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シェイ・スタジアム

シェイ・スタジアム("Shea Stadium")は、アメリカ合衆国ニューヨーク市クイーンズ区フラッシングのフラッシング・メドウズ・コロナ・パーク北端にあった野球場。MLBニューヨーク・メッツの旧本拠地。1974年と1975年にはニューヨーク・ヤンキースもヤンキー・スタジアムの改修工事のために仮本拠地としていた。また、アメリカンフットボール(NFL)に使用されていた時期もあり、開場から1983年までニューヨーク・ジェッツが、1975年の1年だけニューヨーク・ジャイアンツが本拠地にしていた。日本語媒体では、特にロック・ミュージック関係の報道において、ローマ字読みで「シェア・スタジアム」と表記されることがあるが、英語では「シェ・エイ(発音:SHE-a)」であり、本来の発音とは異なる。1975年の天覧試合の報道ではシェー・スタジアムと表記された。2009年4月に新球場シティ・フィールドがオープンしたことに伴い取り壊され、跡地は駐車場になっている。多くの選手を悩ませていたのが、近隣にあるラガーディア空港である。シェイ・スタジアムが同空港の離着陸コースのほぼ真下に位置するため、騒音が選手の集中力をかき乱すことが多々あった。シェイ・スタジアムでプレーする時だけ耳栓をつける選手もいたほどである。外野は左右対称であった。広めなため、外野手には守備範囲の広さが必要。また、外野席がほとんど設置されていないため、吹き込んでくる風の影響を受けやすかった。よって長打が出にくく、投手有利の球場であった。内野は芝が長いため、球足が遅かった。シェイ・スタジアムは当初、90,000人収容の巨大スタジアムとして建設が進められたが、建設途中で計画が変更されたため、外野席が左中間の一部を除いて存在せず、代わりに超巨大スコアボードやビッグ・アップルが設置された。超特大スコアボードは外野右中間フェンス後方に設置されていた。開場当時はスタジアラマ・スコアボードと呼ばれ、スクリーンには選手のスライド写真などが映し出されたが、その部分は後に広告スペースとなった。上部にはニューヨークの摩天楼を象った照明があったが、2001年9月11日の同時多発テロ発生後、世界貿易センタービル・ツインタワーを象った部分にリボンがかけられた。ビッグ・アップルは中堅フェンス後方に設置。メッツの選手がホームランを打つと、巨大な帽子のディスプレイの中からメッツのロゴマークが入った大きなリンゴのオブジェが現れた。これはニューヨーク市の愛称「ビッグ・アップル」にちなんだもの。1998年、ヤンキー・スタジアムの観客席が一部破損したため、ヤンキースが1試合だけホームゲームをシェイ・スタジアムで行ったことがあるが、そのときヤンキースのダリル・ストロベリー(元メッツ所属)がホームランを放つとビッグ・アップルが姿を現した。メッツ以外の選手がホームランを放った際にビッグ・アップルが出てくるのは異例である。ただしリンゴに描かれたメッツのロゴを隠すためか、上半分のみの登場となった。このオブジェはシティ・フィールドにも受け継がれている。このスタジアム名の由来となったのは、弁護士のウィリアム・A・シェイ()である。1957年にブルックリン・ドジャース、ニューヨーク・ジャイアンツの両球団がそれぞれ ロサンゼルス、サンフランシスコへ移転し、ニューヨークからナショナルリーグの球団がなくなってしまった。そこで、ニューヨークにナショナルリーグの新チームを創設しようと尽力したのがシェイだった。メッツはシェイの功績を讃え、2008年からシェイを永久欠番と同格で扱っている。メッツのユニフォームに使用されている色のうち、当初のオレンジはジャイアンツの、青はドジャースのチームカラーである。またこの二色はニューヨーク市の旗にも使われているなど、同市を象徴する色でもある。

出典:wikipedia

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