二宮町(にのみやまち)は、栃木県南東部に位置し、芳賀郡に属していた町。町名は二宮尊徳にちなむ。2009年3月23日、真岡市に編入。鬼怒川左岸に位置し、茨城県と境を接する。町内には他に五行川・小貝川が流れている。二宮の地に人が住み始めたのは縄文時代、土器や石斧などが出土。古墳時代の豪族の墳墓が各地にみられ、当時大和朝廷の支配下におかれ、物部地区は物部氏の領地であったことがうかがえる。平安時代後期、平将門の乱で将門を討った藤原秀郷が下野守に任じられ、その一族が下野国において勢力拡大。秀郷の子孫の小山政光の次男宗政が1184年(寿永3年)長沼地区に長沼城を築き長沼姓を名乗る。戦国時代には下館城主水谷蟠竜斎が、久下田地区と隣接する筑西市樋口に久下田城を築城し、木綿織を奨励するなど、後の久下田町の基礎を築く。江戸時代、真岡藩、下館藩、土浦藩、笠間藩、小田原藩などの領地となる。江戸後期1823年、疲弊し荒れ果てた桜町(現在の二宮町物井、真岡市東郷の一部)に小田原藩主大久保忠真の命により、尊徳37歳のときに赴任、疲弊した領内を復興させた。以後26年間に渡り、桜町を拠点とし、周辺諸国の復興を行う。現在は桜町陣屋。久下田町遊郭(くげたまちゆうかく)1901年(明治34年)開設。町内には西から鬼怒川、五行川、小貝川と3本の一級河川が南流している。二宮尊徳が36年間過ごした陣屋跡が「史跡・桜町陣屋跡」として国指定の史跡になっており、周辺は史跡公園として整備されている。尊徳資料館が隣接している。また、浄土真宗の開祖としてしられる、親鸞が建立した専修寺があり、こちらも「史跡・高田山専修寺境内」として境内全体が国指定の史跡となっている。独立行政法人情報処理推進機構の「自治体におけるオープンソース・ソフトウエア活用に向けての導入実証」に参加。2006年2月から役場内の事務用パソコンのOSを、他の官公庁、自治体との間でのデータ交換用を除き、ほとんどすべてWindowsからLinuxに移行している。またこれに伴い、オフィスソフトやメールソフトなども、オープンソース・ソフトウェアに移行している。いちごは平成元年から17年連続日本一を誇り、生産額は50億円を突破している。400世帯の農家により年間4800トンの収穫量。主力商品は甘みの豊かな「とちおとめ」である。名称は廃止当時のもの。現在はすべて真岡市立。催事・祭事
出典:wikipedia
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