栃木県道・茨城県道1号宇都宮笠間線(とちぎけんどう・いばらきけんどう1ごう うつのみやかさません)は、栃木県宇都宮市から同県芳賀郡益子町を経由し、茨城県笠間市に至る県道(主要地方道)である。宇都宮市から芳賀郡益子町まで、国道123号と重複する。栃木県東部と茨城県中部を結ぶ重要な連絡路であり、栃木県宇都宮市と茨城県水戸市の両県庁所在地を結ぶルートは、この道を通るのが最短となっている。その利便性から、早くから道路改修が行われたが、大規模なバイパス化等は行われておらず、当時主流の工法であった既存路線の改修(現道拡幅)が主であった為、芳賀郡益子町・芳賀郡茂木町を中心に急カーブ区間が多数存在する。また栃木・茨城県境にある仏ノ山峠は、その急峻さからこの路線最大の難所となっている。その起源は古く、中世に宇都宮を治めた下野宇都宮一族の宇都宮時朝(うつのみやときとも)が笠間へ移り、笠間時朝と名を改めこの地を治めた時代といわれる。江戸時代は、笠間側では野州宇都宮街道、宇都宮側では水戸街道と呼ばれ、この道を通り笠間から結城街道(現在の国道50号)を通って宇都宮と水戸を人々が往来したと云われており、現在の宇都宮水戸最短ルートがこの頃から形成されていた。近世になり、1876年(明治9年)の太政官布告以後国道県道が区分され、江戸時代の街道がそのまま引き継がれて県道となった。1954年(昭和29年)9月1日、新道路法に基づく主要地方道新設の告示を受けて県道宇都宮水戸線(笠間 - 水戸は当時の二級国道前橋水戸線と重複区間)となり、1965年(昭和40年)8月26日に現在の宇都宮笠間線となった。栃木県宇都宮市から芳賀郡益子町まで続く国道123号重複区間は元々は宇都宮笠間線で、1962年(昭和37年)5月1日の政令による国道123号の新設時(1963年4月1日)にこの区間が国道に指定された。この時県道宇都宮水戸線と二級国道宇都宮水戸線、種別の異なる同じ名前の路線が一本の道路を共有するという珍現象が起きたが前者は区間路線名変更、後者は等級廃止・国道番号表記に統一という形で2年ほどで終息している。栃木県側では、宇都宮市街地においては沿線に宇都宮大学やベルモールなどがあり、また宇都宮市街地から同市清原地区を結ぶ役割もあることから、東野交通・JRバス関東により東武宇都宮駅・JR宇都宮駅から本路線を通る路線バスが多数運行されている。また、同事業者により宇都宮 - 真岡・茂木間を結ぶ路線が宇都宮側で本路線の一部を経由するほか、東野交通による宇都宮 - 益子間の路線が、宇都宮 - 益子町七井までの大部分の区間で本路線を経由する。茨城県側では、茨城交通が笠間市笠間地区で運行する笠間駅-桃山線が本路線のうち石井神社前から荒町角交差点までの区間を経由している。交差する道路の特記がないものは市道・町道。
出典:wikipedia
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