マインザットバード (") はアメリカ合衆国の競走馬。おもな勝ち鞍は2009年のケンタッキーダービー。カナダのデビット・コティ厩舎に預けられると、初戦は5着に敗れるものの2戦目から4連勝で重賞を制する。アメリカ合衆国のリチャード・マンデラ厩舎に移籍し、ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルに出走、ミッドシップマンの12着に敗れる。ベニー・ウォーレイ厩舎に移籍し、ボーダーランドダービー・サンランドダービーに出走するがそれぞれ2着・4着に敗れる。その後ケンタッキーダービーに出走。アメリカに移籍してからは一度も勝っていないことなどから評価は低く19頭立ての17番人気にすぎなかった。しかし最後方からレースを進め直線で内側から抜け出すと2着パイオニアオブザナイルに6馬身3/4差をつけて優勝した。上がり2ハロンはケンタッキーダービー史上最速となる23.77を記録し、三冠馬アソールトの8馬身差に次ぐ史上2番目に大きい着差、単勝配当は1913年のドーンレイルに次ぐ記録となった。鞍上のカルヴィン・ボレルは前日のケンタッキーオークスもレイチェルアレクサンドラで制しており、史上7人目の同一年ダービー・オークス制覇となった。2冠目のプリークネスステークスではボレルがレイチェルアレクサンドラに騎乗するため、マイク・スミスに乗り代わりとなった。レースでは逃げるレイチェルアレクサンドラを追い込むが1馬身とどかず2着に敗れた。ベルモントステークスで鞍上はボレルに戻ったが、同父のサマーバードの3着に敗れた。その後は8月1日のウェストヴァージニアダービーに出走したが、ボレルはマインザットバードからの降板を申し出ており、プリークネスステークスで騎乗したスミスが騎乗することとなった。そして2番人気に支持されたが、追い込みがとどかずに3着に敗れた。古馬との初対戦となった10月10日のグッドウッドステークスでは6着に終わった。続く大一番ブリーダーズカップ・クラシックでも9着に敗れた。ダレル・ルーカス厩舎に移籍し、7月4日のファイアークラッカーハンデキャップで戦列復帰したが8着と惨敗した。続く8月7日のホイットニーハンデキャップではブレイムの5着に敗れた。9月4日のウッドワードステークスでは7着と殿負けに終わった。11月6日のブリーダーズカップ・ダートマイルでは10着と大敗、その後引退が発表された。
出典:wikipedia
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