キングコング・バンディ(King Kong Bundy、本名:Christopher Alan Pallies、1957年11月7日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ニュージャージー州アトランティックシティ出身。現役選手時代はスキンヘッドの超巨漢ヒールとして、WWFなどを主戦場に活躍した。 プロレスラー養成機関 "モンスター・ファクトリー" の主宰者ラリー・シャープのコーチを受け、1970年代末に東部のローカル・エリアでデビュー。当時はクリップラー・クリス・キャニオン("Crippler" Chris Canyon")、または往年の巨漢レスラーであるマン・マウンテン・キャノンの「息子」と称し、マン・マウンテン・キャノン・ジュニア("Man Mountain Cannon, Jr.")などのリングネームを用いていた。1981年11月より、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラスのWCCWに参戦。当初はビッグ・ダディ・バンディ("Big Daddy Bundy")、後にキングコング・バンディ("King Kong Bundy")と改名し、1982年5月5日にケリー・フォン・エリックからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取。同年6月4日、テキサス・スタジアムにてフリッツ・フォン・エリックの引退試合の相手を務め、日本でも巨漢の若手ヒールとして注目される。1983年6月17日にはダラスでジャイアント馬場のPWFヘビー級王座にも挑戦した。同年9月よりジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに登場し、ポール・エラリング率いるヒール軍団リージョン・オブ・ドゥームに加入するが仲間割れ。翌1984年5月6日、マスクド・スーパースターと組んでロード・ウォリアーズからNWAナショナル・タッグ王座を奪取した。その後はテネシー州メンフィスのCWAに進出、ジミー・ハート率いるファースト・ファミリーの一員となり、1984年7月30日にトミー・リッチを破ってAWA南部ヘビー級王座を獲得。ジェリー・ローラー、ジミー・バリアント、ダッチ・マンテル、ランディ・サベージとも抗争を繰り広げ、10月4日にはリック・ルードと組んでファビュラス・ワンズからAWA南部タッグ王座も奪取した。並行してブーン・ブーン・バンディ("Boom Boom Bundy")の変名でAWAにベビーフェイスとして単発参戦、ジェリー・ブラックウェルと巨漢コンビを組み、ロード・ウォリアーズとの再対決も行われた。1985年1月、新日本プロレスの『新春黄金シリーズ』に初来日。アントニオ猪木を相手に、2月5日に愛知県体育館、翌6日に大阪府立体育館にて、1万5000ドルの賞金をかけたボディスラム・マッチ2連戦を行う。新日本には同年3回に渡って参戦し、再来日となる5月開幕の『IWGP&WWF チャンピオン・シリーズ』ではアンドレ・ザ・ジャイアントとのスーパーヘビー級対決が実現。最後の来日となった6月末開幕の『バーニング・スピリット・イン・サマー』では、当時新日本に移籍したばかりのブルーザー・ブロディとキングコング・タッグを組み、アントニオ猪木&坂口征二の黄金コンビから勝利を収めている。同シリーズではバッドニュース・アレンをパートナーに、7月12日に後楽園ホールにて藤波辰巳&木村健吾が当時保持していたWWFインターナショナル・タッグ王座にも挑戦した。同年3月、新日本プロレスからの逆ブッキングという形でWWFと契約。世界王者ハルク・ホーガンのライバル候補として売り出され、3月31日にニューヨークのMSGで行われたレッスルマニアの第1回大会でS・D・ジョーンズを秒殺、センセーショナルなデビューを果たす。その後は先述の新日本再来日を経てWWFに定着し、ボビー・ヒーナンをマネージャーにホーガンとの連戦を開始。1986年4月7日のレッスルマニア2では、スチール・ケージ・マッチでホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦した。同じヒーナン・ファミリーのビッグ・ジョン・スタッドとも超大型コンビを結成し、ホーガン&アンドレやマシーンズ(スーパー・マシーン&ビッグ・マシーン)を相手にスーパーヘビー級のタッグ抗争を繰り広げたが、1988年、体調悪化により一時引退することとなり、役者として映画やテレビドラマに出演した。1994年8月、テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションのメンバーとしてWWFに復帰。翌1995年4月2日のレッスルマニアXIではジ・アンダーテイカーとも対戦したが、全盛期のような活躍は見られず同年WWFを解雇された。以降は各地のインディー団体を転戦し、1997年8月にはIWAジャパンにも参戦、12年ぶりの来日を果たした。1999年にはAWAスーパースターズ・オブ・レスリングやJCWに登場。2000年代も芸能活動を行う一方、インディー団体へのスポット出場を続けていた。
出典:wikipedia
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