P5M マーリン(P5M Marlin)はマーチン社(メリーランド州ミドルリバー)が製作したレシプロ双発の飛行艇である。1951年から1960年代の後半に掛けて、アメリカ海軍で哨戒任務につき、また、アメリカ沿岸警備隊やフランス海軍でも使用された。1962年以降はP-5と改称された。愛称のマーリン(Marlin)は魚のカジキのこと(ロールス・ロイスのエンジン名などに使用されたマーリン(Merlin、鳥のコチョウゲンボウの意)とは別の語)。P5MはPBMマリナーの発展型としてその任務を引き継ぐ機体であり、エンジンの性能向上と艇体形状の改善が図られる一方、尾部はより保守的なものとなっていた。試作型のXP5M マーリン(社内呼称モデル237)はPBM-5マリナーの最終型をベースとしていたが、P5M-2(モデル237B)で再び大きな変更が加えられた(P5M-2は1962年のアメリカ三軍の軍用機呼称統一の際にSP-5Bと改称された)。またP5M-1の相当数が訓練用として用いられ、これは1962年以降、TP-5Aと改称された。 マーリンはエンジンとプロペラを海面の飛沫から遠ざけるためにガル翼形式の主翼を持ち、動力は2基のライトR-3350空冷星型レシプロエンジンに依っていた。艇体後部は、水面から鋭く持ち上がるのでなく、後部に向かって徐々にせり上がるようになっていた。これはマーチン社の新しい考えによるもので、これにより飛行機が浮力を得るための基線を長くとり、波によるポーポイジングを減らしていた。試作機は背面の銃塔に2挺の12.7mm重機関銃を備えるほか、機首と尾部にそれぞれ20 mm連装機銃の銃座を持っていた。コックピット区画はマリナーと同一だった。初飛行は1948年5月30日に行われた。P5M-1の生産型は1951年6月22日に初飛行し、その年の内に167機が生産された。プロトタイプから変更された点は、視界を改善するために高められたフライトデッキ、機首銃座の撤去とその場所へのAN/APS-44捜索レーダーとそれを収容する大きなレドームの装着、背部銃塔の廃止、それに主翼フロートの流線形化などである。また、エンジンナセルは後部に延長され、延長部分は武器庫とされた。P5M-1に続いてP5M-2が116機生産された。水平尾翼が飛沫を浴びないようにT型尾翼とされた他、尾部銃座の代わりにAN/ASQ-8 磁気探知装置(MAD)のブームが装着された。乗員の居住性は向上し、離着水時の飛沫を抑えるために機首部分の改善が図られた。アメリカ海軍で最後に行われた飛行艇の作戦行動は、ベトナム戦争のVP-40の「マーケット・タイム」パトロールであった。1965年2月に開始されたこの海上監視作戦は、北ベトナムから南ベトナムのベトコン部隊に必需品を輸送する小型ボートを見つけることを目的としていた。VP-40は水上機母艦から発進し、メコン・デルタ沖のフーコック島とブンタウ(Vung Tau)の間をパトロールした。アメリカ海軍最後のP5Mは、1968年7月12日、スミソニアン博物館で建設が検討されていた展示場での保管を前提にメリーランド州のパタクセント・リバー海軍航空基地まで飛行した。しかしスミソニアンでの展示は実現せず、結局フロリダ州ペンサコーラにある海軍航空博物館に運ばれ、今でもそこに展示されている。アメリカ沿岸警備隊の航空救難任務向けに7機のP5M-1Gと4機のP5M-2Gが生産されたが、運用の結果、この飛行機はメンテナンスが難しく、無用の長物であることが判明した。そのため結局海軍に引き渡されたが、武装を想定していない機体だったため、海軍では訓練機として使用された。1959年、フランス海軍はショート サンダーランドの後継の洋上哨戒機としてアメリカ海軍から10機のマーリンを受け取った。フランス海軍のマーリンは西アフリカ、セネガルのダカールを基地に行動し、5年後にアメリカに返還された。ペンサコーラ海軍航空基地(フロリダ)の国立海軍航空博物館に1機が保管されている。現在の保存状態は良くないが、部分的な(最終的には完全な)修復が予定されている。復元作業の費用は博物館と「マリナー/マーリン協会」が負担する。(『United States Navy Aircraft since 1911』による。)(系列機)(同等機)
出典:wikipedia
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