箜篌(くご)とは、古代東アジアで使われた、ハープに似た撥弦楽器。現在は滅んだ。中国では由来の異なるいくつもの楽器を「箜篌」の名で呼んだ。文献上もっとも古い記載は司馬遷『史記』封禅書に見られるもので、武帝のときに「空侯」(=箜篌)が作られたという。この箜篌は琴のように寝かせて弾くものであり、のちに臥箜篌(ふせくご)と呼ばれた。ついで、やはり漢代に西域からハープに似た楽器が伝わったとき、従来からある箜篌に似ていたので同じ名で呼んだ。後に竪箜篌(たてくご)と呼ばれた。後漢書は霊帝が好んだ西域の文物の中に「胡空侯」をあげている。唐代にインド・ビルマから伝わった楽器も箜篌と呼ばれ、燕楽の天竺楽で使われた。先端に鳳首の装飾が付いていたので鳳首箜篌(ほうしゅくご)と呼ぶ。明以降に廃れた。箜篌は朝鮮と深い関係があり、『楽府詩集』によると、楽府題のひとつ「箜篌引」は朝鮮で作られた。ほかにも箜篌と朝鮮の結びつきを示す文献が散見される。しかし中国と同様、朝鮮でも現在は使われていない。韓国の作曲家尹伊桑は、箜篌に触発されて「ハープと弦楽のためのゴンフー(箜篌)」を1984年に作曲している。平安時代の辞書である「倭名類聚抄」によれば、竪箜篌が百済を経由して、臥箜篌が高句麗を経由して日本に伝来したとされている。前者は特に百済琴(くだらごと)とも呼ばれた。奈良の正倉院には箜篌の残欠が2張分あり、これらは竪箜篌とされている。竪箜篌は、胴(共鳴箱)を縦にし、腕木を横に渡したL字型で、胴から腕木にかけて斜めに23本の絹糸の弦を張ったもの。大同4年(809年)に雅楽寮に置かれた百済楽師及び高麗楽師それぞれ4名の定員のうち1名が箜篌担当とされ、前者は竪箜篌・後者は臥箜篌を担当したと考えられている。日本では840年代に行われたと推定されている楽制改革によって他の大陸系楽器とともに廃れ、唐でも同時期の晩唐期に衰退したとされている。20世紀になり、壁画などを元に復元が試みられ、演奏可能なものが作られるようになった。
出典:wikipedia
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