ、ベニ・スナッセン(Beni Snassen)というプロジェクトを開始した。2008年、このプロジェクトから『憂鬱と理想』"Spleen et Idéal"というアルバムが発表されている。2008年1月、MIDEMの際に文化相クリスティーヌ・アルバネルより芸術文化勲章シュヴァリエを授与されている。2008年5月、モービーのアルバム『ラスト・ナイト』"Last Night"の中で曲『アリス』"Alice"のフランス語ヴァージョン"La même nuit"に参加している。和を重視する思想は左右の両陣営から「利用」されやすく、2008年9月のル・モンド・ディプロマティークではジャック・ドゥニが次のような論を述べている。曰く、「アブダル・マリックの詩句は極めて予想しやすいものであり、これは郊外に吹き荒れる暴動を静めることはできないだろう」、そして「彼は、姿を現し始めたマイノリティの耳に優しい側面でしかない」。明示されてはいないが、これはアブダル・マリックを「フランスラップの公認の顔」とし、これを音楽業界における「偽の暴動」と結び付けるものであったといわれる。2004年に書籍『フランスにアラーの祝福を』"Qu'Allah bénisse la France"(Albin Michel刊)を著している。この中では主人公は自分の道行を語り、真摯なイスラム教を擁護し、寛容と和合への渇望を示す。処女作であったが高く評価され、ベルギーのローランス・トラン賞()を受賞した。
出典:wikipedia
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