レックス・グロスマン(Rex Daniel Grossman III 1980年8月23日-)はインディアナ州ブルーミントン出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはQB。現在フリーエージェント。シカゴ・ベアーズに所属していた2006年シーズンにはチームを第41回スーパーボウルに導いている。ブルーミントン・サウス・ハイスクール時代はチームを2回州のチャンピオンに導いた。1999年にフロリダ大学に入団後、2年次より先発QBとなり23勝9敗の成績で3年ともチームをボウルゲームに出場させた。2001年のハイズマン賞の投票では61ポイントという史上最少ポイント差でエリック・クラウチに次ぐ2位、AP通信が選ぶ年間最優秀選手となった。パス獲得9164ヤードは大学歴代3位、サウスイースタン・カンファレンス歴代5位、77タッチダウンパス成功は大学歴代2位、カンファレンス歴代3位。2003年のNFLドラフトの1巡目22位でシカゴ・ベアーズに指名されて入団した。最初のシーズンは最後の3試合に先発出場し、ベアーズの新人QBとしては22年ぶりの初戦での勝利した。2004年も開幕から先発QBを任されたが第3週に走り込んでタッチダウンをあげた際に負傷し、残りのシーズンを棒に振るった。2005年、プレシーズンゲームでかかとを負傷し長期戦線離脱することとなり、レギュラーシーズンは2試合に出場したのみであったがディビジョナルプレーオフにも先発出場した。2006年、1978年にNFLのレギュラーシーズンの試合数が16に増えて以来チームとしては4人目、キャリア初の16試合先発出場を果たし、1995年のエリック・クレイマーに次ぐチーム歴代2位となる3193ヤードを獲得、23タッチダウン、20インターセプトの成績を残し、チームを第41回スーパーボウルまで導き、ムーシン・ムハマドへのタッチダウンパスをあげるなど、一時リードしたものの、ケルビン・ヘイデンにインターセプトされるなど、インディアナポリス・コルツに敗れた。2007年も開幕から先発出場したが、第4週から一時控えQBとされ8試合出場に留まった。2008年はカイル・オートンの控えQBとなり、4試合の出場(先発出場は1試合)に留まった。2008年シーズン終了と共にフリーエージェントとなったが、なかなか去就が決まらず、2009年6月、ヒューストン・テキサンズと契約しマット・ショーブ、ダン・オーロフスキー、アレックス・ブリンクと先発QBの座を争った。この年テキサンズでは1試合、マット・ショーブをリリーフした。その後フリーエージェントとなり、2010年3月、テキサンズ時代にも指導を受けたカイル・シャナハンがオフェンスコーディネーターを務めるワシントン・レッドスキンズと契約した。この年、ドノバン・マクナブの控えを務め、第15週のダラス・カウボーイズ戦から先発QBに昇格し、最後の3試合では先発QBに昇格した。10月31日のデトロイト・ライオンズ戦では6点差の第4Q残り2分でマクナブと交代したが、カイル・バンデンボッシュにサックされてファンブル、リカバータッチダウンを決められて試合に敗れた。2011年8月2日、チームと1年契約を結び。ジョン・ベックと先発QBを争うこととなった。開幕戦から先発QBを務めた彼はニューヨーク・ジャイアンツとの開幕戦でパス34回中21回成功、305ヤード、2タッチダウンの活躍を見せた。開幕から連勝、最初の4試合で3勝1敗とチームを前評判以上の成績に導いたが、第6週のフィラデルフィア・イーグルス戦で4インターセプトを喫し、第7週からジョン・ベックに先発の座を渡すこととなった。その後第11週のダラス・カウボーイズ戦より先発に復帰、第4Q終盤同点TDを決めたがオーバータイムの末敗れ、連敗を止めることができなかった。この年13試合に出場し、3,151ヤードを獲得、16TD、リーグで3番目に多い20INTを許した。2012年3月、レッドスキンズと契約を1年延長した。2013年4月3日にもレッドスキンズと1年契約を結んだ。この年彼は、ロバート・グリフィン3世、カーク・カズンズに続く第3QBとしてロースターに残った。2014年8月12日にクリーブランド・ブラウンズと契約を結んだが、8月31日に解雇された。その後、ブラウンズは、ジョニー・マンゼル、ブライアン・ホイヤーが負傷したブラウンズと12月22日にベテラン最低保証額となる1週間53,529ドルのオファーを受けたが家族とともにパームビーチでクリスマス休暇を過ごすことを選んだ。2015年8月26日、アトランタ・ファルコンズと1年契約を結んだ。プレシーズンゲーム第4週に出場し、パス9回中4回成功41ヤードに終わり、9月4日に解雇された。
出典:wikipedia
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