工藤 壮人(くどう まさと、1990年5月6日 - )は、東京都杉並区出身のサッカー選手。メジャーリーグサッカー・バンクーバー・ホワイトキャップス所属。元日本代表。ポジションはフォワード。兄の影響で3歳頃からボールを蹴り始め、小学4年生から柏レイソルの下部組織に所属。吉田達磨の指導の下、工藤の他に酒井宏樹、指宿洋史、仙石廉、武富孝介、山崎正登、比嘉厚平、島川俊郎、畑田真輝という計9名のプロ選手を輩出した柏レイソルユース「黄金世代」の一員として、地中海国際サッカートーナメント、ビジャレアル国際ユースサッカー大会といった海外遠征を経験する。第32回日本クラブユースサッカー選手権では決勝まで勝ち進み、工藤自らも大会得点王に輝いた。2009年、酒井、仙石、武富、山崎、比嘉と共にトップチームへ昇格。U-10世代から9年間一貫して下部組織に所属した選手の昇格は、柳澤隼に次いでクラブ史上2人目であった。同年10月7日、J1第29節FC東京戦で公式戦初出場を果たす。2010年3月21日、J2第3節アビスパ福岡戦で公式戦初得点を記録。同年、U-21日本代表に選出され、広州アジア競技大会で金メダルを獲得した。リーグ戦では計10得点を記録し、工藤が得点を挙げた試合では不敗だった(8試合7勝1分)。チームがJ1へ復帰した2011年は、序盤こそ北嶋秀朗、田中順也ら好調なフォワード陣の陰に隠れたが、シーズン後半戦から出場機会を増やし、リーグ戦計7得点を記録。Jリーグ史上初となる昇格初年度でのJ1優勝に貢献した。2011 FIFAクラブワールドカップでも3試合に出場し、オークランド・シティFC戦で得点を挙げた。2012年、U-23日本代表としてロンドン五輪アジア最終予選・バーレーン戦に招集されたが、工藤の出場機会はなく、五輪代表メンバーにも選出されなかった。一方、クラブではエースとしての地位を築き、J1第19節セレッソ大阪戦でハットトリックを達成するなど、チームトップのリーグ戦計13得点を挙げる活躍を見せた。第92回天皇杯でも準々決勝大宮アルディージャ戦、準決勝横浜F・マリノス戦と立て続けに決勝点を挙げ、決勝のガンバ大阪戦では累積警告のため出場停止となったが、クラブ37年ぶりの天皇杯優勝に大きく貢献した。2013年、自ら直訴する形で北嶋秀朗の背番号「9」を受け継いだ。先制点を挙げたJ1第12節のセレッソ大阪戦で逆転負けを喫し、デビュー以来続いていたリーグ戦の「不敗神話」記録は28試合でストップしたが、リーグ中断期間を前に12試合8得点(ACLを含め20試合13得点)と開幕から好調なパフォーマンスを続け、同年5月23日、日本代表に初選出された。7月21日、東アジアカップ2013中国戦で国際Aマッチ初出場。後半16分に初得点を記録した。同大会では全3試合に出場し、日本代表の初優勝に貢献した。リーグ戦、国内カップ戦、ACLを並行して戦い、代表戦を含めた総出場時間は9月の時点で既に前年を上回るという過酷なスケジュールを強いられる中、各大会でゴールを量産。ヤマザキナビスコカップ決勝浦和レッズ戦では、自らの決勝点によりクラブを優勝へ導き、大会MVPに選出された。リーグ戦でも累積警告による出場停止1試合を除く全33試合に出場し、得点ランキング5位タイの19得点を記録(カップ戦、代表戦を含めると、56試合出場29得点)。これにより、北嶋が保持していたクラブ日本人最多得点記録(18得点)を更新した。2014年、チーム編成の事情から右サイドでプレーすることが多く、守備の負担が増えたため、リーグ戦の得点は前年の半分以下となる7得点に留まった。終盤戦は先発から外れる機会もあったものの、自身初となるリーグ戦全試合出場と、同年のJリーグフェアプレー個人賞受賞を果たした。2015年7月19日、J1 2ndステージ第3節川崎フロンターレ戦でJ1通算53得点目のゴールを決め、北嶋秀朗を上回りクラブの歴代最多得点者となった。2015年12月29日、メジャーリーグサッカーのバンクーバー・ホワイトキャップスに完全移籍することが発表された。5月9日、第10節のポートランド・ティンバーズ戦で移籍後初得点をあげて、MLSの公式ホームページで「チーム・オブ・ザ・ウィーク」に選出された。高い決定力と多彩なゴールパターンを持つストライカーで、プロサッカー選手としては平均的な体格(177 cm)でありパワー、スピード、テクニックといった面で際立った長所はないため、工藤も「武器は何ですか?という問いを投げられると困ってしまう」と語っているがその分鋭い洞察力と戦術眼でゲームの情勢を読み取り、相手ディフェンスとの駆け引きの中から得点機会を作り出す能力に長けている。ストライカーらしい屈強なメンタリティの持ち主でもあり、時として自らにプレッシャーを掛けることも厭わない。体を張ったポストプレーや献身的な守備も持ち味で、チーム事情によってはサイドハーフも務める。柏レイソルの指揮官・ネルシーニョ(当時)は工藤の守備意識と戦術理解度の高さを理由に、右サイドバックのポジションで起用したこともある。128||46||20||8||14||4||162||5827||10||colspan="2"|-||2||1||29||11155||56||20||8||16||5||191||69|2011||rowspan=4|柏||rowspan=2|19||colspan="2"|-||3||1!通算!!colspan="2"|AFC|-!通算
出典:wikipedia
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